陳羣(ちんぐん)

[中国−後漢末・三国]

後漢末・三国時代の政治家。字は長文。 九品官人法の制定で知られる。 潁川陳氏は名門として知られ、 陳羣は若い頃から祖父の陳寔に一族を盛り立てる人物と期待されていた。 最初は劉備に仕えたが、 劉備が陳羣の忠告を聞き入れずに呂布によって徐州から追いやられると下野した。 呂布が曹操に滅ぼされると荀ケの推挙によって曹操に仕え、 県令を歴任した後父の喪のため一旦官を離れ、 復帰後は高官を歴任した。 曹丕が太子となると司馬懿らと共に四友と称され、深い信任を得た。 曹操が死去し曹丕が魏王となった頃に新しい人材登用制度として九品官人法を建議・制定し、 以後科挙に代わられるまで中国の人材登用制度として運用され続けた。 曹丕が病に倒れると曹休・曹真・司馬懿と共に後事を託され、 後を継いだ曹叡を支えた。 その後三公の司空まで出世し、曹叡の在世中に死去した。 死後は息子の陳泰が跡を継いだ。
陳羣は潁川の名門出身の政治家で、 生真面目な性格から傍若無人な郭嘉としばしば対立したが、 曹操は郭嘉の才と陳羣の公正さを等しく評価した。 息子の曹丕も四友となったこともあって重用し、 新しい人材登用制度である九品官人法の制定を任せられるなど活躍した。 生前は派手な働きが少なく高官の割に働いていないと批判する者もいたが、 死後密かに上奏した内容が明らかになると人々の感銘を受けた。 時代を代表する名政治家と言えよう。

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