Baby please  <5>





あの時会った天使の正体は、数ヶ月後に判明した。
ある日、TVの中でその姿を見つけて、件の次男から教えてもらった。
今までサッカーにほとんど興味のなさそうだった父親が、突然彼の事を尋ねたので、次男はちょっと訝しそうにしていたが、いつものように少しぶっきらぼうに答えてくれた。
彼は若島津健といい、まだ若いけれど実力は世界レベルのGKで、彼が日本代表に入ってからは失点数が格段に減ったのだと、次男はまるで我が事のように誇らしそうに言った。
――小次郎はこの人のファンなんだよね
――うるせぇな。別にそういうわけじゃ…
照れている小次郎と、それを見て可笑しそうにしている太郎。そしてコタツに入ってうとうとしている勝と直子。
今日、この光景があるのは、ひとえに彼のおかげだ。
天使は現実に存在する人間だった。けれど、やはり自分にとって、彼は天使だったと思う。


正体が分かったら、何としても一度会ってお礼が言いたかった。
そう思っていた矢先に運良く、彼との対談の話が舞い込んできた。
画家とサッカー選手の一見奇妙な取り合わせだが、最近ではそういう企画が結構受けているらしい。
女性ファッション誌のような部類の、普段あまり目にする機会のない雑誌だったが、彼と会えるのであれば何でも良かった。企画した編集者に、密かに感謝した。
彼は最後の最後までその取材に渋り、なかなか首を縦には振らなかったのだと、こっそり編集者こぼしているのを聞いた。
少し不安を抱えながら、打ち合わせで聞いたスタジオに入っていくと、彼はもうすでに到着していた。
入ってきた自分に視線を止め、目を大きく見開いた。
「・・・・・・あの時の、オッサン?」
彼は、あの日の事を覚えているようだった。
姿は少し成長していたが、驚いた顔と乱暴な口調はあの時のままで、思わず苦笑した。
「うん、久しぶりだね。その説は本当にお世話になって、ありがとう」
「あ…あぁ。無事だったんだ。ちゃんとあの後、家に帰ったんだね」
「君のおかげでね。息子はちゃんと家にいるし」
「そうか、良かった」
会うなり、紹介もないうちに会話を始めた自分たちを見て、「何だ、知り合いだったんですか?」と編集者が驚いたように言った。
知り合いと言えば知り合いだが、何とも答え様がなくて曖昧に返事をすると、それ以上の深い追求はなく、仕事の準備が始まった。

ファッション誌だけあって、特に取りとめのない対談。その合間に何枚か写真を撮られ、その仕事は終了した。
スタイリストが用意した服を着せられている時は、うんざりした表情を見せていた彼が、サッカーの話になると途端に生き生きと、瞳を輝かせるのが印象的だった。
彼が今、本当に好きな事、つまりはサッカーを楽しんでいるのが、素人のこちらにもわかる瞳の色だった。
ふと、小次郎の事を思い出した。
彼も普段はぶっきらぼうで、どこかまだ自分に遠慮を感じさせる様子だが、サッカーの事となると少し饒舌になる。
どこか似た所を感じて、密かに笑った。
取材が終わってから、彼にこっそりこう言った。
「息子が君のファンなのだそうです。前に、君に愚痴ってしまった息子です。今思い出しても、とんだ醜態をお見せしてしまったけれど、君のおかげで本当に助かった」
彼は笑って、
「俺は何もしてないですよ。でも良かったですね。落ち付いたみたいで」
と、取材の間にすっかり改まった口調で、そう言った。
自分の家もゴタゴタしていると、あの時、彼は言っていたのが気になった。しかし、それがどうなったかと、こちらから聞くのは憚られた。
彼の表情を見ていると、彼の家はまだ「落ち着いて」はいないらしい。
不意にほんの少し翳った表情が、サッカーの事を語る彼の印象とそぐわない気がした。

「これからも応援してますので、がんばってください」
別れ際、そう言って言葉を締めた。
その言葉に、心底から偽りはなかった。彼には、このまま明るい未来だけを見つめて、進んで行って欲しかった。
彼を取り巻く厳しい世界。その代償に与えられる喚起と興奮。天国への道。それを突き進んで行って欲しかった。
天使が住むのは、天国に決まっているのだから。



実際に会ったのはそれ一回きりで、彼の姿がサッカー界から消えたのは、それから1年後のことだった。
肩を壊してサッカーを辞めてしまったのだと、人づてに聞いた。小次郎が2、3ヶ月前から、妙にふさぎ込んでいる様子なのも合点がいった。
彼は今、一体どうしているのだろうか。
サッカーの事を、あんなにも瞳の輝かせて語る彼。
彼の瞳は、今でも輝いているのだろうか。輝かせるものを、サッカー以外にも、彼は持っているのだろうか。
自分の、そして自分の家族の恩人とも言える彼は、今どこにいて何をしているのか。




街中で偶然、その人影を見付けた。
最初は人違いかと思った。それくらい雰囲気が一変していた。しかし、思わず声をかけずにはいられなかった。
「若島津くん?」
振り向いた彼は、最後に見た時より、かなり痩せていた。どことなく痛々しい印象を受ける。
彼は訝しげにこちらを見やり、そして不意に思い出したかのように声を上げた。
「……岬先生?」
彼はあの時の対談の仕事で、自分をそう言う呼び方で呼んだ。しかし目には、あの時に見せた覇気が削ぎ落とされていた。
「うん、久しぶりだね。元気なのかい?」
「えぇ、まぁそれなりに・・・」
わずかに微笑んだ顔は、確かにあの時の天使と同じ顔だったが、どこかしら投げ遣りな雰囲気が漂っている。かなり荒れた生活をしているのだろうかと密かに眉を潜めたのは、彼の事情を知っている先入観からなのか。

自分を救ってくれた天使を、今度は自分が助けてあげようなどとうぬぼれていたわけではなかったと思う。
ただ、放っておけなかったのだ。
例え、余計なお世話だ、と言われても。


そして、今年もクリスマスが巡ってくる。
あの時、出会った天使は今、わが家で子供たちと一緒にケーキを作っている。子供たちのはしゃぐ声が、キッチンから零れてきた。
高校生になった次男も、あの頃と同じく家にいる。そろそろ帰ってくる頃だろう。



――あの時、どうして俺を連れてきたんですか?
コーヒーを手渡しながら真剣な顔をした彼に、そう聞かれたことがある。
「君が、『この世に神様なんていない』って顔して歩いてたからかな」
そう言ったら、彼は苦笑した。
その笑顔は、あの日の天使の瞳の面影を確かに残していた。



end / 2001.12.14






シリーズものでした。分類的にはコジケンですらなく、ホ、ホームコメディ?
そういやフルハウスとか案外好きなんだよ、わたし(笑)
でも常々思うけど、あのゴールデンの時間帯にあの番組観てる人って一体どーゆー人?!
…って、わたしだよ。

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