奥奈井江炭鉱 浄水場跡で簡易ろ過機を見る
北海道奈井江町
『琵琶湖を引きて通したる 疎水の工事は南禅寺
岩切り抜きて舟をやる 知識の進歩もみられたり』
これは鉄道唱歌の第51番である。
琵琶湖の水が京都南禅寺まで引いてこられたのは
この歌が生まれる10年前、明治23年(1890)4月9日である。
京都は三方を山に囲まれた盆地で、保水力に乏しい山々に囲まれていた。
水不足解消のため、琵琶湖の水を大規模な疎水トンネルで京都の町まで
流送する計画が持ち上がったのが、明治14年(1881)の事である。
最初の測量の研修が行われたのは北海道であり、
担当者は炭鉱地質調査の父、ライマンから懇切な教育を受けたという。
その結果、最難関とされた第一隧道 長等山トンネル(2,436m)の貫通精度は高低差1.2㎜
中心差7㎜という測量の正確性を物語るものとなった。
やがて蹴上浄水場に琵琶湖の水が導かれ、水力発電所も稼働
京都市内には市電が走るにまでなった。
今回探索するのは、
三井砂川炭鉱 奥奈井江坑
に付随する浄水場跡だ。
奈井江市街から東奈井江へ三井鉱山奈井江専用鉄道が敷設されたのが、
昭和24年(1949)、運炭線としての使命を果たしたのが昭和43年(1968)である。
三井砂川炭鉱は最初の白山坑が昭和22年(1947)に開坑し、
昭和25年(1950)には奈井江坑が開坑、昭和36年(1961)奈井江坑は石狩炭鉱へと改称する。
奥奈井江坑は昭和32年(1957)起工、3年後に閉鎖した奈井江坑からの大立入坑道が開通、
昭和42年(1967)までその出炭は続く。
奈井江鉱区
今回はかつての浄水場施設を尋ねることで、
炭鉱街が稼動していた痕跡を追いたいと思う。
ろ過器・配水池・炭鉱跡地・・・