
当寺院は、山号を龍澤山、寺号を祥雲寺と称し、小田原大雄山最乗寺住職輪番ならびに一万石の格式にて、大永6年(1526)8月、現在の神奈川県伊勢原市石雲寺第三世寥堂秀郭大和尚を請して開山とし、小田原北條家が武運長久祈願のためと檀信徒の帰依のためとに因って建立され現在に至っております。当時北條家より虎の判なる朱印地寄附の由緒があり、以後徳川家に至っては、家光・綱吉・吉宗・家重・家治・家斎・家慶・家定・家茂まで都合9通のご朱印地を寄附せられておりました。
「進上 祥雲寺衣鉢閣下 境内寺地七百0五坪 幕府判物写」
「武蔵國多摩郡高ケ坂村祥雲寺領同所拾五石事任先規寄附之訖全可収納并中門前山林竹木諸役等免除如有〔家光〕」
伽藍は、不幸にして享保年間祝融の災いを被り、また大正年間には、関東大震災の被害に被りながらも、当時の檀信徒の方々の寺院護持のお力により復興、昭和51年には、本堂客殿等の伽藍が完成、以後平成3年より寺院所有地の開発や建物等の整備が始まり、10年の年月をかけて全ての計画が終了し、平成14年12月念願であった檀信徒会館瑞祥閣が落慶いたしました。 |
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