『ふたりで終わらせる』をめぐって
八木勝二さん
会田浩平さん
ケイケイさん
ヤマ(管理人)


  FBコメント 2024年11月29日(金)19:29 より
(八木勝二さん)
 やはり、「ふたり」が誰を指すのかが最後までスリリングに展開して特定するのは、観客に委ねたのだろうか? いや、邦題の付け方が映画の提示しているUSの意味をちゃんと捉えずに付けて、恋愛映画的に売ろうとしたのではないか?が真相のような気もする。

ヤマ(管理人)
 後者に同意(笑)。ほんじゃき本当に「ふたり」と解すべきなのだろうかと記しちゅうわけで…(あは)。それはともかく、僕は、母ジェニーが娘リリーに言うた私は夫を愛していたからという言葉を観客女性がどんなふうに受け取ったか、こじゃんと聞いてみたい気持ちが湧いて仕方がない。


FBコメント 2024年11月30日(土)20:13 より
(会田浩平さん)
 先ほど見てきました。あのポスターのイメージとは程遠い内容の映画で、びっくりしました。
 花屋を友人と営む主人公リリーの過去が少しずつ炙り出されていきます。そして、彼女の運命の人ライルにも、決して消すことのできない過去の出来事が明かされていきます。私は画面に流れるいろいろな歌が良かったです。
 ちなみにあのUsはリリーと娘エミーだと思います。

ヤマ(管理人)
 ありがとうございます。リリー&エミーに先ず1票ですね(礼)。今日付けの更新でアップした日誌には、現在公開中ということで控えた部分も加えているし、「ふたり」のもう一案も加えてますので、覗いてみてください。
 リリーの相手としてライル&アトラスの二人で終わらせるってのは、流石にないだろうと加えてませんが(笑)。ともあれ、ポスターイメージにあるブレイク・ライブリー売りのラブストーリーとは一味も二味も異なる観応えのある作品でしたよね~。


FBコメント 2024年12月3日(火)16:17~11日(水)15:22 より
(ケイケイさん)
 「ふたり」は、台詞通り、リリーと娘じゃないですか? DVを受ける連鎖から、娘を守るため。Usなら、ライルも入ると思います。
 お母さんの愛しているは、愛の在り方は人それぞれですから、素直に受け取っていいと思います。リリーは、ライルを愛しているから、離婚するんだと思います。よりを戻したところで、多分繰り返しです。ライルに立ち直って貰うには、自分と娘はいないほうが良いと思ったんじゃないかな?

ヤマ(管理人)
 なるほどね。僕は、両親夫婦や自分達夫婦の代で終わらせてエミーには味合わせないという思いの原題だと思ったので、本当に「ふたり」と解すべきなのだろうかと書いたんだけど。だから、敢えて二人とするなら、母ジェニーと私リリーという感じかなぁ。

(ケイケイさん)
 ヤマさん 勿論、ヤマさんの見方も大いに有りかと。お母さんの愛情は、情が勝っていたんじゃないかしら?リリーのお母さんは、私と同世代ですよね。多分殴られるような事をした妻が悪い的な、時代の風潮があったと思います。夫は市長だったし、権力者階級の男。離婚は面倒だの平凡な台詞は、私的には胸に響きました。そこには経済的な立ち行き方を考える事も、入っていたと思います。だから、経済的に自立している娘の選択には、異は唱えなかったと思います。
 この作品、立派な志ですよ。DVとは何か?というのが、とても繊細に綿密に描かれていました。一見リリーに非があるような描き方も、秀逸。

ヤマ(管理人)
 映画日記拝読。一見リリーに非があるような描き方というのは何だろうと思ってたけど、切欠は、毎回リリーからのことやったんやね。確かに、女性のそういう思わせぶりというか判然としない表出に男は振り回されたり、勘違いしたりしがちとしたものだ(苦笑)。
 暴力性は、誰しもにあるものとの見解は同意。そして、それを抑制するのが知性や理性というのも同じ見解やな。問題は、その知性や理性を機能不全に陥らせるものは何なのか、ということだと思うんよね。「堪忍袋の緒が切れる」という言葉があるけど、一般に袋のキャパというか容量のほうを問題にすることが多いけど、肝心なのは緒が切れることなんよね。
 その緒の強度を高めるものが知性や理性だと思うけど、少々緒の強度を高めていても袋のなかに常に相当量の堪忍が溜まっていると、その負荷が大きくて、ちょっとしたことで切れてしまう気がする。ライルは、劣等感というよりも、そういう解消できない負荷を抱えているから切れやすいのだと思うよ。拙日誌に神を呪うほかないようなやり場も逃れようもない憤りを熾火のように抱えているからこそ、発火点としての怒りの感情が湧いてしまうと、自制しようにも自制できない状態になるということなのだろうと書いたのは、そういう意味やった。むしろ、切れて暴力性を制御できなくなることが直ちに知性や理性の乏しさを示すとは限らないところがミソだという気がする。でもってライルを通じて、父親のDVにもそういう遠因があったのではないかと思えるようになったんじゃないかなぁ、リリー。
 リリーの母親の場合は、言及しておいでの“経済的自立”というのが、やはり最も大きかったような気がするね。DVにありがちなのは、のべつ幕無しの暴力性ではなくて、まさにライルが示していたように予測不能の“ふとした拍子”だから、そうではない状態のときのほうに縋るような部分というのがあるような気がするなぁ。

