トップページのアインシュタインの考えたことを図で示して、特殊相対性理論のミスを指摘します
上図のFig.1は物体の場合で、Fig.2は光の場合です。
いずれも共通の事象として、架台ACは図で右方向に速度 v で等速直線運動しています。t 秒後にA’Dの位置にきます。
いま、物体をAからCに投げると、架台の上に居る観測者は「AからCに物体は飛んでいった」と報告します。これが20世紀物理学および相対論の言う「等速直線運動は絶対静止と区別出来ない」ということです。
一方、これを紙面上から観測すると、物体はAからDに飛んで行きます。これがガリレオの相対性原理です。t 秒後の位置を書いてあるので、この三角形はどの長さも t 秒後となっていて、何の矛盾もありません。
問題はFig.2です。
@AからCに向けてレーザーパルスを発射すると、Cには到達しません。なぜなら架台ACは動いているからです。しかし、アインシュタインは「等速直線運動は絶対静止と区別できない」としているので、「Cに行く」としています。ここですでにアインシュタインは間違っています。
Aしかも、紙面上から観測すると、「AからDに行く」としています。アインシュタインは「すべての物理法則は同等である」と考えたからです。これを「アインシュタインの特殊相対性原理」と言います。ガリレオの相対性原理を光にまで拡張したものです。しかし、レーザー光はAからDには飛んで行きません。
Bマイケルソン・モーリーの実験で使った光は球面波です。したがって、その光はDに届きます。しかし、Cに届く光と、Dに届く光は異なる情報を持つものです。当然時間的にも異なるものです(cΔtの長さ)。
ところがアインシュタインは、「t 秒後に光はDに届く」としました。これが有名な「光速度不変の原理」と呼ばれるものです。v がいかなる大きさであろうとも関係なく、AD=ct だ としたのです。
(トップページのFig.1「L、vt、ct、光の直角三角形」参照)。
以上でお分かりのように、Fig.1とFig.2は異なる物理現象であるにも関わらず、これを「同じ」として数式展開して、さまざまの矛盾をすべて「時間」を変えたり、「長さ」を変えたりして辻褄を合わせていくものが特殊相対性理論なのです。
特殊相対性理論の内容は近似的にはニュートン力学ですので、正しいような錯覚をしていますが、そのじつ本当は間違った理論です。
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追稿(2001年1月19日/2月19日)
早速、本ホームページによって相対論の間違いが更によく分かったというお便りを数通頂戴致しました。有り難うございます。
しかし、1通だけ「あのアインシュタインがまさか間違っていただなんて信じられない。・・・(以下省略させていただきます)」というお手紙もありました。
じっくりと拝読しますと、やはり根本的な部分、すなわち「等速直線運動は絶対静止と区別できない」という20世紀物理学の根幹をなす考えに固執していることがよく分かりました。20世紀エレクトロニクスでは「区別できる」となっているので、この辺をもう一度詳しく説明いたします。
まず上図Fig.1物体の場合をじっくり考えてください。
AからCに向けて物体を投げた場合、投げた場所はAですね。
t 秒後に受け取った場所はどこですか?
架台上の観測者は「Cだ」と答えます。静止系(ここでは紙面)を定義した観測者は「Dだ」と答えます。
すなわち、ACという架台上の観測者は自分たちが動いているか動いてないかは無関係に「物体はAからCに飛んでいった」と報告します。
このことは(ここが重要です)、A’からDに行ったことと等価的に同じです。
なぜなら “Aという場所” は t 秒後はA’にあるのだから。また “Cという場所” は t 秒後にはDにあるのだから。
これが20世紀物理学の「等速直線運動は絶対静止と区別出来ない」ということでガリレオの相対性原理です。
Aで物体を投げたことは事実なのですが、A’で投げてDで受け取ったことと何ら変わらない事象です。これが何度も述べている「等速直線運動は絶対静止と区別出来ない」ということなのです。
“物体” の場合は “等速直線運動は絶対静止と区別出来ない” ですから、これは正しいです。20世紀物理学はこのようになっています。これがガリレオの相対性原理です。
これをそっくり光にまで拡張したのが「アインシュタインの特殊相対性原理」です。
次のFig.3光の場合Uをご覧になると、特殊相対性原理の間違いが一目瞭然だと思います。
Aポイントで球面波を発射して、t 秒後の波面はどこですか? 波面1ですか?
