Eternity / ともこさま |
日が落ちた、寮へと続く帰り道で。 後ろを歩いていた若島津を振り返って、唐突に、日向は訊いた。 「誕生日、何が欲しい?」 「たんじょーび?」 いきなりの問いかけに、驚いた様子で聞き返した若島津の白い吐息が、ピンと張った冷たい空気の中に溶けていく。 「おまえ、誕生日だろ、29日」 さりげなさを装ったつもりでも、慣れない照れくささに、日向の頬が熱くなってくる。それでも、この薄暗がりの中では、赤く染まった頬に気付かれることは無いだろう。日向は、冬の日の短さが、今更ながらありがたいと思った。 「・・・でも、帰省中だし」 遠慮がちに目を伏せて、若島津がポツリと言う。 祝ってやるんだから手放しに喜べ、なんて横暴なことを言うつもりはないけれど、彼のいらぬ気遣いが、日向には、なんとなく面白くない。 「そんなん、実家もご近所でしょーが、俺達」 むくれた様子に気がついたのか、若島津が苦笑しながら訊いてくる。 「もしかして、なにか、くれるとか?」 「ご承知の通り、金は無いけどな。どーしてもこれが欲しいってモンがあるなら、頑張ってみるからさ」 普段は、あまり物欲が無さそうな若島津だから。 もしも、何か欲しいものがあるのなら、多少無理をしてでもそれをあげたい、と。 もう何ヶ月も前から日向はそう思っていた。なんていったって、二人の関係が、単なる幼なじみから、微妙に色っぽく変化して、初めて迎える彼の誕生日だ。 日向の言葉に、しばらく首をひねって考え込んだ後、結局、若島津は困り顔で、 「すぐには、思いつかないや」 と、笑った。そうして、柔らかな笑顔のままで、続ける。 「何が欲しいかは当日までに考えるから、とりあえず俺の誕生日、ずっと一緒にいて?」 それは、単純な日向を有頂天にさせるには、十分すぎるくらい、甘く、魅力的なお願いだった。 12月29日は、思わず深呼吸をしたくなるほど、気持ちの良い快晴だった。 きっと世間一般には、行楽というより大掃除日和で、実際、日向も午前中は窓掃除に、蛍光灯の取り替えにと、家族にこき使われていた。 若島津とは、昼過ぎに、駅前のファーストフードで待ち合わせをして、それから、二人で、何件かの店をハシゴして、服を見たり、CDショップに寄ったり、と寮にいる間には縁の無かった気ままな時間を過ごし、気がつけば、あっという間に日が暮れて、辺りが暗くなっていた。 二人でいるというだけで、これといって何をしたという訳でもないのに、まるで加速がかかってしまったかのように、普段よりずっと速いペースで時間が過ぎていく。 夜を迎えた地元の繁華街には、クリスマスの飾り付けとどこが違うんだと言いたくなるくらい、派手なイルミネーションが施されていて、そのせいか、暗くなるにつれ、ぴったりと寄り添って歩くカップル達の姿が目立つようになっていた。 瞬く電飾が華やかな街並みと、仲睦まじげな恋人達。それはきっと年末のありきたりな光景なんだろうけれど、どこか嘘臭く、現実味に欠けていて、日向には居心地の悪い空間にしか思えなかった。何がどうというのではないが、自分が求めているものは、少なくとも、こんなんじゃない。 結局、その人波に追われるような形で、たどり着いたのは、小さい頃よく一緒に遊んだ公園だった。近所の子供達の遊び場にすぎない小さな公園には、自分達以外、他に人影は見あたらない。だけど、そこここに幼い頃の思い出が溢れかえっていて、妙に優しい気持ちになれる。 「うわー、なんか全部が小さい!」 懐かしい風景をぐるりと見渡して、若島津が感嘆の声を上げた。 もちろん、昔遊んだブランコや滑り台が小さくなったわけじゃない。