特殊相対性理論のミスの出発点
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 じつは今(2001年5月22日)、思い出したのですが、1993年に「アインシュタインの相対性理論は間違っていた/徳間書店刊」 を出版した直後、新潟県のある高校生(膨大な手紙の中から探すのは困難なので実名が分かりません、ご容赦ください)からお便りがきまして、上述したFig.1光の場合の「波面」について、『アインシュタインは波面3と考えてしまったのですね。特殊相対性理論の間違いは、こんなところにあったのですね』と、さりげないハガキをくれた覚えがあります。私は、凄い!、あっという間に高校生がアインシュタインのミスに気が付いたんだ、と驚くばかりでした。この図は彼の手紙にあったものですので、私のオリジナルではないことを、ここに記しておきます。
 
(窪田登司/2001年1月19日/2月19日)
 
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ハンス・ライヘンバッハ
(この項2001年1月22日追稿/窪田登司)
 
 上記説明で、“実際には届いてないものが届いていることになっている”ことがお分かりになったでしょうか。
 こういうミスから光速度が世の中で一番早い速度であることになってしまうのです。1ナノ秒でたったの30cmしか進まないスピードが世の中の最高速度だと規定することになるのです。
 
 ここで、講談社学術文庫の『相対性理論の誕生』(ハンス・ライヘンバッハ著)の中から、興味ある記述をご紹介しておきましょう。このハンス・ライヘンバッハはアインシュタインに教わった受講生5人のうちの1人だったそうです。ご存じかも知れませんが、事務員であったアインシュタインは学校の先生になりたい一心で、例の一般相対性理論を作ったそうです。
 
『二つの異なった地点A、B があるとする。光信号が12:00にA から発射されるとする。この信号はB で反射されて、A に12:10に戻ってくるとする。この場合、いつB に光信号は届いたのか。アインシュタインによれば、これは実験では決められない。定義によってしか決めることができない。アインシュタインによれば、B に光が到達するのは12:00から12:10までの時刻であれば、どの数字を選んでも良いのである。
 そこで、光がB に届いた時刻を12:02だとしよう。いま、距離AB を進むのに、光より3分少なくてよい信号 X があると仮定しよう。そうすると、光がB に12:02に到着するとき、もう一つの信号 X は、それより3分早いから11:59に届くことになる。両方の信号はちょうど12:00にA 地点から送り出されたのに、これは奇妙である。信号 X はA を出る前にB に届いていることになる。同時性を規定すると矛盾に陥る。しかし、それは「光より早い信号 X が存在する」という仮定を設けたからである。
 アインシュタインによれば、こうして光より早い信号は存在しないのである』
 
 こういう説明を読んで、「おかしい」と思ったのは世界中で私だけだったようです。何が「おかしい」かと言うと、前半は物理学ではないのでお話になりませんし、後半は “光が X より先に12:02にB に到達していることを先に決めて” から話を進めているのです。分かりますか?私の言っていること。
 アインシュタインという人は、こういう論理展開つまり、先に「こうなる」と断定してから、巧みに話を持っていく、あるいは巧みに数式展開をすることの上手な人だったようです。人々がハマリ易い論法です。
 