(ケイケイさん)
 確かに、女性のそういう思わせぶりというか判然としない表出に男は振り回されたり、勘違いしたりしがちとしたものだ(苦笑)。
 それなら楽しくていいんですけどね(笑)。リリーの場合は、信じて貰えない、本心を言うと激昂する、です。30代の男女が、過去に異性経験が無いわけはなく、過去に嫉妬したり、常に相手の顔色を窺うのは、明確ダメですよね。

 暴力性は、誰しもにあるものとの見解は同意。そして、それを抑制するのが知性や理性というのも同じ見解やな。
 ありがとうございます。

 肝心なのは緒が切れることなんよね。
 あー、そうそう!そのほうが理解し易いですね。

 ライルは、劣等感というよりも、そういう解消できない負荷を抱えているから切れやすいのだと思うよ。
 劣等感というのは、うちの夫ですよ(笑)。ライルの場合は、解消できない負荷が、過去の不幸な事故なのは判りました。でも判ったけれど、正直これだけでは、理解はし難いかな。だからカウンセリングなんだろうと思います。
 この事故で、兄への罪悪感で、両親からの愛を拒否してしまった、または、受け取れなかった事からとは、想像出来ました。饒舌過ぎは駄目ですが、ここは両親との間柄まで描くべきだとは思いましたね。

 むしろ、切れて暴力性を制御できなくなることが直ちに知性や理性の乏しさを示すとは限らないところがミソだという気がする。
 でもエスカレートはしていましたよね。リリーもヤマさんの仰る、ライルの知性や理性を信じたから、彼本来の姿に戻って貰いたくて、離れたんだと思います。だから情ではなく、愛だと思いました。

 でもってライルを通じて、父親のDVにもそういう遠因があったのではないかと思えるようになったんじゃないかなぁ、リリー。
 うん、それはある。うちの父親と夫と、似ているところが満載でね、それなら百倍くらい甲斐性があった、うちの親父の方が、ずっとましじゃないかと思いましたもん(笑)。舅なんか、無職のDV男だったのに、それは大事にして貰っていましたよ。それなのに、うちの父親は、妻の家族の経済的な面倒までみていたのに、母に粗末にされて噛みつかれて、何て徳が無いんだと、結婚して初めて父が可哀想になりましたから。背景は描かれないけど、リリーも父の生い立ち等に感じるところは、あったでしょうね。

 リリーの母親の場合は、言及しておいでの“経済的自立”というのが、やはり最も大きかったような気がするね。
 そうですよね。だから私は、姪や周囲の若い女性たちには、絶対仕事辞めるなと、言い続けています。よくそんな男と結婚したのは自己責任だという意見が散見されるんですが、そんなの結婚前には、DVもモラハラも判りません。前半と後半でガラッと内容が変わるのは、そこもきちんと盛り込まれているんですよね。私はここ、とても良かったです。

 DVにありがちなのは、のべつ幕無しの暴力性ではなくて、まさにライルが示していたように予測不能の“ふとした拍子”だから、そうではない状態のときのほうに縋るような部分というのがあるような気がするなぁ。
 そう、縋るのがポイント(笑)。これは本来のこの人ではないのだ、私もきっと悪かったのよ、と被害者が思い込んでしまい、同じ事の繰り返しに、感覚が鈍磨してしまい、共依存的になってしまうのが、DVです。私はなりませんでしたけどね。 思い返してみても、一度も怯まなかったなぁ。もちろん無駄に謝りもしなかったし。これもあの親に鍛えられていたからかしら?(笑)。

