花輪鉱山跡 探検: 北の細道 花輪鉱山跡

花輪鉱山で街の暮らしを知る



秋田県の鹿角市(岩手県八幡平市)

  街ができる経緯には例えば城下町や宿場町、港町など歴史的な成り立ちが起因する。
その中でも『在郷町』は交通の要所や特産品の生産拠点に形成されたものを呼ぶ。
鉱山町は山岳地帯に立地した金や銀・銅などの金属鉱山地帯に展開した街をいい、
産業都市としてこの『在郷町』の一種だとも言える。

鉱山や炭鉱では通勤の意識は低く、企業城下町である鉱山集落に居住し、
街から離れた鉱山稼行の拠点傍で生活を行うことが一般的であった。

鉱山町には独特の風習や習わしがあり、例えば鉱山町内のみで通用する『山銭』などの貨幣システムや、
家賃や光熱費の補助、鉱山企業直轄の諸施設配置など固有の形態が生じていた。


花輪鉱山は岩手秋田県堺に位置し、岩手県側に鉱山事務所・選鉱所があり、
海抜700m前後の秋田県側に採鉱現場がある。
冬季はマイナス15℃、積雪2mにも及ぶ豪雪地帯に位置する。

採鉱鉱種は金・銀・銅・鉛・亜鉛・硫化鉄・石膏・重晶石など多岐に及び、
江戸時代に外山(とやま)鉱山として南部藩が開発したことに起因する。
明治以降は所有者の幾多の変化の中で昭和10年(1935)、 久原鉱業(株)(=日鉱)による開発が行われた。

従業員数は昭和32年(1957)の401名をピークに以後衰退、
昭和61年(1986)9月に閉山した。


今回は東北地方の中堅規模の鉱山跡の探索だ。
本坑をモデルケースとして、鉱区に付随する鉱山町の盛衰、鉱山組織、
諸施設の状況などと共に現地を探索したいと思う。



選鉱所・分析所・浮遊選鉱・・・




連続式沈殿濃縮装置
連続式沈殿濃縮装置





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