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母の歌    
 
 
    

詩: 板谷節子 (Itaya Setsuko,-) 日本
      

曲: 橋本國彦 (Hashimoto Kunihiko,1904-1949) 日本   歌詞言語: 日本語


ごらんよ 坊や あの海を
沖は朝凪 お陽さまよ
坊や海の子 すくすくと
潮の息吹で 育つわね

ごらんよ 坊や あの山を
峰は白雪 青空よ
坊や山の子 手を振って
今にあの峰 登るわね

ごらんよ 坊や あの旗を
風はそよ風 日の丸よ
坊やも起って 高らかに
今に君が代 歌うわね



1937年(昭和12年)のNHKの国民歌謡で歌われ、そのメロディや詞の美しさから戦後もしばしば歌われる橋本国彦の傑作です。母親の子供にかける優しい言葉がとても穏やかな曲に乗って歌われています。作詞者の板谷節子に関しては経歴など調べ切れませんでしたが、JASRACの管理楽曲にはなっていないようでしたので歌詞も掲載させて頂きました。問題があればお知らせください。
この曲で興味深いのは3番の歌詞、実は現在出ている楽譜ではこの節は削除され、容易に聴くことのできる関定子さんや米良美一さんのCDでは聴くことができないのです。まあ歌曲の1節や2節を省略して歌うことはよく行われることなのでそのことに目くじらを立てるつもりはないのですが、削除されている部分の詩の内容が内容なだけに、この削除に関しては考えさせられるところ大ではあります。
今頃は学校の卒業式などで日の丸を掲揚して君が代を歌うのを義務化するであるとか、それに従わない教師を処分するだとか、なんだかあまり美的でないやり方で愛国心を鼓舞しようとしているようですが、そんな短絡的なことではなくて、もっと昔の日本の人たちが愛国心の自然な発露を表現していたものを掘り起こしてきてきちんと教える、という方がよほど若い世代の愛国心の涵養には良いと思うのですが、あんまりそういう手間のかかることは考えて下さらないようです。この詩を書いた詩人がはたして時流におもねってこのような歌詞を書いたのか、それとも集団ヒステリーのようになっていただけなのか、あるいはこの時代にはこれが自然な気持ちの発露であったのか、一度これを3番までちゃんと聴かせて考えさせればおのずと分かりそうな感じですけれどもどうなのでしょうね。確かに昭和19年の「勝ちぬく僕等少国民」までいくと集団ヒステリーの感じが強くなりますがこれは太平洋戦争も末期の歌、この「母の歌」からは7年も経っています。
藍川由美さんの橋本国彦歌曲集ではこの曲をきちんと3番まで歌っています。また問題の「勝ちぬく僕等少国民」や「国民協和の歌」(詞:中央協和会・大政翼賛会)など、彼の作品の中でも今や封印されている2曲が収録されていて、この橋本国彦が時代の中でどのような作品を生み出してきたのかの全貌がわかるようになっています。これらを聴かれた上で「こんな曲を書いていたのだから戦後断罪されて当然」と思うかどうかは聴き手の自由ですが、私は今だけの限られた価値観で過去を断罪することはとてもできませんでした。
そして多くの方はこれらに触れることもなく、ただなんとなくのイメージだけでこういったものを忌避しているのではないでしょうか。藍川さんの勇気ある発掘に感謝しつつ、ひとりでも多くの方に聴いて・考えて頂ければと思っています。この3番の歌詞が完全に封印されるべきものなのかを...

( 2007.01.02 藤井宏行 )


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