死んだ女の子 |
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Kapıları çalan benim kapıları birer birer. Gözünüze görünemem göze görünmez ölüler. Hiroşima'da öleli oluyor bir on yıl kadar. Yedi yaşında bir kızım, büyümez ölü çocuklar. Saçlarım tutuştu önce, gözlerim yandı kavruldu. Bir avuç kül oluverdim, külüm havaya savruldu. Benim sizden kendim için hiçbir şey istediğim yok. Şeker bile yiyemez ki kâat gibi yanan çocuk. Çalıyorum kapınızı, teyze,amca,bir imza ver. Çocuklar öldürülmesin şeker de yiyebilsinler. |
私よ ノックしてるのは 家々のドアを 一軒一軒 でもあなたには見えないわ 死んだ子は目に見えないの ヒロシマで私が死んで もう十年が経った 私は今でも七歳 死んだ子は歳を取らないの 炎は初めに私の髪を そして瞳を燃やして 私は一握りの灰になった そして空へと飛び散ったの 物をもらいにきたのじゃない 私は何もいらないの 紙切れのように燃えた子には お菓子を食べることさえもうできない 私よ ノックしてるのは おばさん、おじさん、署名をしてください もう子供たちが殺されないために みんなお菓子を食べられるように |
広島の原爆投下にまつわる文学は日本国内でもたくさん生まれていますが、海外の文学者にも多大なインパクトを与えた出来事であったためかいろいろな作品が生まれていることはご存知の通りです。なかでも世界的に知られ、日本語にも翻訳されて今も広く知られているのはこのトルコの社会派詩人・ナジム・ヒクメットの作ったこの詩。日本では反戦運動が盛んだった1960年代に、飯塚広氏の訳に木下航二氏が曲をつけた「死んだ女の子」という題の歌としてうたごえ喫茶などでよく歌われていたようです(現在もあちこちのMIDIで聴けます)。そればかりでなく世界的にもいろいろなミュージシャンたちの創作意欲をそそっていたようで、調べてみるとけっこうな数の歌になっています。あのアメリカのフォークソングの大御所、ピート・シーガーの作品なんてのもあるようなので、これはこれでちょっと機会があれば聴いてみたいのですが、今回取り上げるのはまさに今話題となっている、中本信幸訳・外山雄三曲の作品。1966年の作で、このオリジナルは高石友也などのフォーク歌手たちが歌っていたものです。
今の騒ぎをご存知ない方のために補足すると、この夏終戦60年の節目に奄美出身の歌手・元(はじめ)ちとせが、坂本龍一プロデュースのこの曲を歌い、現在ネット配信のみで聴くことができること(Yahooのミュージックダウンロードなどで8/15までとのこと)。歌の収益はUNICEFに寄付されるということですので、私も早速に聴いてみることにしました。(注:上に載せている詞はそこで歌われている中本信幸訳ではありません。念のため)
ううむ...
心意気は買いたいのですが、ちょっと作りすぎなようなのが残念です。クラシックの作曲家がフォークソングのようなものを作ったやつを、テクノポップをしていた現代音楽家がアレンジして、奄美の民謡を歌っていたソウル系(?)歌手がシャウトする...二重にも三重にもひねりが効いたおかげでなんだか音楽の技巧だけが耳につき、この詩のメッセージがぼやけてしまったように私には聴こえました。どうせなら坂本さんに元さんが歌うことを前提に新たに曲を書いてもらった方が良かったかも知れません。外山作品はそれはそれで魅力的なのですがこのスタイルはちょっとミスマッチ感強し。
とそれはさておき
ナジム・ヒクメットは1963年に死去していますので日本の著作権法でいえばまだ保護期間内ですが、JASRACのデータベースでは「著作権消滅」となっていました。もしかしてトルコの著作権法での保護期間が50年より短いためではないかと思ってちょっと調べてはみたのですが、英米ならともかくトルコの著作権法を調べるのはさすがに難しく確認できませんでした。まあそれでも少なくともトルコ語の原詩から自分で頑張って訳したものであればJASRACからのクレームはこないであろうと期待して(来たら筋違いだが)私オリジナルの訳を上に載せます。といいつつもトルコ語の原詩だけから訳すのは私には不可能ですので、さまざまなサイトにある既訳を参照させて頂きながら、トルコ語オンライン辞書で単語を引き引きなんとか仕上げてみました。参照したいろいろな既訳も訳者の思い入れをそそる詩のためか原詩にない言葉をあちこち散りばめ、けっこうブレがあって興味深かったです。一番参考になったのはアメリカのRice大の詩のサイト。ここでは英語版の最もポピュラーなやつを肴にいろいろ議論がなされ、トルコ語に詳しい人が原詩とかなり詳細な対訳を載せて下さっているのでたいへん助かりました。
http://www.cs.rice.edu/~ssiyer/minstrels/poems/742.html (原詩はここでご覧ください)
これからすると、詩の題名は「小さな女の子」とするのが適当なようですね(原題:Kiz Cocugu)。「死んだ」を入れないさりげなさが一層悲しみをそそります。
この作品、他にも「死んだ少女」という題で、江間章子訳・猪本隆作曲のものや、峯俊夫訳・清瀬保二作曲のものなどもあるとのことです。猪本作品はCDが出ています。またトルコのアーティストでは、ズルフュ・リバネルという歌手(&映画監督&文学者&政治家というマルチタレント)が1975年に作ったものがあり、トルコでは国民的な歌になっているそうです。ネットを探したらオンラインで試聴できましたが、こちらはオリエンタル情緒満載のポップミュージック。ところどころ単語を辞書で引いていたので、原詞を見ながら聴くと結構しみじみくるものがありました。元さんにはこんな雰囲気の歌の方が合っていそうです。そして坂本さんにも合ってそう。キャンペーン曲もこちらにすれば良かったのに...
あんまり外山作品の紹介になりませんでしたね。でも私はこの有名な詩のことが詳しく調べられたので満足です。
この記事から10年余りがたち、ヒクメットの著作権が日本では切れました。上記のリンクが切れていることもありますので原詩を掲載致します。この歌がトルコ語で歌われるわけではありませんが...(2016.06.16)
( 2005.08.05 藤井宏行 )