道は六百八十里 |
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道は六百八十里 長門の浦を艦(ふなで)して 早や二とせを故郷の 山を遙かに眺れば 曇り勝なる旅の空 晴さにやならぬ日の本の 御国の為と思ひなば 露より脆き人の身は 茲(ここ)が命の捨どころ 身には弾傷剣傷 負へどもつけぬ赤十字 猛き味方の勢ひよ 敵の運命究りて 脱ぎし冑を戟の先 串(さし)てぞ還る勝利軍(かちいくさ) 空の曇も今日はれて 一層(ひとしほ)高きふじの山 嶺の白雪きゆるとも 勲を建て丈夫(ますらを)の 名誉(ほまれ)は永く竭(つき)ざらん |
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元々は兵士の間から自然発生的に歌われるようになった俗謡調の歌を、より西洋式の軍歌にしようと永井が書き換えたもののようです。もっとも日本人の感性にはあわなかったのかその後も俗謡調の節のままで歌い続けられることの方が多く、現在録音が残っているものもほぼずべて俗謡調のオリジナル(何をもってオリジナルと言うかは問題ですが)のようです。Wikiをはじめいくつかのサイトでは三善和気の作曲した「凱旋」のメロディで歌われるという記載もありましたが私が調べた限りではこの「凱旋」のメロディとよく歌われる「道は」のメロディとは違うようなので(断定できるほど調べたわけではありませんが)オリジナル俗謡説を取りたいと思います。
( 2016.12.09 藤井宏行 )