ヤマ(管理人)
 過去に嫉妬したり、常に相手の顔色を窺うのは、明確ダメ
 そのとおりやね。

 兄への罪悪感で、両親からの愛を拒否
 というか、「神を呪うほかないようなやり場も逃れようもない憤りを熾火のように抱えている」と書いたのは、年端もいかなかった自分がこんなものを背負わされることになっていることへの憤りが沸々とマグマのように煮え滾っているってのがあって、ちょっとした怒りの発火点で、大爆発というか噴火してしまうという感じ。だから、相手にいきり立っているのではない暴力性の発散みたいな理不尽な形にならざるを得ないんよね。

 ライルの知性や理性を信じたから、彼本来の姿に戻って貰いたくて、離れた
 それもあるやろうけど、一番は「エミーを守りたい。自分と同じ目には遭わせたくない。」だろうと思った。

 私はなりませんでした
 リリーも共依存には向かわなかったね、父親に対しても夫に対しても。遠ざけるだけが回避し守る手立てとは限らないわけだ。でも、貴女もきっとそうだったであろう試練にエミーを臨ませるのはリリーは不憫だったんだろうね。

 それはともかく、父親、夫、舅を三人並べての一刀両断、さすがですな!(笑)

(ケイケイさん)
 年端もいかなかった自分がこんなものを背負わされることになっていることへの憤りが沸々とマグマのように煮え滾っているってのがあって、
 これは銃を子供の手の届くところへ置いていた、親への怒りという意味ですか?もちろん、ヤマさんの観方は有りだと思いますが、私は自分への罪悪感のほうが強いと思いました。親への怒りは、周りから言われなければ、解らないと思うんですよ。当時子供だから。誰が悪いとは、誰も触れなかったと思います。

 ちょっとした怒りの発火点で、大爆発というか噴火してしまうという感じ。
 はい、これは同意します。

 一番は「エミーを守りたい。自分と同じ目には遭わせたくない。」だろうと思った。
 うんうん、これは絶対あったろうと思います。うちの父親も殴るのは母親や兄でしたけど、そりゃ怖かったですよ。見せられるのも、虐待ですから。

 それはともかく、父親、夫、舅を三人並べての一刀両断、さすがですな!(笑)
 ありがとうございます(笑)

ヤマ(管理人)
 親への怒りよりも、己が境遇への怒りです。やり場のないと書いたのは、親だとか、撃ってしまった自分だとかに、すんなり矛先を向けられない苦しい理不尽さという意味合いです。拙日誌に記した六歳にして兄殺しの十字架を(生涯)負うことになった境遇そのものに対する怒りですね。

(ケイケイさん)
 境遇への怒り、了解しました。抱え込んでしまっているから、リリーに言えなかったんですね。対して、リリーは割と早いうちに、生い立ちをライルに、打ち明けていました。言える、言えないは、連鎖を断ち切るポイントになると思います。
 妹の話なんですが、母の事を姪には美化以上に神格化して、話していたんです。ほぼ盛った内容です。仰天しました。私と話している時は、私以上に罵詈雑言ばっかりなのに。きっと周囲にも、同じようにしていたと思います。
 対して私は、結構誰かれ無しに事実を話していました。恥ずかしい親だけど、親と私は別の人格です。妹は取り繕うのではなく、自分の有りのままの親から、逃げていたんだと思います。内省がないから、親と同じ事を繰り返す。
 ライルの場合は妹とは違いますが、誰かに救いを求めたり、信頼できる人に打ち明けていたなら、DVには、ならなかったかもしれません。抱え込んで袋小路に入ってしまうのも逃避するのも、違うようで、似ている気がしますね。

ヤマ(管理人)
 言える、言えないは、連鎖を断ち切るポイント
 同感ですね。そのうえで取り繕うのではなく、…有りのままというのは大事なところだと思います。
 ライルの場合、気の毒だけど、表出しても「きみは悪くない、早く忘れることだ」的な処し方をされがちだったんでしょうね。リリーに対して、かなり早い時期に話していたけど、患者の事例としてだったように思います。我が事として話しても、事が大きすぎてまともに受け止められる人がほとんどいないことを体験的に知っていたからでしょう。
 拙日誌に綴ったように娘にライルの兄エマーソンの名をつけたリリーは、(自身の苦しい成育歴のなかで)そこのところを深く解することのできる稀有な女性だったからこそ、妹アリサが証していたプレイボーイぶりとは掛け離れた入れ込み方をリリーに対して見せるわけですよね。抱え込んで袋小路に入ってしまうのも逃避するのも、違うようで、似ているというのは、そのとおりですね。娘への名付けにライルが感涙を流していた姿がとても印象深い作品でしたよ。