自分達が大きくなっただけのはなしだ。 大きくなって、色々なことが変わった。この、幼なじみの横顔に、白い頬に、唇に。 見惚れて触れたいと、誰にも渡したくないと、明確に意識をし始めたのは、いったいいくつの時だっただろう? 「誕生日が冬だと、昼が短くてつまんないなあ。あっという間に終わっちゃう気がするし」 すぐ隣りで、若島津がついた溜め息に、日向はハッと我に返った。無意識のうちに、また、見とれていた。彼の、横顔に。 「大人になったら、夜が長い方が良くなるのかもしれないぜ?」 思いつくままに日向がそう返すと、疑うような視線が向けられる。 「・・・なんか、やらしーこと考えてない?」 「いえいえ。別に、そんなこと」 しらじらしい作り笑いを浮かべて、日向は、手を振りながら否定した。 でも、本音では当然やらしーことを期待していて、そんなことは若島津もお見通しで。 こんなばかばかしくて、しょうもないやり取りが、今の二人にはこの上ない宝物だった。 「で?欲しいモノは見つかったのか?」 ブランコに座った若島津の傍らに立って、日向は訊いた。 「んー?」 「おまえ、何が欲しいって訊いても、どの店でも首を傾げるばっかだしさ」 いろんな店で、いろんなモノを見たというのに、結局何も買わぬまま、今に至っている。 なんだったら俺が決めようか?と、日向が言うと、若島津は静かに首を横に振った。 「いーよ、そんなの。プレゼントなら、もうもらったし」 「へ?」 意外な言葉に、日向は目を瞠った。若島津は、フワリと柔らかく微笑んで、 「えーとね、今日の思い出」 と、答えた。 「おまえなあ、確かに、今の俺には甲斐性なんてねーけど、だからといって、アメ玉一個あげてない状態で、思い出をもらったなんて言われたかねえよ」 髪をガシガシと掻きながら口を尖らせた日向を、若島津は困り顔で見上げる。 「気持ちは嬉しいんだけど、でも、恋なんて・・・、形がないものを、どれだけ大切に出来るかにかかってるんじゃないの?一緒に過ごす時間とか・・・お互いの、こころ、とか」 若島津の言うことは、ひどく正論で、清々しくて、とても、愛しい。 確かにプレゼントなんかどうだっていいのかもしれない。立場が入れ替われば自分も同じことを言うかもしれない。だけど――――。 だけど、なんでもいいから、もっと我が儘を言って欲しいと日向は思っていた。何も欲しがらないのは、何も期待されてないからじゃないかと、時々、そんな卑屈な考えが頭を擡げてきて、日向は焦りに似たもどかしさを感じていた。 「日向さん、俺、今日すっごく楽しかった。いつか、俺達の関係が、過去のものになった時、きっと今日のこと思い出すよ。俺の、15才の誕生日」 まるで、なんでもないことのように。 若島津があっさりと続けた言葉は、焦燥にかられる日向の胸を容赦なく突き刺した。胸に沸き上がってくるのは、自分でもどうしようもないほどの怒り。 「ふざけんな!」 我慢できずに日向は声を上げ、その勢いで、若島津の腕を掴み、強引にブランコから立ち上がらせていた。 「おまえ、自分が、今、何を言ったかわかってんのか?」 「なにって・・・」 日向の激昂の理由に見当がつかないのか、若島津は、ただ茫然と目を見開いている。 その様子に唇を噛み、感情の抑制が利かぬまま、日向は再び苛立ちに任せて口を開いた。 「俺は、おまえのことが、なにがなんだか、ひっちゃかめっちゃかになるくらい好きで・・・、好きで、好きでたまんねえけど、だけど、おまえのそういうところは大嫌いだ!」 若島津の腕を掴む手が、悔しさに震えた。自分のこの余裕のなさが、日向には、何より悔しかった。 本当はこんなふうに怒りたいわけじゃない。