戦後 |
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さむ潮(しほ)のからふと こるさこふ砲火に さびたりや焼跡 漁人(あま)もなき磯辺に なほまもるあはれや 痩犬の海を見て |
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1910年7月ベルリン留学中の最初の頃の作品で、同じ日に耕筰は露風の詩による「嘆」も作曲しています。殺伐とした風景を描き出してどんよりと重たい雰囲気のこの曲を書いたのはひとり異郷の地にある孤独感からでしょうか。タイトルは「戦後」とありますが、舞台はサハリン南端の都市コルサコフ(日本名:大泊) 1905年7月に日露戦争の終盤を有利にするために日本軍が侵攻します。少数の駐留兵しかいなかったロシア軍はゲリラ戦を展開しますが結局その月の末には日本軍が全土を制圧 それから間もない頃の光景でしょう。詩を書いた小林愛雄はこのころ20代半ば、実際にこの地に赴いたのかどうかは分かりませんでしたが、ある程度見ていないと書けなさそうな詩ではありますね。
( 2015.10.03 藤井宏行 )