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「若島津、毎晩こっそり小次郎と会ってるってほんと?」 部屋を訪ねてきた岬にいきなりそう切り出されて、若島津は一瞬マジで血の気が引いた。驚愕して、持っていた雑誌を思わず取り落としたほどだ。 森崎が部屋にいなくて良かった。第一キーパーとしてのプライドにかけても、あいつにはこんな顔見せたくない。それでなくても、こんなにうろたえた姿を今まで人に晒したことはないと断言できる。それほどまでに驚いた。突然だったのがいけないのかもしれない。 森崎はその時、風呂に行っていて不在だった。きっと岬もそれを知っていて、こうして部屋まで聞きにきたと思われる。 「だ…ッ」 「誰に聞いたか? うん、小次郎本人。聞いたら簡単に白状したよ」 「な…っ」 「何で知ってるか? それは僕がたまたま昨夜、外から帰って来た君たちを見かけたから」 こ、こいつ、マジで怖いかも。誰も見てる奴はいないと思ってたのに、こいつは本当に油断ならない。この優しげな顔に騙されて、痛い目見た奴は山のようにいるはずだ。 「何かさー、やらしいねー」 「な、何が?」 完全にからかわれているのは分かっていながら、若島津はその不穏な単語の意味を聞き返さずにはいられなかった。 「だってこっそり会ってるなんて、不倫みたいじゃない?」 ふ、不倫ッ? 何だ、それはッ? 後ろめたい事なんて何一つとしてしてないぞ。ただ、見つかるとお互いうるさいことになりそうだから、何となくそうしてただけで。 それに、毎日ってのは大袈裟だ。一昨日は雨で行けなかったし、だいたいな、会ってるって言ったって、くだらない話をほんの少ししてるだけでッ! 心中を駆け巡る山のような弁明。しかしそれらを口にする前に、岬はしみじみとした口調で言った。 「まぁね、二人の立場じゃ、そうやってみんなの目を盗んで、こっそり会うしか出来ないよねぇ。それで、夜に外で会ってるわけね」 何か…、誤解してないか? お前。 具体的にどういう誤解なのかは分からないけど。つうか、あんまり考えたくないけど。 「何だかさ、ロミオとジュリエットみたいだね」 「……はぁッ?」 つ、ついに返事が出来た。出来たというより、突きつけられたあまりの突飛な発言に、思わず声が出たと言うべきか。 「知らない? 古典の、シェイクスピアだっけ」 いや、その名前とタイトルは知ってますよ。さすがに知ってますけど。それと自分たちにどういう関連性があるというのだ。 「イタリアの話だっけ? 代々敵同士の家に生まれた男女が恋に落ちるんだけど、敵同士だからさ、内緒で会ったりするしかないんだよね。まぁ要するに、許されない恋ってやつ。で、神父さんが協力者になってくれて、二人は駆け落ちしようとするんだけど、いろいろと行き違いがあって、まぁ、最後は一緒に死んじゃうんだよね」 「……はぁ」 「要するに、障害が多いほうが恋が燃え上がるって話」 そうだっけ? そんな話だったか? いや、問題はそれよりも。 「って言うか岬、それ俺たちに当てはめるのも変じゃないか?」 「そう? でも似たようなもんじゃない?」 そうかなぁ。どう考えても突飛過ぎないか、その発想。心中なんて嫌だし、俺は。 だから、そういう問題じゃないっての。 「まぁ、反町たちには内緒にしておいてあげるよ。日本サッカー界の未来に於いて、きみたちが仲良くなるのは僕としても賛成だしさ」 言いたい事だけ言って、岬はさっさと部屋を出て行ってしまった。 岬にからかわれた手前どことなく気まずい気がしたが、結局若島津はその日もふらりと外に出て行ってしまった。 日向に会ったら、岬との一件を言おうと思っていたのだ。何と切り出せばいいのかは、分からないままではあったが。 だって、何て言えばいいんだ? 何で岬に言ったんだよ? とか聞くのもおかしいし。 そうだ、笑って言えばいいんだ。それで岬の奴、ロミオとジュリエットとか言い出したんだよ。