波面2ですか?波面3ですか?
t 秒後に “光源という物体” がA’ にあるからと言って波面は「波面3」になるのですか?「そうだ。波面3だ」としているのが、アインシュタインの特殊相対性原理と呼ばれる仮定です。なぜアインシュタインがそう考えたかは、何度も述べているように「等速直線運動は絶対静止と区別出来ない」としているからです。
“物体”と “光” を同じとして扱っているのです。
さらに「架台AC系も光速度は c」、「定義した静止系(ここでは紙面)でも光速度は c」としています。これが有名な光速度不変の原理と呼ばれる仮定です。
だから、AC=A’D=ct であると同時に、光速度 c で球面波がAから
“D” に t 秒後に届いていることになってしまうのです。
(トップページの有名なFig.1「L、vt、ct、光の直角三角形」参照)。
“届きもしないものが届いていることになっている” のです。
この矛盾を逃れるためには、どうしても「時間」を変えなければなりません。「架台AC系と、飛んで行ったADの長さは異なるのに、同じ t では困る。ゆっくり光は飛んだことにしよう」と勝手に t と t’ に時間の流れを変えて “届きもしない光を届いていることにした” のです。
これが「アインシュタインの特殊相対性理論」です。
20世紀エレクトロニクスでは、波面1,波面2,波面3の区別が出来ます。
「区別出来ない」などと言うと、エレクトロニクス技術者に怒られます。
根本的に間違った発想を正しいことにして、“時間” を変えたり “長さ” を変えたりして辻褄を合わせてニュートン力学を書き換えてきたのが特殊相対性理論です。
じつは今(2001年5月22日)、思い出したのですが、1993年に「アインシュタインの相対性理論は間違っていた/徳間書店刊」 を出版した直後、新潟県のある高校生(膨大な手紙の中から探すのは困難なので実名が分かりません、ご容赦ください)からお便りがきまして、上述したFig.3 光の場合Uの「波面3」について、『アインシュタインは波面3と考えてしまったのですね。特殊相対性理論の間違いは、こんなところにあったのですね。』と、さりげない手紙をくれた覚えがあります。私は、凄い!、あっという間に高校生がアインシュタインのミスに気が付いたんだ、と驚くばかりでした。この図は彼の手紙にあったものですので、私のオリジナルではないことを、ここに記しておきます。
「時間」はどの系も同じで、「相対的に光速度」が受光系の動きで変わるというのが、正しい物理学でしょう。
(窪田登司/2001年1月19日/2月19日)
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ハンス・ライヘンバッハ
(この項2001年1月22日追稿/窪田登司)
上記説明で、“実際には届いてないものが届いていることになっている” ことがお分かりになったでしょうか。
こういうミスから光速度が世の中で一番早い速度であることになってしまうのです。1ナノ秒でたったの30cmしか進まないスピードが世の中の最高速度だと限定することになるのです。
ここで、講談社学術文庫の『相対性理論の誕生』(ハンス・ライヘンバッハ著)の中から、興味ある記述をご紹介しておきましょう。このハンス・ライヘンバッハはアインシュタインに教わった受講生5人のうちの1人だったそうです。ご存じかも知れませんが、事務員であったアインシュタインは学校の先生になりたい一心で、例の一般相対性理論を作ったそうです。
『二つの異なった地点A、Bがあるとする。光信号が12:00にAから発射されるとする。この信号はBで反射されて、Aに12:10に戻ってくるとする。この場合、いつBに光信号は届いたのか。アインシュタインによれば、これは実験では決められない。定義によってしか決めることができない。アインシュタインによれば、Bに光が到達するのは12:00から12:10までの時刻であれば、どの数字を選んでも良いのである。
そこで、光がBに届いた時刻を12:02だとしよう。いま、距離ABを進むのに、光より3分少なくてよい信号Xがあると仮定しよう。そうすると、光がBに
12:02に到着するとき、もう一つの信号 X は、それより3分早いから
11:59に届くことになる。両方の信号はちょうど12:00にA地点から送り出されたのに、これは奇妙である。信号XはAを出る前にBに届いていることになる。同時性を規定すると矛盾に陥る。しかし、それは「光より早い信号Xが存在する」という仮定を設けたからである。アインシュタインによれば、こうして光より早い信号は存在しないのである。』
こういう説明を読んで、「おかしい」と思ったのは世界中で私だけだったようです。何が「おかしい」かと言うと、前半は物理学ではないのでお話になりませんし、後半は「光が X より先に12:02にBに到達していることを先に決めてから話を進めている」のです。分かりますか?私の言っていること。
アインシュタインという人は、こういう論理展開つまり、先に「こうなる」と断定してから、巧みに話を持っていく、あるいは巧みに数式展開をすることの上手な人だったようです。人々がハマリ易い論法です。
相対性理論の教科書には、こういう論法がよく見受けられます。たとえば、有名な E=mc2 を導出する部分ですが、最もポピュラーなやり方はローレンツ変換を使い、近似式から適当に項を捨てて、「これが静止エネルギーだ」とするものですが、これってローレンツ変換は正しい数学だと断定して誘導するやり方です。アインシュタイン流です。
こうではない計算では、E/c=運動量というのがあります。
ある相対論の教科書の一部をご紹介しますと、
『E/c=Mv
ここで、・・・・途中略・・・M=m(L−x)/x、・・・途中略・・・x=vt=L−ct を代入して、E=mc2 を得る』というのがあります。
または、別の相対論の参考書では『E/c=mc ゆえにE=mc2 である』
というのもあります。
私も30年以上、こういった計算を正しいと信じていましたが、注意深く考えると「おかしい」ことに気が付きます。
それは「光のエネルギーをEとする。光には運動量がある。ゆえにE/cは運動量である」とする論法です。
「光には運動量がある」というくだりは実験から確かめられているので正しいです。しかし、「E/cは運動量である」は正しいですか?
