太陽系惑星研究室のサークルでは、前日までのデータを熱心に討議している。武田博士がゆっくりした足取りで入ってきた。
「諸君、いまS天文台からの回答があった。われわれの観測結果と完全に一致している。新聞社の取材にも応じて、今までの経過と現在の状況を説明してきた。・・・・どうやら、只ならぬ事が太陽系に起こっているようだ」
「脅かさないで下さいよ、先生」
「いよいよ地球も最後か」
「地球の異常気象と関係があるのかな」
「彗星のせいではないのかな」
「内側の軌道にある天王星は、何ともないかな」
口々に勝手なことを言い合いながらも、どこか不安そうな面持ちがメンバー達の顔には現れている。
「それそれ、その天王星だが、いまのS天文台からの回答の中に、今後は冥王星よりも、むしろ海王星や天王星の観測を強化するよう世界に呼び掛けるメッセージがあった」
と、武田博士の声は一段と強く、いつもの優しい穏やかさがなく、メンバーをきりっとした目で見渡したあと、ふーっと一息ついて椅子に腰をおろした。
博士の疲れた様子を見て、遠慮したのか暫らく誰も口をきく者もなく、手元のデータを眺めていたが、メンバーの一人がようやく口を開いた。
「先生、どういうことが考えられますか」
「判らない。しかし太陽系に確かに何か異変が起きたことだけは言える。その原因が問題だ。巨大な彗星か何かがそばを通過したために、軌道に影響を及ぼしたとも考えられるが、われわれの観測では、そういう天体はなかった」
「はい。・・・・少なくとも目で見える天体は発見できないんだ」と、茅場修が博士に代わって皆に説明するように言った。
「しかし、目で見えなくても強力な重力を持つ天体もあるのだから、そういう物体が太陽系に近付いたとも考えられますね」
と、続けて、茅場は普段見せる思慮深い眼差しで博士の方を見て言ったが、自信はなさそうに視線をデスクの上に落とした。
「考えられることだ。しかも小さいから見えないんだろう」
と、だんだんと核心に迫っていく時のような興奮を覚えながら、博士はうわづった声の調子で言った。
また沈黙が暫らく続いたが、メンバーの一人である岡本晴美が、
「電波は出てないのかしら」
と、白浜宏美に尋ねた。
「今朝の新聞に、小さな見出しでしたが、アメリカのA天文台の電波望遠鏡での詳しい観測にも、冥王星の方向にはそれらしい電波はないと出ていました。木星で発生している雷からの電波でさえもキャッチして、その周波数などを分析できる電波望遠鏡ですから、確かだと思います」
ほかのメンバーの一人も、その新聞記事を読んだらしく、うんうんと白浜に相槌を打っていた。
「冥王星自体が、何か突然の大爆発でも起こして、小さくなって引力が変わり、軌道が変化したんでは?」
と、誰かが突拍子もないことを言ったので、皆がどっと笑い、今までの緊張感が少し緩んできた。
「言える、言える。冥王星は火星や水星のような、いわゆる地球型の惑星だけど、やはり内部には高圧のマグマがあって、それが噴火して出てきて、表面の氷を溶かし蒸発させてしまった。そうじゃないかな」
メンバーが好き勝手な事を言い、ざわざわしてきたので、茅場はそれを抑えるように、
「大爆発だったら、電波が出るよ。今、白浜君が電波はなかったことを報告したばかりじゃないか。それに氷が蒸発しても宇宙空間に散逸することはないよ。冥王星には、それだけの引力はある。そして氷になってまた降ってくるよ。ということは全体の質量は変わらないから、軌道が変化するほどの異変は起きないだろう」
と、メンバーのチーフらしく、威厳をもって言った。
「月くらい小さい星では空気などを引き止めるほどの引力はないけど、冥王星ならそんなことないから、茅場さんの言う通りね」と、岡本晴美が、白浜や武田博士の方を向きながら言った。
「UFOのせいでは?」と、まただれかがが突拍子もないことを言った。
「また、また。こんな重要な討議をしている時に、変なこと言うなよ。きみはUFOを信じているんだから」
メンバー同志の痴話である。
「先日、ケンブリッジ大学のH教授の書いた本を読んだら、彼はUFOについては全く信じておらず、そういう高度な知的生物が、この宇宙のどこかにいると想像しただけでも鳥肌が立つ、と書いてあったね。絶対にそういうことはない、知的生物は人類だけだって」
「UFOの話って、いつも面白いわね」
と、白浜が口をはさんだ。
「わたしは、H教授とはちょっと考えが違うわ。そういう高度な知的生物が地球を発見してくれて、コンタクトが取れたら、どんなに楽しいか知れないし、第一、地球人のためにはいいことよね。そうは思わない?」
「地球を乗っ取っても?」
と、女性メンバーの一人が言った。
「すぐ、そういう風に悪く取る。・・・・地球人は何十万年も前から、戦いに戦いを重ねて強いものが生き延びるという運命みたいなものを背負ってきたので、すぐ、自分を守るために相手を敵にしてしまう癖があるんだ。何にも悪くないのに、敵にされてしまう身になってごらんよ。新しいことを教えてあげようと思っても、出来やしないよ」