(ケイケイさん)
 ライルの場合、気の毒だけど、表出しても「きみは悪くない、早く忘れることだ」的な処し方をされがちだったんでしょうね。
 誰かれ無しと書きましたが、もちろん信頼できる人たちに話しました。ライルの場合は、この事故のせいで、心を許せる友人とか恋人とか出来なかったというか、作らなかったかも知れませんね。心を閉ざしてしまって。それが妹の言う、「女は使い捨て」みたいな表現になったのかも。それはリリーも同じだった気がします。刹那的な恋愛はあっても、アトラス以降は、本当に好きになった人は、いなかったと感じています。

 リリーに対して、かなり早い時期に話していたけど、患者の事例としてだったように思います。
 この時は、まさか恋仲になるとは思っていなかったでしょうから、カウントには入らないんじゃないかな?自分の事だとは言わなかったし。一生罪悪感を持って生きるとのセリフは、自分を重ねてでしょうけど。
 私は、ライルの両親の対応が、当時どうだったか、気になります。誰も悪くないけど、誰が悪いかと言えば、親です。自分たちの哀しみより、先ずは残ったライルのケアが先だと思いますよ。妹と仲が良いのは、この事故で、家族内で妹が何も責任がないからだと思います。でも哀しみは共有している。友人より誰より、妹が安らぎだったんじゃないかな。

 そこのところを深く解す」ることのできる稀有な女性だったからこそ
 そうですよね。自分の生い立ちとは違うけど、ライルの心の痛みに共感して寄り添ってくれる人です。私が自分の生い立ちで一番良かったと思うのは、他者の哀しみに寄り添える事です。親から離れて自立する人生の長さを思えば、嫌味ではなく、貴重な経験だったと、今は思っています。
 夫を選んだのは、そこだったのに、これがまるでダメ(笑)。自分の生い立ちや経験が、ほぼ全く人生に生かせていません。というか、生かす気が無いんです。悲惨な状況から目を背け、自分の背景には、何一つ欠落はないと、信じ込んでいる。思い込んでいるんじゃなくて、信じているの(笑)。劣等感を超えるためです。だから親も丸ごと肯定です。ある意味、妹と似ています。

 妹アリサが証していたプレイボーイぶりとは掛け離れた入れ込み方をリリーに対して見せるわけですよね
 愛する人を探していたんでしょうね。罪の意識から解放されるには、病める時も健やかなる時も、支え合う人を求めるのは、大正解だったのにね。

 娘への名付けにライルが感涙を流していた姿がとても印象深い作品でしたよ。
 リリーの愛情を痛感したんでしょうね。だから別れを受け入れたんだと思います。ちゃんとカウンセリングを受けて、いつか立ち直って、エミーに会いに行って欲しいです。

ヤマ(管理人)
 もちろん信頼できる人たちにというとこが重要ですね。ライルは、なかなか人に信頼を寄せる心情の持てない育ち方を余儀なくされたんでしょうね。特に親との関係のなかで。で、頼りにできるものはキャリアのみという感じになって医師になったような気がするし、女性に対しても「モテること」で己が証を立てる手段のようにする付き合い方を繰り返したんだろうな。おっしゃるところの劣等感(負い目)を超えるためですよね。
 エミーへの面会については、リリーは離婚をしても妨げないように僕は受け取ったなぁ。リリーが目撃しているのは父親の母親へのDVや不同意性交であって、リリー自身は威圧的に臨まれはしても暴力や不同意性交を課せられてはいないように思うし、日常を共にしない面談であれば、エミーに対して父親の負の側面を露呈させてしまう程の壊れ方をライルはしていないと観ていたような気がしたな。

(ケイケイさん)
 リリーは妨げないでしょうが、ライルが娘に恥ずかしくない父親になるのは、時間がかかりそうですよ。ほら、完璧主義者みたいだから(笑)。夫婦ではなく、エミーの両親として、穏やかな関係性が構築出来ると良いですね。

ヤマ(管理人)
 ライルが解れていく可能性は、むしろ娘との関わりのなかでこそ生まれそうな気がするんだけどね。手放しで愛情と信頼を寄せることのできる対象を初めて得たことが彼の更生の契機だと思う。でもって、それを日常性のなかで紡ぐのは難しいと観たからこそ、リリーは離婚の意思を明確にしたんじゃないかなぁ。

(ケイケイさん)
 そうそう、エミーの存在が、ライルを包容してくれるはず。私も離婚の理由は、ヤマさんと同じ意見です。愛していても、妻では無理なんでしょうね。

ヤマ(管理人)
 恋愛でも結婚でも、パートナーはパートナーであって手放しで愛情と信頼を寄せることのできる対象ではないもんね、やっぱ(笑)。
by ヤマ(編集採録)



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