きっと、怒る権利もない。自分に、彼を優しく包む余裕がないから、だからいつだって、何も期待しない顔で若島津は笑うんだ。 それでも・・・、そうとわかっていても、若島津の口からは聞きたくない言葉だった。自分達の関係が過去になった時、だなんて。 「なんでだよ?なんで、おまえは、付き合い始めたばっかだっていうのに、終わることなんか考えるんだよ!?そんなこと考えんなよ!考えて、そんなさびしそうな顔すんなよ!」 絞り出すような声しか出なかった。胸を締め付けられるような思いに、恐らく、泣きそうな顔をしていたんだろう。見てられないとでもいうように、若島津が日向からぎこちなく視線ををそらす。 「でも、日向さん。始まるってことは、いつか終わるってことでしょう?来年の今日、日向さんが、こんなふうに俺を好きでいてくれる保証なんかどこにもないんだ」 悟りとも、諦めともつかないため息をついて、若島津が儚げに笑った。 「俺の心はそんなに頼りないか?」 「・・・・・・」 「保証なんて、俺がいくらだってしてやる。おまえがそれで安心するなら、毎日好きだって言い続ける。来年の今日も、再来年も、ずっとずっとその先も、俺はおまえが好きだ。絶対に・・・!」 たかが、一年や二年で消えてしまうような、そんなあやふやな恋など日向には出来ない。 それだけは、絶対の自信があった。 「日向さん、俺、本当にすごくウレシイけど、でも、絶対なんて」 ない、と続けようとした若島津を日向は遮った。 「あるって言っているだろ?」 肩に手をかけ、彼の顔を覗き込んで、言って聞かせるように言葉を繋ぐ。 「絶対はある。俺が・・・おまえに絶対を見せてやる。だから、おまえは、余計なこと考えないで、どこにも行かないで、ずっと俺のそばにいて、俺の気持ちが変わんねーことを、ちゃんと見てろ」 俯いたままの若島津の白い頬に、黒い髪がサラリと落ちた。それを払うように顔を上げて、彼は、引き結んでいた唇を僅かに緩めた。 「日向さん、俺を日向さんの言う絶対の証人にする気なの?」 「ああ」 「ズルイなあ・・・」 喉の奥で小さく笑ってから、そうこぼすと、若島津は日向の瞳を真っ直ぐに見つめた。 「日向さん、ごめんね?」 「え?」 「俺、多分わかってた。あんなコト言ったら、日向さんが怒るって。本当は不安なくせにさ、なんでだろ?俺、日向さんの気持ち、試すようなことばかりやってる」 こういうの、嫌いだって知ってるのになあ、と自嘲するように若島津が呟く。 「そんなことで、謝るな」 若島津の肩を引き寄せ、日向は、その身体を強く抱き締めた。 「俺だって無理してカッコつけてる。誕生日なんて、本当は口実で、俺は・・・、ただ、会いたかっただけだ。おまえに」 本心は、言葉にすると、とてつもなく恥ずかしいもので。でも、言わなければならない時というのがあって。 「帰省なんて、ほんの短い間なのに、俺は嫌だった。会えない時間が、一緒にいられない時間が、我慢できないって思っていた。本当は、そういう時間が大切なんだって、おまえは言うんだろうけど・・・」 若島津の肩に顎を乗せるようにして、日向はホッと一つ息を吐いた。そして、一番伝えたいことを告げるため、再び口を開く。 「こんなの、子供っぽい独占欲だってわかってる。それでも、おまえには、俺の手が届いて、声が聞こえるところに、いつも、いて欲しいんだ」 言葉はとても拙いけれど、日向の真摯な想いが届いたのか、若島津が、はにかむような笑みをこぼした。 「日向さんさ、でもやっぱり今日は俺の誕生日なんだから、我が儘言っていいのは、俺でしょ?だから、その言葉を口にするのは、日向さんじゃない。