と、茅場が白浜をかばうように言った。
「そうだよ、そうだよ。UFOはね。もう来ているんだよ。銀河系宇宙の地図ももうできていて、太陽系なんてもう目じゃないんだ。修学旅行かなんかで来て、みなさま、ご覧ください、あの十個の惑星の中では、あの青く光っている星にだけ、生物が棲んでいます。私たちより2億年ほど進化の遅れた生物です。危険ですから、今回は寄らずにケンタウルス・プロクシマに直行します。約0・003宇宙時間くらいで到着しますから、加速する間、無加重装置の中に入っていて下さい。なんちゃって」
と、UFO好きの一人が面白可笑しく言ったので、皆笑い転げたが、女子メンバーの一人が、
「太陽系惑星は九つじゃないの?」
と、すかさず間違いを指摘するように言った。
茅場が急に真剣な顔付きになって、
「じつはその事なんだけど、武田先生は最近・・・。先生、みんなに話してもよろしいですか」
と、博士に了解を求めて言った。
「ああ、いいだろう。確信はないが、ひょっとして、今回の事件に関係があるかも知れないから話しておくのもいいだろう」
と、テーブルの上のデータを整理しながら答えた。
「みんなは・・・・」
と、茅場が話始めると、いったいどういう話なんだろう、とメンバー全員がUFOの話などで、たるんでいたのが、椅子に座り直したりして緊張して、聞耳を立てた。
「みんなは、惑星研究室のメンバーだから、もうカリフォルニア大学ローレンス・リバーモア研究所のジョセフ・ブラディが、1972年に第十番惑星の存在をコンピューターで計算して予言したことは知っているね。海王星の約2倍の距離にあって、土星の3倍くらいの大きさを持っているというあれだ」
「知ってる、知ってる。でも否定的な学者が多いようですが」
「チチウス・ボーデの数列にはよく合うんですよね」
「あれは、確か、ハレー彗星の軌道を詳しくコンピューターで分析して得た結果だと聞いていますが」
口々にまた騒めいたので、それを抑えるように茅場が、少し大きめの声で続けた。
「そうなんだ。いろいろと物議を醸しているね。しかし、じつは武田先生も、別の角度から、つまり・・・・」
と、説明を加えようとしたところで、白浜宏美が何か言いたそうな気配だったので、彼女に目で相槌を打ち、話を続けるよう合図した。
「私がその計算のプログラムを作ったので、簡単に説明しますと、先生のお考えで計算すると、チチウス・ボーデの法則のnが8番目までの全質量と、現実の太陽系全質量には正確にジョセフ・ブラディが予言している惑星の質量だけの差があることが判ったんです。ところが、じゃ、どういう軌道を、その未知惑星は回っているのかを計算しようとしてもどうしてもブラディの言うような結果にはならないんです」
と、ここまで白浜が説明したところで、今度は博士がそれに続けた。
「不確定多変数関数になる。つまりこうなんだ。その差の質量を約半分にすると、ブラディのいう軌道と一致するが、あとの半分の質量の軌道は不確定になる。全くどこに行くか判らなくなるわけだ。その差の質量を約三分の一にすると、チチウス・ボーデの法則のnが9のところの軌道に近くなるが、あとの三分の二の質量は軌道が不確定になる」
「でも、不確定といっても、太陽の周囲を回る軌道には違いないんでしょう」
と、メンバーの一人が目を輝やかせながら聞いた。
「いい質問だ。その通りなんだ。ところがとんでもない大きな軌道になってしまう」
と、博士は全員を見渡しながら言った。
「それが、今回の事件と何か関係があるんですか」
と、岡本晴美が茅場の方を向いて言った。
「はっきりは分からない。でも先生の、多変数位相渦理論を実証するかもしれないんだ」
「多変数位相渦理論は、相対性理論のように、相対速度が光速以上になることはないなんて制限を付けない理論だから、凄く応用範囲が広いのよ」
と、白浜宏美がみんなに向かって説明するように言った。
「応用というと?」
と、メンバーの一人が身を乗り出して茅場に聞いた。
ちょうどその時、電話が鳴った。メンバーの一人が出た。
「・・・・はい。ここに武田先生はいらっしゃいます。・・・・少々お待ちください。・・・・先生、科学技術庁からです」
「科学技術庁?・・・・何だろう。・・・・お待たせしました。武田でございます。・・・・はい、その件は先程S天文台と連絡済みです。世界中の天文台の観測結果が同じであることが確認されました。・・・・これからは他の軌道の、海王星や天王星の観測を強化します。・・・・はぁ?私に?・・・・わかりました。・・・・参ります。では・・・」
電話を置いた博士はちょっと間をおいて言った。
「諸君、科学技術庁から呼び出しだ。明日行ってくる。太陽系異変対策委員会というのが発足するのだそうだ。いかめしい名前だが、防衛庁までが、この異変に対して神経質になってきているそうだ。各国の天文台の観測情報をいち早く傍受しているためだ。私もこの委員会のメンバーにというんだが、委員長にという話もあるらしい。それだけは断らなければ。とにかく行ってくる」