光のエネルギーには熱エネルギーや運動エネルギー、網膜を刺激する量子エネルギーE=hν(ハー・ニュー)などがあります。それを光速cで割ったら、なぜ運動量なの?
話を飛躍させて、しかもその根拠のない飛躍した部分を「正しい」と決め込んで計算をすれば、目的の式に容易に持っていけるのは当然です。上述した「ハンス・ライヘンバッハの論法」となんら変わらないです。
相対性理論の恐ろしさは、こういった屈曲した論法を「正しい」と人々に植え付ける魔力にあるように思われてなりません。
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追想
私は少年の頃、アインシュタインに憧れ、畏敬の念を持ってアインシュタインを尊敬していました。15,16歳の頃です。その頃、私はアインシュタインの言うように「光のスピード以上にはならない」と考えました。なぜそのように考えたかは、少年ながら次のようなことでした。
もし、2機のロケットA、Bがあり、互いに反対方向に光速に近い速度で飛んでいった場合、ロケットAとBは光速以上のスピードで離れるため、互いに通信は出来ないからだ、と思ったのです。
光のスピードつまり電波のスピード以上の早さで離れて行くのだから通信は不可能だと思ったわけですね。通信が不可能ということは、そういうものは無いということと同じです。互いに相手のロケットの存在を確認するためには、どうしても光速以下のスピードでなければ不可能ですね。そのように、たかし少年は考えたわけです。
こうしてアインシュタインの速度の加法則つまり光速以上にはなり得ない式を正しいとして、長年の間、相対性理論を信じてきたのです。
しかし1993年に「それはちょっとおかしい」ということに気が付きました。(c−Vcosθ)を発見したときです。ロケットA、Bがたとえ光速以上の早さで離れて行っても、たとえば 1.5c のスピードで離れて行っても、「通信は出来る」と気が付いたのです。なぜかと言うと「光速は一定」だからです。片方のロケットのスピードが光速以下であれば、信号(光/電波)は必ず届きます。もう片方のロケットも同様です。光速以下のスピードであれば信号は届きます。つまりAとBの相対速度がたとえ 1.5c であっても通信は可能です。
もし光速がロケットの速度に依存するのでしたら、たかし少年の考えたことは正しいでしょう。でも、マイケルソン・モーリーの実験をじっくり研究すると、光速は一定であることが分かったし、さらに20世紀エレクトロニクスで “光速は光源の運動には依存しない”(つまりベクトル合成されるべき性質のものではない)ことがはっきりと証明されているので、もはや、たかし少年の考えは通らないです。
これは言うまでもなく、アインシュタインの速度の加法則は破綻していることであり、相対論の崩壊を意味します。
もしロケットAが(またはロケットBが)、光速以上で飛ぶと、光を(電波を)使った通信は不可能です。なぜなら光(電波)は届かないからです。しかし、そういう事態を経験するのは困難だと思います。というのはロケットは光速になった瞬間に大爆発する可能性があるからです。この件は小生のホームページ別項で述べました。
もし仮に500年後、1000年後に人類が何らかの方法で、光速を越える瞬間を克服できれば、光速以上のスピードで宇宙旅行できるようになるやも知れませんが、それは夢として21世紀の私たちとしては心の奥にとどめておくことにしましょう。
いずれにしろ、ロケットAとBの相対速度が光速を超えても何ら不都合はないことが(c−Vcosθ)によって明らかになったと思います。いかがでしょうか。
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「L、vt、ct、光の直角三角形が元凶」
一般の人々には難しい数式ですが、専門に相対論を勉強した方には、ご理解できる特殊相対性理論の出発点になった式を、ここでご紹介しておきます。
何度も述べていますトップページFig.1「L、vt、ct、光の直角三角形」については、こういう三角形は数学的にも物理的にも存在しないわけで、その図形証明を上記Fig.2やFig.3で示しました。
