『靖国神社 秘録 空白の戦後史』を視聴して
 https://www.web.nhk/tv/pl/editorial-tep-R23SRP2ADF/ep/WX4YKMIDFX
NHKスペシャル<NHK>


 富田メモが公表されて、昭和天皇が松平宮司によるA級戦犯合祀に憤慨して参拝を止めたことが明らかになったA級戦犯合祀問題について、どういう流れでそうなっていったかを明瞭に示した構成に感心した。
 ①「知られざる戦犯合祀の原点 1957-1959」
 ②「A級戦犯合祀の内幕 1966-1978」
 ③「終わらない“靖国問題” 1985-2026」

 もともと個々の遺族の要望に応える“厚生援護”として始めたはずの合祀が、個々の遺族の思いなど追いやった思想や体面に固執する政府、神社、遺族会、三者三様の思惑によって拗れて捻じれた現況に先行きが見えないままだったように思う。現在もなお、合祀が心の支えになっていたと述べる老遺族の声と併せて合祀取消請求をしながらも認められない状況を訴える遺族の声も紹介されていた。

 国家神道のもと軍部が所管していた靖国神社が一介の宗教法人化されていた①の段階で、旧軍人が官僚を務める厚生省厚生援護局の主導で合祀手続きが定められ、政府の送る名簿に基づいて合祀がされるなか、戦犯合祀を見送っていたものが諸般の事情からA級も含めた戦犯合祀を決定し実施しつつも、A級の合祀見送りを続けていた筑波宮司の死後、A級除外は一方的な東京裁判承認であり、それに従う意思を表明することになる神社の責任が重くなるとの青木参議院議員の発言に沿う形で松平宮司が強い意志をもって臨み、断行した証拠資料が文書及び録音テープに記録された音声によって示されていた。

 A級戦犯合祀を行なうことを説明する総代会で東条英機に先立ち筆頭に挙げられていた名前が「板垣征四郎大将」だったことが印象深い。松平春嶽の孫を筑波宮司の後任宮司に就任させる画策をしたのが板垣征四郎の息子で日本遺族会の事務局長を務めていた板垣正だったことが影響していたのだろう。満州事変にA級戦犯合祀問題と親子二代に渡って、後々まで日本に大きな影響を与える重大事案に加担した板垣親子の罪深さを思わずにいられなかった。

 富田メモにおいて東条英機の名と共に記されていたのは板垣ではなくて松岡だったが、その松岡洋右に言及される部分は一切なく、板垣に焦点が当たっていたところに、ある種の感慨を覚えた。

 秘匿資料の取材閲覧に応じた大塚現宮司には、今や空中戦のようになって地に足のついていない合祀問題論議によって現況に先行きが見えない状況を改善したい思いのあることがきちんと窺える番組だったような気がする。もしかすると、分祀は論外という状況を変えたい思いが密かにあるのではないかと思ったりした。

 すると大学の先輩から「靖国神社内部にもさまざまな葛藤があることがわかりました。神社内に民主勢力ももぐり込んでいるようです。 中国や韓国が、靖国参拝を嫌いますが、彼らは、靖国参拝の意味をよく理解しているからだと思います。日本の軍国主義復活を怖れているのでしょうね。(実は、日本の軍国主義は、戦後も生き延びている) 靖国神社は、天皇制の下部組織だと思いますが、その組織を昭和天皇は嫌っていたようで、複雑な気持ちになりますね。」とのコメントが寄せられた。

 これについては、昭和天皇は靖国神社という組織自体を嫌っていたのではなくて、むしろ松平宮司のしでかしたことによって参拝に行くわけにはいかなくなったことを悲しんでいたのではないかと僕は思っている。それにしても、かの中曽根首相が敢えて極東軍事裁判の受諾について歴史認識として言明していたことを僕は失念していて、番組を観て驚いたのだった。そして今また、現首相が敢えて村山談話に言及し、歴史認識としての継承を口にせざるを得ない事態を招いていることが、何だか二重写しになってくるように感じた。
by ヤマ

'26.10.16. NHK-ONE配信



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