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Ballad    
 
忘れられし者〜バラード  
    

詩: ゴレニーシチェフ=クトゥーゾフ (Arseny Golenishchev-Kutuzov,1848-1913) ロシア
      Баллада

曲: ムソルグスキー (Modest Petrovich Mussorgsky,1839-1881) ロシア   歌詞言語: ロシア語


On smert’ nashel v kraju chuzhom,
v kraju chuzhom,v boju s vragom,
no vrag druz’jami pobezhden,druz’ja likujut,
Tol’ko on na pole bitvy pozabyt,odin lezhit.

I mezhdu tem kak zhadnyj vran p’et krov’ ego iz svezhikh ran
i tochit nezakrytyj glaz,
grozivshij smert’ju v smerti chas,
i nasladivshis’,p’jan i syt,doloj letit...

Daleko tam,v kraju rodnom,
mat’ kormit syna pod oknom:
“Agu... agu! ne plach’,synok,vernetsja tjatja!
pirozhek togda na radostjakh druzhku ja ispeku...“
A tot zabyt,odin lezhit.

彼は死を迎えている、この遥か異国の地で、
この遥か異国の地で、敵との戦争の中
敵は彼の仲間によって打ち破られ、仲間たちは歓呼の声を上げたのだが、
ただ彼だけがこの戦場の中、忘れられ、ひとり横たわっている

貪欲なカラスがやってきて彼の血をすする、できたばかりの傷口から
そして見開かれたままの眼をつつく
もうすぐ迎える死の恐怖に見開かれた彼の眼を
ひとしきり楽しみ、食事に満足したやつは飛び去っていく...

遠く離れた故郷の国では
母親が息子に窓辺で乳を飲ませている
「よし、よし!泣くのはおやめ、坊や、お父ちゃんは帰ってくるよ、
そしたらお祝いにピロシキを焼きましょうね…」
だが彼は忘れ去られ、ひとり横たわっている


戦争映画などではよくありそうなシーンですが、貪欲なカラスがまだ死にきっていない男の体を食べにくるところの描写は鮮烈です。そしてそのあとの故国に残された妻と息子の情景が涙が出るほど美しい旋律で書かれているので、打ち捨てられた男の無念さを歌うかのような激しい部分とのギャップがとても強烈でひたすら心に刺さってきます。視覚的なイメージの強いこの詩と曲、実際ムソルグスキーたちがインスピレーションを受けたのもトルコとの戦争を描いたヴァシリー・ヴェレシチャーギンの絵「忘れられし者」(1871)なのだそうで、1874年に作曲されたこの曲は画家に献呈されています。
どんな絵だか非常に興味を惹かれましたのでネットで検索しましたところ、ここにありました。
ロシア語のサイトで探しにくいと思いますのでアドレスを貼り付けておきます。

http://www.rusmuseum.ru/ru/exhibitions/vereshagin/zabitii-w.html

まさにこの歌の前半の情景そのままですね。ただこれに詩と音楽が付くことで遥かに鮮烈なものとなりました。
画家は日本にも訪れたことがあるようで、他にも日本の僧侶などの肖像画もありました。また日露戦争に巻き込まれて亡くなるなど、奇妙に日本との関係も深い人です。そんな画家がムソルグスキーと交流があって、こんな曲まで作られていた、という因縁の深さにも驚かされます。

ヴィシネフスカヤ(Erato)の歌ったのが、前半の重々しさと、そして母親の子供に話しかける部分の神々しいばかりの優しさとの対比が見事でたいへん心に残りました。「死の歌と踊り」に関連の深い曲、もっとひろく聴かれても良いように思います。戦争のひとつのリアリティをイメージするためにも。そして過去の幾多の戦争でこのように死んでいった多くの兵士たちの無念さを感じ取るためにも...

( 2006.07.30 藤井宏行 )


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