『義士文通』について

田中光郎

 片島深淵の『赤城義臣伝』(以下『義臣伝』)は『通俗演義赤城盟伝』(以下『通俗演義』)を「本拠」として述べたものと言う。『義臣伝』には『通俗演義』所引の書として『義士文通』を挙げ、本文中にも『義士文通』から引用した文書を載せている。この文書に『堀部武庸筆記』(以下『武』)と重複するものが多いが、このたびの『通俗演義』の翻刻により、その関係性が一層明らかになってきた。
 『義士文通』の実物は確認されていないので全容を知ることはできないが、『通俗演義』の「巻首」に「恐堀部家の反古堆中に出る者か」とあり、堀部家との関係が推定されている。以下、『武庸』にみえる文書と『通俗演義』『義臣伝』を、それぞれ通番を打って対比してみよう。

武庸日付差出人宛名通俗義臣備考
武114.4.20大石三士銘々通1義1
武214.4.25原・小山ら5人三士銘々通2義2通・義21日
武314.5.19三士大石・奥野ら7人通3義3
武414.6.19三士大石通4義4
武514.6.18堀部安小山通5義5
武614.6.12原・大石三士通6義6武2の返、通・義13日
武714.7.8三士大石武6の返
武814.7.3大石三士 武4の返
武914.7.13大石三士
武1014.7.22大石三士 武7の返
武1114.8.8堀部安大石武10の返
武1214.8.19三士大石武9の返
武1314.10.5大石三士武12の返
武1414.10.29三士(誓紙案)
武1514.11.8大石三士通7義7
武1614.12.10中村・潮田三士
武1714.12.5小山三士
武1814.12.27三士大石以降高田無判
武1914.12.27三士中村・潮田通8義8武16の返
武2014.12.27三士原・大高
武2114.12.25大石三士
武2214.12.25大石堀部弥通9義9
武2315.1.26堀部安・奥田大石通10義13武21の返
武2415.1.26堀部安・奥田原・潮田ら4人
武2515.1.22堀部安小山
武2615.1.26堀部弥大石通11義14武22の返
武2715.1.三士通12義10通・義15日
武2815.1.17大高三士通13義11追伸武20の返
武2915.1.30堀部・奥田大高武28の返
武3015.1.25大石三士 武18の返
武3115.1.24三士通14義12武20の返
武3215.2.3大高三士通15義15
武3315.3.6篠崎・森堀部安
武3415.3.9長江・馬淵・奥田池田武35の返
武3515.2.16池田堀部弥・安・奥田
武3615.2.21中村・大高ら4人堀部安・奥田
武3715.3.9長江・奥田原・潮田ら4人武36の返
武3815.3.4堀部安通17義17
武3915.3.2武林堀部安通16義16
武4015.4.2長江・奥田通18義18武37の返
武4115.5.3長江・奥田武40の返
武4215.6.12長江原・潮田ら5人通19義19
武4315.5.21池田堀部父子ら4人
武4415.6.15長江・馬淵ら4人池田武43の返
武4515.4.10武林堀部・奥田
武4615.5.17脇屋・原田堀部・奥田
武4715.5.20奥田・長江

 『武庸』に載せる47通のうち、19通が『通俗演義』『義臣伝』に採録されている。『通俗演義』と『義臣伝』は、一部順番を入れ替えているものの(文書自体の日付順に並べ替えたと思われる)完全に一致しており、全部載せる方針だったと思われる。
 『通俗演義』はしばしば『義士文通』の引用として、一部の書状を省略した旨を書いている(備考欄※の書状の後になる)。その弁明は、『義臣伝』もそのまま引き写している。野村逸民も片島深淵も全部採録する方針であったことを意味するだろう。おそらく『義士文通』に載せていたのもこの19通のみだった。換言すれば、『武庸』から19通を抜粋して『義士文通』を編集した誰かがいたということである。