 相対性理論の教科書には、こういう論法がよく見受けられます。たとえば、有名な E=mc を導出する部分ですが、最もポピュラーなやり方はローレンツ因子 を使ってニュートン力学を書き換えて、近似式から適当に項を捨てて、「これが静止エネルギーだ」とするものですが、そうではない計算では、
E/c=運動量というのがあります。
 ある相対論の教科書の一部をご紹介しますと、
『E/c=Mv
ここで、・・・・途中略・・・M=m(L−x)/x、・・・途中略・・・x=vt=L−ctを代入して、
E=mc  を得る。』
というのがあります。
 または、別の相対論の教科書では
『E/c=mc
ゆえにE=mc である。』
というのもあります。
 私も30年以上、物理学者が書いてある本だから正しいと信じていましたが、注意深く考えると「おかしい」ことに気が付きます。「光のエネルギーをEとする。光には運動量がある。ゆえにE/c は運動量である」とする論法で、「光には運動量がある」というくだりは実験から確かめられているので正しいですが、「E/c は運動量である」は正しいですか?
 光のエネルギーには熱エネルギーや運動エネルギー、網膜を刺激する量子エネルギーE=hν (ハー・ニュー)などがあります。それを光速 c で割ったら、なぜ運動量なの?運動量というのは mv ですね、だからこの場合、つまり光の場合は mc ですね。でも「光には質量はない。ゼロである。質量があったら無限大になってしまう」と相対論の本で読んだことがあります。
 話を飛躍させて、しかもその根拠のない飛躍した部分を「正しい」と決め込んで計算をすれば、目的の式に容易に持っていけるのは当然です。上述した「ハンス・ライヘンバッハの論法」となんら変わらないです。
 相対性理論の恐ろしさは、こういった屈曲した論法を「正しい」と人々に植え付ける魔力にあるように思われてなりません。
 
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追想
 私は少年の頃、アインシュタインに憧れ、畏敬の念を持ってアインシュタインを尊敬していました。15歳,16歳の頃です。その頃、私はアインシュタインの言うように「光のスピード以上にはならない」と考えました。なぜそのように考えたかは、少年ながら次のようなことでした。
 もし、2機のロケットA、Bがあり、互いに反対方向に光速に近い速度で飛んでいった場合、ロケットA とB は光速以上のスピードで離れるため、互いに通信は出来ないからだ、と思ったのです。
 光のスピードつまり電波のスピード以上の早さで離れて行くのだから通信は不可能だと思ったわけですね。通信が不可能ということは、そういうものは無いということと同じです。互いに相手のロケットの存在を確認するためには、どうしても光速以下のスピードでなければ不可能ですね。そのように、たかし少年は考えたわけです。
 こうしてアインシュタインの速度の加法則つまり光速以上にはならない式を正しいとして、長年の間、相対性理論を信じてきたのです。
 
 しかし1993年(正確には1992年の冬〜春)に(c−Vcosθ )を発見したとき、「上記はおかしい」ということに気が付きました。ロケットA、Bがたとえ光速以上の早さで離れて行っても、たとえば 1.5c のスピードで離れて行っても、「通信は出来る」と気が付いたのです。なぜかと言うと「光速は一定」だからです。片方のロケットのスピードが光速以下であれば、信号(光/電波)は届きます。もう片方のロケットも同様です。光速以下のスピードであれば信号は届きます。つまりAとBの相対速度がたとえ 1.5c であっても通信は可能です。私の言っていること分かります?
 
 もし光速がロケットの運動に依存するのでしたら、たかし少年の考えたことは正しいでしょう。でも、マイケルソン・モーリーの実験をじっくり勉強すると、光速は一定であることが分かったし、さらに20世紀エレクトロニクスで “光速は光源の運動には依存しない”(つまりベクトル合成されるべき性質のものではない)ことがはっきりと証明されているので、もはや、たかし少年の考えは通らないです。
 これは言うまでもなく、アインシュタインの速度の加法則は破綻していることであり、相対論の間違いを意味します。
 
 もしロケットAが(またはロケットBが)、光速以上で飛ぶと、光を(電波を)使った通信は不可能です。なぜなら光(電波)は届かないからです。しかし、そういう事態を経験するのは困難だと思います。というのはロケットは光速になった瞬間に大爆発する可能性があるからです。この件は小生のホームページ別項で述べました。
 もし仮に500年後、1000年後に人類が何らかの方法で、光速を越える瞬間を克服できれば、光速以上のスピードで宇宙旅行できるようになるやも知れませんが、それは夢として21世紀の私たちとしては心の奥にとどめておくことにしましょう。
 いずれにしろ、ロケットAとBの相対速度が光速を超えても何ら不都合はないことが(c−Vcosθ)によって明らかになったと思います。
 
