時間的には少し前、夕方になるが、東京の武田博士の自宅でも、CSで送られてくる南京からの生のニュース映像を見ていた。
「ママ、パパが映るわよ!」
 武田美枝子が大きな声で夫人を呼んだ。夕食後の後片付けが終わったばかりの夫人も、急いで居間のテレビの前に座った。こちらでは七時のニュースであるが、向こうでは六時である。電話では、何度も話をしていても、顔を見るのは、二ヵ月ぶりである。観測の応援に行ったといっても、二ヵ月以上何も発見出来ず、「いい加減に戻ってきて」とも、電話で泣き言を言ったりもしたものだった。もちろん藤川慎介は、してやったりと大胡坐をかいていた事は言うまでもない。そこへ、世界的大発見と、少々オーバーなヘッドラインであるが、ホットなニュースが入ったから、美枝子も夫人も喜んだのは無理もない。
「・・入りました。南京大学からの生中継です。東都大学の惑星研究室の武田博士の一行が南京の紫金山天文台に向かってから、二ヵ月が経ったわけですが、やっと、と言いますか、このたびハワイのM天文台と共に、土星に異常が生じたことを発見しました。さっそく現地から博士の話をお聞きすることにします。・・素晴らしい発見、おめでとうございます。どういう事か、詳しくお話願えませんか」
 東京のスタジオのアナウンサーと、武田博士の直接の会話となるようだ。博士は耳にイヤホーンを付けている。
「パパだ!元気そうよ。ちょっと太ったんじゃない?」
 と、美枝子が身を乗り出して言った。
「いいから、いいから!静かに!」
 夫人も久しぶりに見る夫の顔に、目を細めた。
「おめでたくも、何ともないんですよ。私の最も恐れていた事が事実となったことで、いま茅場君とも今後の対応を相談していたところです」
 と、傍にいる茅場を振り向いた。カメラもパンして茅場を映した。
「茅場さんだ!」
 と、美枝子が、握った両手を胸に当てながら、嬉しそうに小声で叫んだ。
「本当は、冥王星の異常は、偶発的な何でもない事件で、その後は何も起きないのが一番良かったのです。誰もが、それを望んだと思います。ところが冥王星の軌道変化を詳しく観測すると、どうしても何物かが、つまり未知の天体が、冥王星の傍を通過したために、軌道が狂ったとしか考えられなかったのです。しかも、その未知の天体は黄道面に沿って侵入していました」
「黄道面というのは、惑星が回っている軌道面の事ですね」
「そうです。冥王星と水星は、ちょっとズレていますが、その他の惑星は、この黄道面を回っています。ただし、現在ちょうど冥王星は黄道面付近にいます。ここへ向かって謎の天体が侵入してきたのです。あれから2ヵ月、この天体は沈黙を守っていましたが、突如土星の近くを昨日から今日にかけて通過しました」
「というと、どのくらいのスピードなのでしょうか」
「計算しますと、時速約三百万キロ、秒速八百キロです。この天体が土星の衛星のタイタンの傍を通過したのを、M天文台が発見したことは、皆さんすでにご承知のことと思います。・・私どもは、土星の環に異常が生じたのを発見したのです」
「具体的には、どういうようにですか」
「異常な揺れを起こしたのです。ここにハイビジョンによるデジタルVTRがありますので、NTSCにコンバートして、ご覧に入れます」
 すでに茅場が、手早く変換装置を通した信号を回線につないでいた。スイッチャーによって、博士から土星の環に切り変わった。数秒間だが、はっきりと環がうねっているのが確認出来る。
「短いですね。この時間だけ環がうねったのですか?」
「いえ、分析では数時間に渡って揺らいだようです。細かくはまだ動いているのではないかと思われます。お見せした数秒間の映像はコンピューターで特殊な処理をして、地球大気のガサマーを取り除いたものです。通常の観測装置やVTRでは、この異常は発見できないでしょう」
「ハイビジョンならではの映像と言えますね。・・ところで、今後の謎の天体の行方ですが、それが武田さんの心配事であるわけですか」
「その通りです。黄道面に入っているということは、近い将来必ず火星や地球にも接近するということです。・・・」
 ここまで喋って、博士はしまった、と口を結んだ。もし、地球に衝突するかも知れないなどというデマが飛んでパニックにでもなったら、それこそ大変だ、うっかりした事は言ってはいけないのだ、と。
