水銀生産量 0.33万t




大雪国道の開削は大正3年の常紋トンネル鉄道敷設工事時より計画され、
昭和32年の完成まで実に50年の歳月が経過している。
鉱山跡は石北峠8合目付近から北進した山中に存在する。 石北峠

当時の地形図と比較しても道は大きく変わってしまっている。
坑口や索道も描かれた、
当時の採鉱中心部より探索を始める。 林道

すぐに山の斜面に第一の遺構である。
腐食した鋼製の箱から100A程度の配管が露出している。
COD対策としての鉱水処理の簡易な沈殿池のようだ。 遺構

やがて現れた平場にはトイレらしき崩れた廃墟がある。
便器や煙突も残存しているが、
かつての小屋は既に跡形しか無い。 トイレ

ルピナスの群生の向こうには、
沈殿池のような人工的な施設が見える。
どうやら沈殿池は2連並列しているようだ。 ルピナス



沈殿池は閉山後完成したのか、
近代的なものであった。
少し接近してみよう。 沈殿池



2連あるうちの片方の沈殿池は草が茂っており、
もう片方は水没している。
水銀濃度に関してはシビアに水質検査が行われているようだ。 沈殿池


かつて昭和46年に無加川の魚類の水銀濃度が調査され、
結果的に「飲用水判定基準内」にあったという。
沈殿池を背に、更に奥へ進む。 鉱水


沈殿池の先には斜面に忽然と坑口が現れた。
すべての坑口は埋められたとの事前情報を得ていたので、
これは予想外の巨大遺構である。 坑口


ポータル部の意匠には「通洞坑」の文字がある。
掘削坑は封鎖されたようだが、
この通洞坑だけは残されたようだ。 通洞坑


坑道は相当深く続いているようだ。
厳重に施錠され内部は窺い知れないが、
キロ単位で延長しているはずだ。 通洞坑


通洞坑の手前には何やら斜面に廃墟がある。
もしやこれは・・・
接近してみよう。 廃墟


巨大な廃墟だ。
これはおそらく旧選鉱所だ。
朽ちてはいるがかなりの残存度だ。 旧選鉱所


形状を維持している廃祉だ。
よく残存したものだ。
内部を確認してみよう。 ボールミル


最上段にはチップラー装置の遺構がある。
鉱石運搬のトロッコがこの円筒の中央部に入り、
トロッコごと反転、鉱石を落とす装置だ。 チップラー


内部には制御盤のような設備も残る。
開閉器や電流計、旧いナイフスイッチもある。
昭和30年代の遺構だ。 制御盤


交流の電流計とトランスがある。
ここが制御室だったようだ。
自動秤量機を介したドラムウオッシャーにて25mmを境に鉱石を分配していたのだ。 電流計


少し下るとホッパー部分に到達した。
25mm以上の鉱石はコーンクラッシャーにて細分された。
25mm以下のものは更に±6mmを境に分離される。 ホッパー


ホッパーから見た旧精錬所全景である。
+6mmのものは摩鉱舎、ボールミルを経て、
特徴的な自然水銀捕集器にかけられ、粗製水銀の実収が行われた。 ホッパー



それではホッパー内に入構してみよう。
足場はほとんど脆く、
十分確認しながらの探索だ。 ホッパー


内部には腐食したピッキングコンベアーの廃祉がある。
-6mm以下のものはドラグクラッシャーにて、
オーバーフローしたものと沈殿したものに分離される。 ホッパー


コンベヤーとプーリーが幾何学的に組み合わさる。
ドルシックナーで更に分離され、
そこでスピコットしたものだけがフローテーターやオリバーフィルターを介して製品となる。 クラッシャー


最も最下流の貯鉱場付近。
バケットコンベヤーに登ってみる。
三度の摩鉱を経て、沈殿した鉱石だけが実収される。 貯鉱舎


選鉱所から離れ、更に山中を探索する。
付近には他にも施設があったはずだ。
6月は藪が茂る、ギリギリの時期だ。 精錬所


藪の奥には木造の建造物がある。
これは平屋の鉱員住宅のようだ。
どうやら劣化が激しいようだ。 鉱員住宅


木造の住居は昭和の色を濃く残す。
長年の豪雪により、
屋根も床も損傷している。 鉱員住宅


内部には家具も残り、
紙の資料は水防の関連のようだ。
床は今にも抜けそうに軋む。 鉱員住宅


選鉱所の南部には人工的な水路が山中を這う。
人跡未踏な山中に水路が張り巡らされた風景は一種異様だ。
水路を追ってみる。 水路


水路の先は藪に埋もれ、
その先には「通洞坑排水口」との看板があった。
更に旧鉱区図の索道を追って坑口を探す。 通洞坑排水口


最奥の「倭(やまと)鉱床」付近。
既に激廃道だが、ここに存在した「乾坑」を探索する。
位置的にはほぼ接近しているが・・・。 乾坑


沢に埋もれた鋼管があった。
これはいよいよ坑口に近い証拠だ。
更に斜面を追う。 鋼管


植生の無い斜面が現れた。
これが埋没した「乾坑」だ。
どうやら人為的に埋設されたようだ。 坑口


エフレックス系のチューブが這う斜面。
イトムカ川に沿って遡上してみよう。
鉱山事務所や神社、学校の廃祉を追う。 配管


今となっては背景がわからない廃墟が点在する。
50戸を超える社宅が存在したことから、
かなりの規模の街だったはずだが、今はもうその痕跡も疎らだ。 廃墟


山中には廃墟に混じり、レールが朽ちている。
12kgf級のか細いレールだ。
索道の記録はあるが、鉱山軌道も敷設されていたのだろう。 レール


最上流で現れたのがこの廃橋である。
ピアはRC製で朽ちてはいるがしっかりしている。
ところが桁の部分に床版は無く、鉄筋がむき出しとなっている。 廃橋


川床からの高さは3m程度だが、
d9程度の細い鉄筋の間から中空を覗くことができる。
補強筋も一部脱落しており、非常にアンバランスだ。 廃橋


それでは渡ってみよう。
一歩歩くたびに鉄筋がたわみ、揺れが続く。
向こう岸のアバットからは廃道が続いているが遺構は無い。 廃橋


青空に抜ける橋梁の廃墟。
この鉱山跡を象徴するかのような、
かつての繁栄を語る、静かな廃祉だ。 廃橋







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廃橋
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