更新履歴
- 2026年7月12日:歴史小事典に項目追加−
公孫淵
−項目数830。
叔父を追い落とし二枚舌で勢力拡大を図るも魏の不信を招き滅ぼされた。
まあ驕れるもの久しからずの典型である。
- 2026年6月28日:歴史小事典に項目追加−
劉璋
−項目数829。
父劉焉の築いた巴蜀の大勢力を継いだが、
まともな統制が出来ず徒に混乱を招いた。
正直能力は父はおろか劉備・孫権に仕えた息子達以下かもしれん。
ただ「良い人」だったので(劉備にとって有難いことに)焦土戦術もとらず早めに降伏し
国の被害を抑えることになった。
- 2026年6月14日:歴史小事典に項目追加−
劉表
−項目数828。
若い頃は「八及」と持て囃され荊州の繁栄を築くも
優柔不断が死後の混乱と争乱を招いた。
- 2026年5月31日:歴史小事典に項目追加−
公孫[王賛]
−項目数827。
演義では劉備の頼れる兄貴分、
しかし実際には勇将ではあるものの問題だらけのダメ君主・・・と言うか小悪党。
そりゃ劉備も趙雲も近寄らなくなる。
- 2026年5月17日:歴史小事典に項目追加−
袁術
−項目数826。
袁紹以上に高貴な血筋で大勢力を誇ったが良い所無しで没落したダメ君主の代表。
本人の能力もそうだが傲慢過ぎる性格の所為か臣下にも恵まれなかったのが不味かった。
恐らく孫権に仕え地味な生涯を送った息子の袁燿の方が遥かに優秀だったかと思われる。
- 2026年5月3日:歴史小事典に項目追加−
袁紹
−項目数825。
名門汝南袁氏の出身だが母の身分が低く言われているほどボンボンではない。
実力と自ら勝ち取った名声で大勢力を築いたが、
大器と決断力に欠け曹操に敗れることに。
郭嘉がボロカスに言うほどダメではないが英雄として勝ち残るには今一歩足りない感じか。
後継者争いからの滅亡を招いたのもマイナス。
- 2026年4月19日:歴史小事典に項目追加−
賈[言羽]
−項目数824。
潔癖な裴松之には蛇蝎の如く嫌われているが、
参謀連中の中でも郭嘉と並ぶトップクラスの能力の持ち主。
智謀もそうだが組織の中の役割も後に高官になった点もまさに三国志の中の陳平。
- 2026年4月5日:歴史小事典に項目追加−
郭嘉
−項目数823。
才知溢れる問題児だがそれ故にか曹操に最も愛された軍師。
劉備の所の法正の立ち位置だが、溺愛っぷりは法正以上かも。
ちなみに品行が悪い策士ということで陳平に例えられたが役割は主に戦略担当で張良に近い。
- 2026年3月22日:歴史小事典に項目追加−
荀攸
−項目数822。
才徳兼備の軍師で「我が子房」荀ケより張良っぽい人。
ただ劉邦の軍師が張良陳平二人なのに対し
人材コレクター曹操配下は軍師が大勢いたので荀攸は纏め役。
郭嘉・賈[言羽]というエースがいた所為で荀攸はなおさら目立ちにくいことに。
- 2026年3月8日:歴史小事典に項目追加−
法正
−項目数821。
鳳雛の役目を引き継ぎ知名度以上に活躍した隠れ名参謀。
その名に反して全然正しくない問題児だが、
その才は人材不足の劉備陣営では貴重で、
法正の死は荊州失陥・関羽の死と並び劉備転落
(と後の孔明過労死)の切っ掛けとなった。
- 2026年2月22日:歴史小事典に項目追加−
ホウ統
−項目数820。
鳳雛は戦略戦術に長けた名参謀。
その早すぎる死が惜しまれる。
蜀漢の人材不足が口惜しさにさらに拍車をかける。
- 2026年2月8日:歴史小事典に項目追加−
張飛
−項目数819。
本来の張飛は腕っ節が強いだけでなく戦略面はともかく戦術面では頭が切れるが
部下に対しては冷酷無比というどちらかと言うと暴虐な悪役のようなキャラだが
蜀漢正当論の影響で愛すべきおバカキャラに変貌した。
故人の胸の内は如何ばかりか・・・。
- 2026年1月25日:歴史小事典に項目追加−
関羽
−項目数818。
後世神の「関聖帝君」として祀られる程の人物だが
史書に剛情が身を滅ぼしたとも書かれてしまった。
政治的配慮が全く出来ない人なので武人の枠を超え
政略・戦略まで任されてしまったのが運の尽きだったか。
光武帝の親衛隊長に徹することが出来た賈復は幸せ者である。
- 2026年1月11日:歴史小事典に項目追加−
二宮事件
−項目数817。
呉を衰退させた権力闘争。
陸遜ら多くの名臣を失い幼い皇帝が残された結果その後権力闘争が常態化してしまう。
さらに理不尽に廃立された太子孫和の息子孫晧の人格が歪み暴君化するオマケ付きである。
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