「なぜ見えないのでしょうか」
「いえ、そのうち見え始めると思います。M天文台の発表では、タイタンくらいの大きさだったようですから、もう少し近付けば見えるでしょう。ほとんどが鉄で出来た非常に重い天体だと思います。恒星は燃え尽きると最後に爆発してバラバラになりますが、その残りかすの鉄など非常に重い物質の芯ではないかと考えています。今後の観測で発見出来れば、すべてが解決するでしょう」
「もともと太陽系にあったものでしょうか。それとも他の恒星系にあったものが、長い旅の果てに太陽系の引力に捕まってやって来たものでしょうか」
「それは判りません。しかし、・・・・私の考えでは太陽系にあったものだと思います。現在の太陽系は、三世代目くらいなのですが、・・・・つまり、太陽の寿命が尽きて爆発し、その破片が集まって、また太陽ができ、というように三世代目の恒星が現在の太陽ですが、その破片の集まりが、どこかにあったわけです。あった、というより今もあるのです。その一部が飛来したものと思っています。・・・・じつは、近い将来発表する予定で、今論文の準備を進めているのですが、私の多変数位相渦理論によれば、太陽系内に、そういう高密度の天体の巣があれば、惑星の近日点の移動が極めて正確に予言できることになるのです。今回の事件と直接には関係ありませんので、これ以上、私の理論について語ることは差し控えますが、いずれにしましても、高密度の天体が飛来した事は事実です」
「一刻も早く謎の天体を見付けることが先決ですね。ご健闘をお祈りします。・・・・南京大学とスタジオを結んで、紫金山天文台で活躍されている武田博士にお話を伺いました。それでは次に国内のニュースから・・」
 食い入るように見ていた美枝子と夫人は、送られてくる映像が終わって、ほっとした表情で、お互いの顔を見合わせた。
「パパは出掛ける日、成田空港でインタビューを受けた時、今の話をしたかったのよね。でも確信がなかったから、言わなかっただけなのよ。わたし判る」
 と、美枝子がお茶をすすりながら言った。
「そうなの?、私には判らないけど。・・・・でも、お元気でなによりだわ」
 夫人は理論や天体のことには興味はなかった。元気で活躍している夫を見て満足であった。
「でも、これから忙しくなるわね。帰って来られないんじゃないかしら」
「いやよ、早く帰って来て欲しいわ。女二人で無用心だってこと、わからないのかしら」と、夫人はぷっとふくれて言った。
「大丈夫よー、ママったらー。淋しいんでしょう。わたし平気よ」
「強がり言ってー。美枝子だって、茅場さん・・そういえば、さっきちょっと映ったけど元気そうだったわね」
「うん、VTRとか、いろんな装置をいじっていたわ。・・・・早く逢いたい・・・・」
「ほら、ご覧」
「えへへ・・・・」
 ちょうど、その時だった。電話が鳴った。美枝子が出た。
「はい、武田でございます・・・・まあ、パパっ!、・・・・ママ、パパからよっ・・・・うん見た、見た、さっきニュースで、太ったんじゃない?・・・・ママは心配して痩せこけているわよ、ウソウソ・・・・茅場さんも元気?・・・・よかったア・・・・ママに?はーい・・・・ママに出てって」
「はい、まあ、あなた・・・・見ましたわ・・・・お元気な様子安心しました・・・・え?ええはい・・・・はい・・・・はい判りました、かならず・・・・ではお元気で・・・・」
「なに?何だったの?いやに急かしていたけど」
「ええ、あのね。・・・野上の天文台に何回電話しても、誰も出ないんですって。だから、研究室のメンバーの誰でもいいから、電話して、すぐ天文台に行って、土星のタイタンの回りを念入りに調べるように伝えてくれって」
「まあ、パパったら・・・外国に行ってまで、自分の研究室や天文台の事が気になるのね。・・・・タイタンって?」
「土星の衛星らしいけど」
「ふーん」
 
 夫人は、研究室のメンバーの名簿をもってきて、てきぱきと数人に電話し、誰が野上に行くのかまでを、きちっと話を付けた。関口修一であった。南京からは、なかなかこれだけの事はできないでしょう、と役に立った自分に満足であった。
その関口修一が野上天文台でタイタンがピカッと光ったのを観測したのである。