あいつって、やっぱ考えることおかしいよな。そんなふうに。 計画通り、確かに日向にはそう切り出した。 しかし今思えば、その話の運び方がマズかった。途中で、あれ、何かちょっとヤバイかな、とは思ったのだ。でもまさかそんなことになるなんて、夢にも思わなかった。 そう思う反面、頭のどこかで、いつかこうなるんじゃないかという予感めいたものは、今まで気付かないだけで実はあったのかもしれない。 ――まぁ確かに、世の中、障害が多い方が恋が燃え上がるってのは言えてるかもしれないけどな。 あくまで人事のようにそう言った若島津に対して、日向から返ってきたのは静かな沈黙だった。予想外のリアクション。 若島津がどう対応していいのか迷っていると、やがて日向は口を開いた。 ――障害の多い方が恋が燃え上がる、か。…そうだな、確かに。 そこで、その場の雰囲気が変わったことには気が付いたのだ。でもその時の若島津には、どうしようも出来なかった。もとい、どうにかする気があったのかさえ、不本意ながら定かではない。 ――若島津。 不意に名前を呼ばれて日向の方へと視線を向けると、彼はゆっくりと若島津の方へと顔を近づけてきた。 ……もしかして日向、俺にキスしようとしてる? 思い出せるまともな思考は、それが最後だ。内容的に、それがまともと言えるかはこの際ひとまず置いといて。 後々考えても良く分からない。 どうして。 どうして俺は、そこで目を閉じちゃったんだろう。 触れた唇は、意外にも穏やかな感じがした。 俺、何やってんだろう。今、日向と。 どうして、なんて理由は全く分からなかった。一つだけ分かっているのは、そうしていることに嫌悪感のような感情は見当たらなかったことだけだ。そして、それが俺自身、かなり問題のような気もする。 「……んッ!」 「若島津」 「…しっ、舌まで入れんなよ、バカッ」 突然心臓がバクバク言い出して、頭の中がうるさくて何も考えられない。顔色一つ変えていない日向が勘に触る。 「な…何で…、日向」 「何が?」 「何って、今の…」 キス、とは直接的過ぎて、言葉にする勇気が出なかった。 「何でもなにも、見ての通りだよ。お前が好きなんだ」 それ以外に何かあるか? と、完全に開き直ったようなこの態度。 畜生、何で俺一人でこんなに動揺してるんだ。まるでバカみたいじゃないか。 「お、お前、彼女くらいいるだろ?」 強豪の東邦でこれだけ活躍しているFW、しかもキャプテン。学校内だけじゃなく、全国から言い寄る女はそれこそ星の数ほどいるはずだ。これでいないとは言わせない。 「…いた。けど、2ヶ月前に別れた。インターハイの後だったな」 「な、何で?」 「お前とまた対戦して、何かバカらしくなったから」 「…何が?」 聞くのも怖い気がしたが、口が勝手に動いていた。 「俺をこんなに興奮させてくれる奴なんて、お前以上にいないって気付いたから」 「こ、興奮ッ?」 穏やかならぬ言葉に、若島津は思わず口元を右手で覆って一歩後退った。それを見て、日向は憮然としたような、笑うのを堪えたような、微妙な顔をした。 「別に変な意味で言ったんじゃないぜ。ただ、お前との試合の後に彼女を見ても、何の興味も持てなかったんだよ」 「……」 そ…、れは、自分でも思い当たることがあるかも。 日向との試合は、何より自分を興奮させてくれる。 サッカーの面白味を、必要以上に自分に思い知らせてくる。その前には、他の誰かや、他の何の出来事も色褪せてしまう。 「それで、気付いたんだ。もしかして、俺はお前のことがずっと好きだったじゃないかって。今回の合宿で、それを確認したかった」 若島津が後退った分だけ、日向はまたスッと距離を縮めた。 背中に当たる木の感触。妙な圧迫感を感じながらも、若島津は聞かずにはいられなかった。 「…それで?」 「……」 日向は返事をしなかった。その代わり、ゴール前で見せるあのハンターみたいな目をして若島津の左腕を取った。何故か逆らえなかった。 