「先生、委員長を断るなんて。・・・断らないで、引き受けて下さい。ぼくたち全員で先生を応援しますから」
と、茅場が身を乗り出して言った。
「私達の実力を示す良いチャンスだわ」
と、白浜宏美も頬を赤らめて、いつになく積極的な態度で武田博士に向かって言った。
「いやいや、はやまるな。どういうメンバーで、この委員会が構成されるのか、それが問題だ。私を何かにつけて目のかたきにする派閥争い人間もいるからね」
「藤川教授ですね。あの人はいつも武田先生の論文にケチを付けるから」
と、メンバーの一人がいかにも憎らしく拗ねるように言った。
「こらこら、うっかりそういう人名を口に出すではない。人はひと。わが道を行くのが一番だ。それに彼が委員会のメンバーになるとはまだ決まってない」
と、武田博士は優しくなだめるように言った。
「第十番惑星の話はまた今度にしよう。今日はここまでで解散にしよう。君は当番ではなかったかな。今日は天文台に行って、自動観測装置のチェックをする・・」
と、メンバーの一人に念を押すように言った。
「あっ、そうです。これから行きます。茅場さんも、白浜さんも、このところ連日でしたから、あしたあさってはゆっくりしてください」
と、そのメンバーはテーブルの上の資料を整理しながら言い、一足先に部屋を出て行った。
ほかのメンバーも、それぞれ黒板を消したり、テーブルの上を片付けたり、簡単な掃除をしたりして、武田博士に挨拶をして帰っていった。残った博士は、茅場と白浜に、
「水星の近日点の移動に関する多変数位相渦理論の応用の論文の整理がすっかり遅れてしまったが、ぜひ君たちの力を借りたい。冥王星の軌道をも狂わせた謎の物体が、私の理論を実証してくれるかも知れないんだ」
と、目を細くして二人に嘆願するように言った。
「もちろんです。先生」
「ぜひ協力させて下さい」
茅場と白浜は同時に力強く返事をした。
「あした科学技術庁にいらっしゃる事になりましたね。場所は総理府ですか?」
と、茅場が聞いた。
「いや、会合は大手町会館でやるそうだ。どういうメンバーが来るのか聞いたが、教えてくれなかった。・・・・場合によっては、私は下りるぞ」
と、かなり強く言ったので、白浜が笑いながら、
「先生、そんな・・・」
と、なだめるように言った。
「とにかく、太陽系異変対策委員会とは大袈裟な名称ですね。まだそんなに太陽系に異変が起きたわけでもないのに」
と、茅場が言ったが、白浜はすぐそれを否定するように、
「茅場さん、そうでもないわ。異変よ。冥王星の軌道が変化するなんて、絶対に異変よ。地球の歴史を長い目で見ると、何回か大きな異変があったようだけど、今度のは恐竜時代や氷河時代と違って、人類に影響があるかも知れない大事件かもよ」
と、両手に握りこぶしを作って上下に振りながら訴えるように言った。
「1億年以上も続いた恐竜時代も、大隕石の衝突によって、あっという間に滅亡してしまったことを考えると、大自然の変化はいつ、どういうかたちで起きるか分からないからね。」
と、茅場は詫びるように、博士と白浜に向かって言った。
「その通りだ。白浜君の言う通りだと思う。私は、今度の事件が私の理論の実証になればいいとさえ思った事が、いま恥ずかしくなったよ。そんな小さな考えで、大きな理論が作れるか、ってね。私も白浜君に謝ろう」
「先生、いやだあ。先生にそう言われると照れちゃうわ」
と、顔を赤らめて、本当に照れながら可愛い仕草で言った。
「白浜君は地震学者でも何でもないのに、一九九二年に起きた東京大地震、正式な名称は第2次関東大地震と名前が付いたけど、あれを見事に予言していたからね。凄いよ」
と、茅場が追い打ちをかけるように白浜を誉めた。
「いやだわ、茅場さんまで。あの第2次関東大地震は、誰でも予想できたわ。だってそうでしょう。一九八三年に三宅島の大噴火、3年後の一九八六年に三原山の大噴火、そして更に3年後の一九八九年の伊東沖の海底噴火と、3年ごと、富士山に向かって続いている相模トラフの異変が陸地方向に移動していたもの。3年後の一九九二年にはどこかで起こるってことくらい誰でも分かるわ。それに一九二三年の関東大地震からちょうど六十九年目だし。茅場さんだって、そう言ってたじゃない」
「そうだね。一九九二年に起きなければ、一九九三年だって、言ったね。それでも起きなければ、もうあとはエネルギーが蓄まる一方で、今日か、明日か、というくらい毎日が危険日だなんて話合ったことがあったね」
「君たちは地震学者になれば良かったんじゃないのかな。わっはっは・・・・」
と、武田博士は二人の肩を叩きながら豪快に笑った。
あの悪夢のような第2次関東大地震で壊滅状態になった東京の復興は早かった。日本は前代未聞の大繁栄の頂点にあっただけに、政府の東京への援助は惜しみなかった。あっという間の復興であった。
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