Bleuet FP 102 |
矢車菊 |
Jeune homme de vingt ans Qui as vu des choses si affreuses, Que penses-tu des hommes de ton enfance? Tu connais la bravoure et la ruse, Tu as vu la mort en face plus de cent fois, Tu ne sais pas ce que c'est que la vie. Transmets ton intrépidité A ceux qui viendront après toi. Jeune homme,tu es joyeux, Ta mémoire est ensanglantée, Ton âme est rouge aussi de joie. Tu as absorbé la vie de ceux Qui sont morts près de toi. Tu as de la décision. Il est dix-sept heures et tu saurais mourir, Sinon mieux que tes aînés, Du moins plus pieusement, Car tu connais mieux la mort que la vie. O douceur d'autrefois, Lenteur immémoriale. |
はたちの若者よ とても恐ろしいものを見てきた若者よ きみが子供の頃の大人たちをどう思うかい? きみは勇敢さも狡猾さも知っている きみは百回以上も死と向き合ってきたけれども きみは生きることが何かだけは知らない きみの不敵さを伝えてくれ きみのあとから来る者たちに 若者よ、きみは明るい きみの記憶は血まみれだ きみの心臓も喜びで真っ赤だ きみは命を吸ったのだ きみの傍らで死んだ者たちの きみがそう決心したんだ 夕方5時にはきみは死ぬかもしれない きみの先輩ほどうまくはないにしても 少なくとも敬虔には死ねるだろう なぜならきみは生きることより死の方をよく知っているから おお、はるか昔の優しさ 忘れがたき安らかな日々よ |
「矢車菊」という邦題がついていますが、俗にこの花のことを矢車草と思っている人も多いようです(実は私もそのひとりでした)。それと詩にはこの花のはの字も出てきませんが、これはBleuetというのが第一次世界大戦に出征した兵士たちのスラングで新入りの兵士のことをこう呼んでいたためなのだそうです。
詩人のアポリネールもまた第一次大戦に出征していましたから、こんな戦場の人間の心を鷲掴みにしたような鋭い詩が書けたのでしょう。なお、詩はアポリネールが好んでよく書いていたカリグラム(文字を図形状に配置して視覚的なイメージをも喚起する詩の作り方。この形で書いた詩集「カリグラム」もプーランクが作曲した歌曲集で知られていますね)で書かれています。
内容を読み取ろうとすると非常に見にくいのとその形のフォームを作るのが大変なのでここでは普通の詩の形で書き表しましたが、どんなものかご興味のおありの方はEmily EzstのLied and Text Pageをご覧ください。
「きみは百回以上も死と向き合ってきたけれども
きみは生きることが何かだけは知らない」
の節が左上から右下に大きく斜めの線を描いて書かれており、その前後の部分が右上と左下に固まりとなって配置されています。全体として眺めてみると銃を担いでいる兵士の姿のように私には見えましたが皆さんはどんなイメージを持たれますでしょうか。
さて、この詩にプーランクがつけたメロディは穏やかに優しく語りかけるようなもの。ほのかな悲しみをたたえながらも決して激しくいきり立つことはありません。最後にまだこんな戦いなんて知らなかった安らかな頃を思い起こすところなど涙が出ます。
作曲が1939年10月といいますからまさに第二次大戦が起きたばかり。詩のアポリネールの第一次大戦と合わせふたつの世界大戦に関わる悲しい文化遺産となってしまいました。スイスのテナー、ユグ・キュエノーがこの曲とルイ・アラゴンの「セーの橋を渡って」、そしてオルレアン公の「平和への祈り」とプーランクの戦争にまつわる傑作歌曲3つを纏めて録音しているNimbus盤を聴いてその素晴らしさに改めて感動。テナーによるプーランクの歌曲ってあまり聴けないのですが実に良いです。そういえばEMIの歌曲全集ではテナーのニコライ・ゲッダ、こちらも秘めた熱情が感じられて味わい深かったです。Deccaの全集ではソプラノのフェリシティ・ロット、女性の澄み切った声で聴くのもまたいいものがありますね。
( 2006.05.03 藤井宏行 )