ゆっくりと重なってきた唇は、先程より熱く感じられた。 「お前は? 俺の事嫌いか?」 嫌いも何も。 とにかく、今は日向の顔がまともに見られない。今まで日向をそんなふうに考えたことは一度もなかったのだ。少しは気持ちの整理をする余裕を俺にくれ。 ――でも。 ずっと日向が気になっていた。 日向以上に、強く心の残る相手には、今まで出会ったことがなかった。こんな感情が裏に隠れていたとは、自分でも全く知らなかったが。 「……す」 何を言うつもりなのか、考えにまとまりなど全くつかなかったのに、口は勝手に言葉を吐き出していた。 「……好きだよ」 キスされても全く嫌じゃなかったのは、もしかしてそういう事なのかも知れない。でもあぁ、まともに考えるのもオソロシイ。 日向は、少し驚いたような顔をして、そしてさも嬉しそうに笑った。 今まで、日向の笑顔を見る時なんてのいうは、決まってこっちは悔しくて泣きそうな思いをしている時だ。なのにその時は、そんな日向の表情を見て何だか若島津まで嬉しくなってしまった。 後々思うに、もしかして驚いたように見えた顔は照れていただけのかもしれない。余裕ありげな態度からは、その時は想像もつかなかったけれど。 こんなふうに、日向と笑い合う日が来るとは思ってもいなかった。いや、それを言ったら、こいつとこんな馬鹿げた会話を交わすことになろうとも。 こんな、宿敵の東邦の日向と。 障害が多いほど燃え上がる恋。 バカだ、日向も、俺も。 バカだけど、でも仕方ない。好きなものはもう、仕方がないのだ。 その後、彼らを取り巻く状況が変わったかと言えば、まるでそんなことはなかった。 相変わらず明和東と東邦メンバーの小競り合いは続いていたし、二人がちょっとでも接近しようものなら、周囲が青い顔をしてさり気なく止めに入る。食堂で会っても座るのは決まって一番離れた席。これまた恒例の反町たちの東邦非難を聞きながら飯を食う。 ただ、遠くに座っている日向とたまに目が合ったりする。そして、我ながら照れくさくて死にそうになりながらも、目だけでこっそり笑い合ったりするのだ。 合宿は残すところあと3日。 昨夜日向に携帯番号を聞かれて、持っていないと言うと大げさに溜息を付かれた。だって今まで別に必要に迫られなかったんだから、仕方ないだろ。 ――それじゃ、連絡の取りようもないだろ。 ――だったら俺から電話するよ。それでいいだろ。お前の番号教えろよ。 ――俺も持ってない。 ――何だよ、それは! ――仕方ねェなぁ、じゃあ寮に電話するしかないのか。 ――馬鹿正直に名前言うなよ。サッカー部の奴が電話当番だったら、即刻切られかねないからな。 ――そうだよなぁ…。 本気で思案している様子の日向に、若島津もついつられて眉根を寄せた。 ――じゃあ、会いたくなったら、直接お前んとこ会いに行くしかないか。 ――余計マズイわ、バカッ。 ――誰にも見つからないように、寮の窓から忍び込むさ。 そう言って、日向は笑った。 本当にこいつはバカだ。思わず、それしか手段はないかも、と一瞬本気で思いかけた俺も大概バカだとは思うけれど。 代表が終わればまたライバルに戻るけれど、対戦するのもまた楽しみの一つになっている。 とりあえず、卒業するまで後一年半。競技場で、はたまた本当に寮の窓辺でなのかもしれないが、みんなに見つからないよう、こっそり会うしかないのかもしれない。そんな状況にも関わらず、悲壮感みたいなものは欠片も見当たらない。 行く先には心中なんて悲惨な話ではなく、明るい未来が開けているはずだから。 |
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end / 2004.11.18 |
時事ネタつうか、「雪の王子さま」モデルは高校3年生だった中田浩二でした(笑)
雪の日の決勝戦で、彼はそう呼ばれていた。懐かしいねぇ…。
'03C翼オンリーイベント『みなつく』で出した本の再録でした。
もう一冊のデータ、どこ行ったんだ…?