オリビンのヤマ
様似町は太平洋岸の漁港町。
地名はアイヌ語「エサマニ」(カワウソのいるところ)に由来する。
街東方のアポイ岳(811m)には高山植物群落がある。
街のアポイの鼓動広場にあるかんらん岩の標本である。
高温のまま地表に露出することで蛇紋岩化を免れ、かんらん岩として存在できる。
岩石の割れ目に沿って徐々に冷却されたものは蛇紋岩となる。
幌満川に沿って登ると左岸の斜面に大規模な採石地がある。
これは町内の東邦オリビン工業の敷地で、
同社はかんらん岩から耐火石材や鋳造用砂を製造している。
鉄鋼メーカー「新日本電工(株)」所有の幌満第2発電所の取水堰堤。
かんらん岩の学名は『オリビン』、様似町内では子供もこの名称を知っている。
これは町内の東邦オリビン工業の知名度によるものだ。
これはルート途中に残る日高電燈株式会社 幌満川発電所跡である。
昭和2年(1927)から運用開始された、
日高地方で最も古い水力発電所となる。
斜面には余水吐の配管が残る。
昭和17年(1942)に所有者が変更されるまで、
日高電燈株式会社によって運用された。
上流には取水堰堤が残る。
間にはラジアルゲートやテンターゲートがあった模様、
現在は全てのゲートが取り外されている。
第三発電所、幌満ダムを超えて更に進む。
オビラルカオマップ川の最上流部から入山する。
街からは25�q程度の山中だ。
沢沿いに1キロほど進むと遺構がある。
コンクリート製の建屋のようだ。
幌満鉱山の鉱区に到達だ。
建屋に見えたものは火薬庫だった。
付近には『東神鉱』、『山根鉱』、
『大勝鉱』の三か所の鉱区があったようだ。
粗鉱の出鉱量は昭和15年が最も多く1,700t/年。
昭和18年には300t/年となり、
ニッケルの含有は0.47〜0.3%であった。
オビラルカオマップ川上流域を登る。
発見された露頭は『山根』『百尺』『天照』、
南部の雨降沢の『仁徳』『神武』などと信心めいた名称が並ぶ。
更に上流へ進むと、
右岸に広大な平場がある。
ここが鉱床の中心部のようだ。
坑外図を見ると付近は事務所跡である。
倉庫の記載もあり、
ここがメインの施設跡だ。
ドラム缶を改造した焼却炉のような設備が残る。
ここまで車両が通行できたと資料にはあるが、
今は想像もつかない。
付近にはレールも残存する。
坑道分布図にも破線の小道が描かれ、
合宿所の記載もある。
大勝坑付近を遡るが、
坑口の発見には至らない。
沢はいよいよ最上流域となった。
そして坑口の発見だ。
鉱床図から『国宝坑』の一部のようだが、
特定には至らない。
内部は水没しかなり劣悪な環境だ。
入坑は諦めるものの、
すぐ脇に別の坑口がある。
こちらは開口部が大きな坑口だ。
『国宝坑』か『国富坑』の坑口だろうが、
もしかすると名もない試掘坑かもしれない。
こちらも坑道内部は水没している。
かなり狭い加背(かせ=坑道断面)である。
昭和32年当時の全坑道延長は515mに及ぶ。
『国富坑』を目指しさらに沢を登る。
鉱石の中の富鉱の部分をムク鉱と呼ぶ。
貧鉱の部分はガリ鉱と呼ぶ。
沢沿いにはRC製の遺構がある。
搬出用の軌道の築堤のようだが、
確証は不明だ。
位置的に国富4号坑と思われる坑口だ。
『ムク鉱』は方鉛鉱や門亜鉛鉱の密集塊からなり
不要な脈石部分をほとんど伴わない鉱石として優良なものをいう。
別の沢を登ると国富3号坑に到達。
小さな坑道が林立する。
国富3号坑も水没しており、
坑口は意図的に木材で塞がれている。
鉱床図から国富2号坑と考えられる坑口。
この坑道は国富鉱区の南の端となる。
国富2号坑に入坑する。
酸素濃度は20.8%と良好である。
マウスon 酸素濃度
内部に坑内分岐も存在する。
足元は汚泥だが奥に行くに従い乾いてくる。
坑道内の壁には「10」や「20」の記載がある。
坑口からの距離なのか、
それとも坑道の番号なのかは不明だ。
マウスon 番号
やがて40m程度で採掘中止した場所で行き止まる。
山元から幌満集落までの22�qについてはトラック輸送のみで、
特に冬季は馬橇による搬出しか他ないという困難な運搬事情が
大規模開発を阻む理由となっていたのかもしれない。
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