北海道 Po鉱山跡  探検: 北の細道 Po鉱山跡

Po鉱山の坑内ジャンクション



北海道某所

   後漢の皇帝が倭(現在の日本)の国王に金印を送ったのが紀元前57年。
それからおよそ1,800年後の天明4年に福岡県志賀島の畑から、
23o四方、高さ22o、重さ109gの純金製金印は偶然発見されるに至る。
それには『漢倭奴国王印』(かんのわのなのこくおういん)と掘られていた。

4世紀の後半には日本と朝鮮半島の交流が盛んとなり、金・銀・銅の輸入が始まる。
その後仏教の伝来に伴い、仏像建立のために大量の金・銅が必要となる。
そこで 「文武天皇」第42代天皇 697〜707年在位) は金鉱を探索させたが、見つからず、
「雑戸」特定の官司に帰属する手工業技術集団 三田首五瀬を長崎県対馬の須崎銀山に派遣、金の探索に従事させた。

そして二年後(701)五瀬は金を発見したと朝廷に金塊を献上した。
天皇は非常にお喜びになられ、年号を大宝と改めることとなる。
五瀬は正六位を与えられ、周辺役人にも賞金が与えられた。

ところがそれ以降、須崎鉱山からは一向に金が送られてこない。
天皇がその真意を確認されると、五瀬が献上した金塊は朝鮮からの密輸品であり、
須崎鉱山からの産出は無いというのが事実であった。

つまり日本初の鉱山詐欺は、前代未聞の天皇を騙すという大胆なものであり、
五瀬は大宝律令により厳しく罰せられたという。


今回は深い山中の斜面に残る坑道跡の探索だ。
探鉱と坑道について考えながら、
劣悪な環境の廃坑道を進んでみよう。





坑内分岐・藻・水没・・・



坑口
坑口





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