Sea to Summit(大和川)4

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「川沿いを歩いたら、何か面白い発見があるかも!」ということで、

最寄りの一級河川である大和川を、河口からスタートして、上流へ向かっています。

(ちなみに、毎年2月は「大和川水質改善強化月間」だそうです。)

前回は、河口から7km遡ったところ(吾彦大橋)まで進み、最近の台風被害の話題になったのでした。

今回は、その続きを歩き進めることにしましょう!



吾彦大橋は、大阪府道28号線の橋でした。 川を遡り、次の行基大橋が、大阪府道26号線です。

この辺りで、大和川の南岸は、堺市から松原市に変わります。

堺市区間は、大和川自体が、大阪市と堺市の市町村界になっていたのですが、

松原市以東、(市町村界)=(自治体の境界)が成り立たなくなっていきます。

行基大橋付近は、大阪市東住吉区が、大和川の南岸に張り出しています。



写真にある橋は、行基大橋の次の橋で「下高野橋」と言います。

すぐ奥(東側)に、近鉄南大阪線が走っています。

ここから、先ほどとは逆に、松原市が、大和川の北岸に張り出しています。

大阪市側が東住吉区から平野区に変わると、また、大阪市が、大和川の南岸に張り出してきます。

なぜ、この辺りになると、川が自然境界になっていないのでしょうか?

調べてみると、面白いかも知れませんね。



道路標識がありました。 「歩行者自転車用道路」と書いています。

写真奥にトラックが見えますが、よく見ると、黄色いトラック。

恐らく、工事車両か何か特別な車両でしょう。 道路標識には、小さく「指定車・許可車を除く」とありました。

2026年4月からですから、あと2ヶ月後ですが、自転車の走行がルール化されます。

免許制ではないので、車の運転手と異なり、道路標識に対する意識が低いかも知れませんが、

自転車の走ってよい区間、走ってはいけない区間を意識するなど、

自転車走行に、今まで以上の注意力が必要となってきますね。



「瓜破大橋」までやってきました。 2階建て構造の橋になっており、

上は阪神高速14号松原線、下は国道309号線になっています。

阪神高速14号松原線と言えば、3年間の通行止めがありました。

最初は、「3年間も通れないのか! 長いね〜。」と驚いていましたが、

1年も経たないうちに慣れてしまいましたね。

やがて、気付いたら、「そう言えば、終わっていたのね。」という感じになってしまっていました。

慣れ(適応力)って、スゴイですね。

 

河口から11km地点に来ました。

左の写真で、大和川の本流は中央奥に上流域が伸びているのですが、

右側に枝分かれした支流が見えています。 「東除川」です。

源流は、西除川と同じく「狭山池」です。

西除川は、狭山池から松原市を北上し、JR阪和線の「浅香」駅付近で大和川に合流していました。

東除川は、西除川よりも東側を流れます。

狭山池から羽曳野市を北上して、近畿自動車道の松原JCT付近で西に曲がり、ここで大和川に合流します。

大和川の付け替え工事以前は、西に曲がらず、そのまま北上して、平野川へ合流していました。

大和川の付け替え工事により、平野川へ合流する前に、大和川が横切る形となり、

大和川に合流させることになったのですが、交点では、川の高さが合わなかったので、

東除川を西に振り、より下流域で合流させるようにしたのです。

 

河口から12.8km地点に来ました。近畿自動車道をくぐります。

近畿自動車道の両脇には、大阪府道2号線(中央環状線)が並走しています。

大和川の付け替え工事以前は、この道路辺りを東除川が南から北に流れていたわけですね。



河口から16km地点に来ました。 北岸は八尾市、南岸は藤井寺市です。

大和川を横断する送水管がありました。

私たち堺市民にとって、最寄りの一級河川は大和川ですが、日常の生活用水に大和川の水を利用していません。

「琵琶湖が水瓶」というのを聞いたことがあるかも知れませんが、その通りでして、

琵琶湖の南端から流れ出て、滋賀県内を瀬田川として流れ、京都府内を宇治川として流れ、

大阪府内に入って淀川として流れている川から水を汲み取り、利用しています。

大阪南部の生活用水は、まず、枚方市にある磯島取水場で、淀川から汲み取られます。

そこから南東へ約3kmのところにある村野浄水場で浄化された後、配水管を使って送られるのです。

ちなみに、大阪北部の生活用水は、磯島取水場よりも下流域になりますが、

近畿自動車道が淀川を渡る辺りにある一津屋取水場で淀川から汲み取られ、

隣接する三島浄水場で浄化された後、配水されています。



大和川を横断する、この送水管ですが、よく見ると、手前側に4本あり、

さらに、新大井橋(写真で、車が走っている橋)の向こう側に、

また別に、アーチでつないだ2本の送水管があります。



まず、手前の4本ですが、これらは、昭和30年代に設置されたものです。

隣の新大井橋とセットで建設されたのですが、橋に進入する、堤防沿いの道の地下に送水管が潜り込んでいます。

複数本ありますが、上水と下水で分けているのではなく、

1本が故障して使えなくなっても断水しないような体制を採っているのでしょう。

下水用には別の配管があり、大和川の、より下流域へ流すようになっています。



新大井橋の奥にある2本の送水管は、こちらも、直径1メートルを超える太いものですが、

先の4本より10年ほど後に追加で設置されたものです。

堺市北区にある金岡団地は、1955年(昭和30年)に設置された、国内で最初の公団住宅です。

この頃から大阪南部でも人口が増加し、1960年代後半から泉北ニュータウンの入居が始まりました。

生活用水の需要も増えたでしょうから、送水管を増設する必要があったのでしょう。



この2本の送水管は、後付けなので、堤防よりもかなり高い位置を渡しています。

ということは、この送水管の前後には、水を高い位置へ汲み上げるポンプがあるはずです。

北岸のポンプは、市民スポーツ広場にあり、「藤井寺ポンプ場」と言います。

「あれ?」と不思議に思った方がいるかも知れませんね。 なかなか鋭い!

先ほど、この辺りは、北岸が八尾市で、南岸が藤井寺市と言いました。

北岸のポンプ場なのに「藤井寺ポンプ場」と言うのは、なぜ?・・・という疑問が生じます。

地図を見ると、「ここも、やっぱり!」というほど、境界線が入り組んでおり、

ポンプ場の辺りは、北岸なのに藤井寺市です。 あー、ややこしっ。



南側のポンプは、国道170号線を2kmほど南下して、応神天皇陵の西側にあり、

「美陵(みささぎ)ポンプ場」と言います。

この「美」は、イメージを変えるための当て字かも知れません。

「みささぎ」を漢字変換すると、通常は「御陵」となります。

そう、つまり、「お墓」「古墳」です。

美陵ポンプ場を設置するにあたり、「藤の森古墳」と「蕃上山古墳」が姿を消しました。

設置前の発掘調査で出土した大事なものは、ポンプ場から西へ500メートルほどのところにある

藤井寺市立にぎわい・まなび交流館「アイセル・シュラホール」に移され、保管されています。



送水管の話を起点に、

(1)金岡団地や泉北ニュータウンの誕生に至った、人口動態の話が出てきました。

(2)また、世界遺産になった「百舌鳥・古市古墳群」の話も出てきました。

いろいろと、つながりますね〜。 今回は、これにて♪


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