久我山昔話





久我山の医者
昭和 4年(1929)のころ、大宮前〔今の宮前〕の開業医は、医者(7)・ 歯科(1)・産婆(3)で11 名がおった。久我山の医者は、久我山稲荷神 社の西隣の佐竹健輔(さたけけんすけ)先生が一人だった。何でも 診(み)てくれて、出産も取り扱っていたんだ。今は、故人となり、 久我山共有墓地に健輔居士(けんすけこじ)という戒名を自分で選んで眠っている。(平成24 年6月 41)


三輪自動車
久我山で自動車を使い始めたのは、昭和の初期で、 泰勝右衛門さん[沢庵(たくあん)を運送]・大熊浅五郎さん〔農業〕・泰一照さん〔肥 料運送〕・庄司正利さん〔煙草配送の中古車で石材運送〕の順だっ た。 砂埃を上げて、砂利道を時速20 キロで走っていたんだ。
泰勝右衛門・大熊浅五郎さんの車は、大戦で軍に提供させられた。 ダイハツの三輪自動車だった。 (泰幸次・大熊友晴さん談)(平成29 年2月 96)






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