俺の権利だよ」 「・・・?」 日向が戸惑って抱き締める腕の力を緩めると、少しだけ身体を離し、若島津は、冗談めかしてペコリと頭を下げた。 「俺のそばにいてください。手を伸ばせば触れられる距離に、ずっと・・・」 頷く代わりに、そして、苦手な言葉の代わりに。 若島津の冷え切った頬を両手で包み、日向は、その冷たい唇にキスをした。 一度だけでは足りなくて、何度も口づけを繰り返す。技巧も何もない、触れるだけの子供っぽいキスだけど。それでも、合わせた唇を通じて、体温と一緒に、身体中から溢れ出す彼への想いが伝わるようにと。 きっと、若島津が欲しがっているのは、そんな、たわいのないものだ。人から見れば、取るに足らない、だけど、日向にしかあげられないものだ。 「ねえ、大変だ、日向さん」 ほとんど唇が触れ合う距離で、若島津が唐突に声を上げた。 「は?」 訝しげな視線を日向が返すと、若島津は目を細めて嬉しそうに告げる。 「俺、今、世界中でイチバン幸せかもしれない」 「・・・・・・」 「世界でイチバンだよ?わかってる?ねえ、これって、スッゴイことだよ?」 キラキラと輝く澄んだ瞳で、日向の顔を覗き込んで、若島津が得意げに言った。 咄嗟には何も返せず、ただどうしようもなく愛おしくて、日向は、彼の身体を、もう一度きつく抱き締めた。 この、こぼれるような笑顔を、こうやって独り占めしているんだから。 世界一幸せなのは、おまえじゃなくて俺だろう?と。 胸の内でひっそりと呟いて、日向は、若島津の柔らかな髪に顔を埋めた。 「あ・・・、雪」 音もなく舞い始めた雪に気付いて、若島津が寄り添っていた日向の肩から顔を上げた。 「昼間はあんなに晴れてたのにね。なんか、忘れられないことばかりが重なっていく。スゴイや、俺のたんじょーび」 降り出した雪のせいか、ますます冷え込んでいく外気に、頬と鼻の頭を赤くして、若島津が、へへっと笑う。 「きっと、日向さんが隣りにいてくれるからだね」 「・・・・・・」 これ以上カワイイことを言われたら、本当にもう、一瞬たりとも手放せなくなるから。 かといって、このまま若島津を家に帰さないというわけにもいかないし、ちょっと勘弁して欲しい。なんて、こっそりと思いつつ、日向は赤くなった頬を隠そうとして顔を伏せた。 「なんか、照れてるし」 「うるせえ」 雪を降らせたのは、当たり前だけど、自分の力じゃない。 一緒にいたからって、いつも笑顔でいられるわけじゃない。むしろ、傷つけることの方が多いのかもしれない。今までも、そして、多分これからも。 心に永遠を求めることの無謀さも、虚しさも、変わらないものなど何も無いということも、きっと本当は知っていて、その程度には、二人とも大人で・・・。 だけど、それでも、永遠を誓いたい恋がある。 安易に物を欲しがってはくれない若島津だから。 目には見えない、手に触れることもできない、けれど若島津が一番望んでいる、彼を想う気持ちを両手いっぱいに抱えて、また、こうして誕生日を祝おう。 来年も、再来年も、ずっとずっと、その先も、今日と同じように、変わらないこころで。 そして、いつか――――。 15年前の今日、若島津が生まれた時以上の祝福を、彼に与えられる人間になれますように、と。 日向は、今、心から、そう願った。ただ、懸命に、そう願った。 end / 2001.12.25 |
うっわ、めっちゃくちゃ可愛い…
何度読んでも新鮮に可愛い…
頂いたのは2001年でしたか…
そ、そんな昔からわたし、ともこさんにご迷惑を…
い、いえ、そんなこと今更ですよね(開き直りやがった)
ともこさん、本当にありがとうございました。