この存在し得ない三角形(数式でいうと、L2+v2t2−c2t2 =0 は不変であるというアインシュタインの考え)から、特殊相対性理論の基礎になった次の方程式が考え出されました。
ds2=dx2+dy2+dz2−c2dt2
を不変とする。ここで、4次元座標(x、y、z、ict)軸のうち、dy=0、dz=0とすれば、
を不変とする。
(ただし、この式そのものはアインシュタインが考え出したものではなく、エディントン卿の著書「THE MATHEMATICAL THEORY OF RELATIVITY」(CAMBRIDGE UNIVERSITY PRESS 1923)から引用したものです)
こうしてルーツを探れば、直角三角形の三平方の定理からローレンツ変換が導き出され、徹底的にニュートン力学を書き換えて行くことになったのですが、物理学として正しいことをやってきたのか、真剣に考え直してください。
もう一点、重要な事は、1905年のアインシュタインの論文を今一度じっくりと注意深く読み直すことです。現代のハイテク時代から見ると、「それは間違っているよ」と指摘できる部分が至る所に見受けられます。
特に見逃さないで読みたいのは、当時25歳のアインシュタインが数学や物理学にうとかった事実です。たとえば「電磁過程の起こる真空の一点に1つの速度ベクトルを仮定しなくてもよい」という記述があることです。これは数学と物理学の破棄を意味します。ニールス・ボーアが相対論に反対していた理由が私にはよく分かります。
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物理法則の不変性
この項2001年2月15日追稿
アインシュタインの特殊相対性理論のもとになっている「特殊相対性原理」という仮定は、光も物体と同様の運動法則に従うべきだという要請ですが、これはもう一つの相反する要請「光速度不変の原理」という仮定とともに、数学的には「あらゆる物理法則は、あらゆる慣性系に対して不変形式に保たれるべきである。そのためにはガリレー変換は破棄してローレンツ変換を採用せよ。」とするものです。
こういう言葉の説明ないし要請は、一見妥当性のあるように聞こえますが、注意深く勉強すると、「光速度だけは絶対に相対的なものではなく、一定不変値 c であることを前提に数学展開せよ」という要請に他なりません。
例えば、1次元表示された2つの座標(慣性系)がある場合、
x=ct
x’=ct’
であることを絶対的な前提とし、「絶対に光速度は c一定」であり、「時間が変わるのだ」として数学展開せよとしているのです。
しかし「あらゆる物理法則は、あらゆる慣性系に対して不変形式に保たれるべきである。」という要請はガリレー変換で成り立っていることを理解する必要があります。
例えば上の例で、相対的に光速度が変化する式
x=ct
x’=c’t
でも、きちっと物理法則として不変形式に保たれています。
相対的な光速度が c’= c−v になったら、物理法則ではないとは言えないのです。
1例を示しますと、マックスウェル電磁方程式を解くと、波動解の一つ、
E=Asin{(2π/λ)・(x−ct)}
が得られますが、これをx’軸にガリレー変換して、
x=x’+vt’
t=t’
を代入すると、
E’=Asin{(2π/λ)・[ x’−(c−v)t’ ]}
ですから、(c−v)=c’ とおけば、
E’=Asin{(2π/λ)・(x’−c’ t’ )}
となり物理法則は不変形式に保たれているのです。これを波動解に持つ方程式は、
であり、きちっと物理法則の不変性を保っています。
したがって、「光速度はいかなる座標系も絶対に c でなければならない」という理由にはならないのです。
よく知られているようにニュートン力学はガリレー変換に対して不変形式です。同時にマックスウェル電磁力学もまた(c−Vcosθ)によってガリレー変換に対して不変形式を保つことをご理解ください。
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私の自伝もお読みになると嬉しいのですが。子供の頃はどうでもいいですから(*^_^*)
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