久我山昔話






久我山のホタルと鯉
昭和 20 年代(1945~)は、神田川からホタルが、たくさん飛んだ もんだ。春に神田川の流れを堰で止め、用水路から田に水を張るん だ。秋の稲刈り前に堰を切り、田の水を抜くんだ。
田の水切りの日は、大人も子供も網を持って、用水路で鯉(こい)・ 鮒(ふな)・うなぎ・なまず等(など)をたくさん掬った(すくった)も んだ。 川から200mも離れている所(現久我山5 丁目 35 番)までホ タルが飛んでいったのじゃ。(小作喜太郎氏談) (筆者の家にもホ タルが飛んで来て、蚊帳(かや)にいれ楽しんだ)(平成 22 年10 月 22)

みすぎ橋
井の頭池から、11 番目の橋が、みすぎ橋なんだ。
歩行者専用橋で、右岸が三鷹市井の頭1丁目・左岸 は杉並区久我 山3丁目になっている。 この橋が出来た時の久我山南自治会長の 秦吉麿さんは、三鷹(み)と杉並(すぎ)の間だからと、みすぎ橋 の 名前を推薦したんだ。 秦さんは、清水橋(17 番目)の名前も提案している。(平成 31 年3月 121)

久我山の澤蟹
久我山橋の少し下流に清水橋(しみずばし)が有るぅんだ。昭和 20 年代まで、神田川の南側の崖下に清水が湧き出て流れておったの で、 橋名を清水橋が良いと秦吉麿・庄司芳昭の両氏が、相談して決めたぁんだ。
その清水には澤蟹(さわかに)がシャカ・シャカと動いておったの だ。ホタルの幼虫も、おった。
今はもう湧き水が枯れてしまって、清水はのぉうなってしもおう た。(平成 25 年4月 51 と平成 22 年12 月 24 を編集)





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