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「L、vt、ct、光の直角三角形が元凶」
 
 一般の人々には難しい数式ですが、専門に相対論を勉強した方には、ご理解できる特殊相対性理論の出発点になった式を、ここでご紹介しておきます。
 何度も述べていますトップページFig.1「L、vt、ct、光の直角三角形」については、こういう三角形は数学的にも物理的にも存在しないわけで、その図形証明を上記Fig.1で示しました。
 この存在し得ない三角形(数式でいうと、L+v−c2 =0 は不変であるというアインシュタインの考え)から、特殊相対性理論の基礎になった次の方程式が考え出されました。
 
 ds=dx+dy+dz−cdt
を不変とする。ここで、4次元座標(x、y、z、ict)軸のうち、dy=0、dz=0とすれば、
 
を不変とする。
(ただし、この式そのものはアインシュタインが考え出したものではなく、エディントン卿の著書「THE MATHEMATICAL THEORY OF RELATIVITY」(CAMBRIDGE UNIVERSITY PRESS 1923)から引用したものです)
 
 こうしてルーツを探れば、直角三角形の三平方の定理からローレンツ変換が導き出され、徹底的にニュートン力学を書き換えて行くことになったのですが、物理学として正しいことをやってきたのか、真剣に考え直す必要があります。
 
 もう一点、重要な事は、1905年のアインシュタインの論文を今一度じっくりと注意深く読み直すことです。現代のハイテク時代から見ると、「それは間違っているよ」と指摘できる部分が至る所に見受けられます。
 特に見逃さないで読みたいのは、当時25歳のアインシュタインが数学や物理学にうとかった事実です。たとえば「電磁過程の起こる真空の一点に1つの速度ベクトルを仮定しなくてもよい」という記述があることです。これは数学と物理学の破棄を意味します。ニールス・ボーアが相対論に反対していた理由が私にはよく分かります。
 
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物理法則の不変性
(この項2001年2月15日追稿/窪田登司)
 アインシュタインの特殊相対性理論のもとになっている「特殊相対性原理」という仮定は、光も物体と同様の運動法則に従うべきだという要請ですが、これはもう一つの相反する要請「光速度不変の原理」という仮定とともに、数学的には「あらゆる物理法則は、あらゆる慣性系に対して不変形式に保たれるべきである。そのためにはガリレー変換は破棄してローレンツ変換を採用せよ」とするものです。
 こういう言葉の説明ないし要請は、一見妥当性のあるように聞こえますが、注意深く勉強すると、「光速度だけは絶対に相対的なものではなく、一定不変値 c であることを前提に数学展開せよ」という要請に他なりません。
 例えば、1次元表示された2つの座標(慣性系)がある場合、
x=ct
x’=ct’
であることを絶対的な前提とし、「絶対に光速度は c 一定」であり、「時間が変わるのだ」として数学展開せよとしているわけです。
 
 しかし「あらゆる物理法則は、あらゆる慣性系に対して不変形式に保たれるべきである」という要請はガリレー変換で成り立っていることを理解する必要があります。
 例えば上の例で、相対光速度が変化する式
x=ct
x’=c’t
でも、きちっと物理法則として不変形式に保たれています。相対光速度が c’ =c−v になったら、物理法則ではないとは言えないのです。
 1例を示しますと、マックスウェル電磁方程式を解くと、波動解の一つ、
E=Asin{(2π/λ)・(x−ct)}
が得られますが、これをx’ 軸にガリレー変換して、
x=x’+vt’
t=t’
を代入すると、
E’=Asin{(2π/λ)・[x’−(c−v)t’]}
ですから、(c−v)=c’ とおけば、
E’=Asin{(2π/λ)・(x’−c’t’)}
となり、物理法則は不変形式に保たれているのです。これを波動解に持つ方程式は、
 
 
であり、きちっと物理法則の不変性を保っています。
 したがって、「光速度はいかなる座標系も絶対にc でなければならない」という理由にはならないのです。
 
 よく知られているようにニュートン力学はガリレー変換に対して不変形式です。同時にマックスウェル電磁力学もまた相対光速度(c−Vcosθ )によってガリレー変換に対して不変形式を保つことをご理解ください。
 
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窪田登司 自伝§22の16を理解出来る人は現在世界で何人おられるでしょうか。