解けない魔法2
一歩足を進めるごとにぎゅっと音を立てる白い地面を踏みしめながら玄関へ向かうと、深夜の暗闇の中、扉の脇に積み上げられた雪山の影で不意に蠢く物体が視界に入った。
一瞬、身構える。しかしその正体がわかった安堵と同時に、聞き覚えのある声が投げつけられた。
「遅っせえよ、アンタ」
「…鋼の?」
もう一度、先ほどの独り言と同じスペルを口に乗せる。真夜中の空気は、呼吸をするたびに白く煙った。
「どう…した?こんなところで」
「近いうち行くってソレに書いただろ?」
ソレと、手にしているカードの束を顎で指し示された。
確かに、珍しくも君が送って寄越した新年のカードには、『近いうちに』などという、非常に曖昧な時間記述がなされていたけれど。ついさっきこのカードを見たばかりの身では、『近いうち』の未来形というよりは現在形の範疇だ。
日付と時間をきちんと伝えなさいという割合頻繁に出したい苦情は、悪戯が成功した子どものような顔で笑うエドワードを目にして結局今回も許容する。しかしその鼻の頭が赤くなっていることに気付いて、どれだけの時間ここでこうしていたのかと呆れるのを通り越して少し腹が立った。
「用があるなら指令部に来れば…、いや、ここに来たなら、中に入って待っていればいいだろう」
「鍵ねぇし」
「鍵などなくとも、君は以前も練成で勝手に入って来ただろう。こんな寒い日にこんなところで。馬鹿か君は」
「…この寒い中でも、あんたの口は相変わらずよく回るな」
しゃべるために息吸うとますます寒くね?
年が明けても生意気な口調は健在で、相変わらずはお互い様だ。一応いつもより厚手のコートとマフラーで防寒している様子だが、機械鎧の右腕の付け根を調子を見るように軽く回す仕草を見て眉を寄せる。寒い日は付け根が痛むと、年齢に見合わない大人びた苦笑を見せていたのを思い出して。
「誰のせいだ?!」
腹立ち紛れに些か乱暴に鍵を開け、ドアを大きく開く。早く入れと掴んだ腕は機械鎧の右腕で、体温が通わないせいばかりでなく、白い手袋に包まれたその指先はまさに氷のようだった。
それを更に体感させられたのは、その冷たい無機質な指が頬に当てられたせいで。
「なあ、もしかしてそれって心配してくれてるわけ?」
扉が閉まった瞬間、勢いよく引き寄せられてぶつかった唇も冷たくて、思わず身体が竦む。
「冷た…、」
文句を言いかけた口を更に塞がれて、冷えた空気を纏った身体が押し付けられる。コート越しにエドワードのいつもの体温が微かに伝わってきて、無意識に篭めていた背筋の力を抜いた。
外気に晒されている唇は冷たいのに口腔に入り込んできた舌は酷く熱くて、熱を求めるように絡ませると押し付けられた身体が更に密着してきた。上がる吐息は屋内でも白く曇るほどなのに、触れ合った身体は格段に温度を上げていた。
「…玄関先で盛るな」
「部屋ならいいわけ?」
「よくない。…しないぞ。こんな寒い日に」
「すればすぐ暑く…っいて!」
間近でにやける金の頭を掌で殴ると、エドワードは大袈裟に痛がってみせる。しかし、腰に回された腕の力は緩まなかった。
「新年早々、ふざけたことを言うな」
「別にふざけてねぇよ。あんた明日休みなんだろ?」
「今日も休みのはずだった。この雪のおかげで明日も判らん」
再び近寄ってくる金色の目を右手で押しやって顔を背けるのに、その手はあっけなく捕らえられる。触れてきた生身の左手は、外気の冷たさをもう残してはいなかった。
「でも明日はよっぽどのことがなきゃ、なんとかって中佐が呼び出しの当番だって聞いたぜ」
「……なぜ知っている?」
「ここ来る前指令部行ったけど、あんたすっげー忙しそうだったから声かけなかった」
「忙しかったぞ。この大雪のせいで老人は滑って転んで骨折するし、事故は多発、汽車は止まって交通網はほぼ麻痺状態だ」
「うん。知ってる」
「その対処に朝から一日振り回されて、疲労困憊な大佐殿を労わってやろうという気持ちはないのか?」
「うん。お疲れ」
言葉と共に、髪を撫でられる感触。間近で楽しそうに笑う目を見下ろしながら睨みつけても、相変わらずエドワードはまるで応えていない様子だ。
じゃあさ、とにやりと笑って。
「汽車が止まって、ここまで4時間歩いて来た俺を労わってやろうっていう気持ちはない?」
頬に触れた唇の感触と共に聞こえた言葉に、怒りも忘れて一瞬唖然とした。
「あと少しだってのに、隣町で足止めだぜ。頭来て、アルに先に行くっつって出てきた」
「……馬鹿か、君は」
「いや、聞きたいのはそういうのじゃないから」
「4時間?この大雪の日に?馬鹿か、君は」
「……あのな」
「どうしてそんな、」
続く問いかけは、間近で金の視線を真っ直ぐに向けられて途切れさせざるを得なかった。
「新しい年に、一番にあんたに会いたかったんだ」
囁くように告げられた言葉も、先ほど触れた唇と同じくらい熱くて。
「今年は生身の腕であんたに触るから。機械鎧の感触もよく覚えといてもらおうと思って」
だから、どうしても早く会いたくてさ。
潜めらた声と共に金色の頭が肩先にぎゅっと埋められ、外気を纏ったままの冷たい髪が頬に触れた。
今年こそ目的を果たすという決意を誰かに告げたかったというなら、いつでも聞いてやったのに、とか。
昼過ぎまで吹雪だったというのに、とか。
明日になれば、汽車も復旧するかもしれないのに、とか。
寒い日は機械鎧の継ぎ目が痛むと言っていたくせに、とか。
もう年なんだからあまり無茶をするな、と腹の立つことを言ってくるが、君こそ若さを過信しきった無謀で無茶で馬鹿げた行動をしている、とか。
浮かんだ、それらすべての言葉を飲み込んで。
「風邪を引いても、私のせいにするなよ」
耳元でそう呟いて、一回り小さなその背中をそっと抱き返した。
「これからあんたがあっためてくれれば、風邪なんて引かねぇし」
意味ありげに作られた口調に思わず溜息が出そうになったけれど。
顔を上げたエドワードに嬉しそうな笑顔を向けられて、それすら飲み込んで。
「指令部であんた見て、すぐにでも触りたかったけど我慢したんだぜ」
「…当たり前だ。とりあえず風呂に行け」
「え、なに?風呂場で?」
「馬鹿者!まず風呂で温まってこいと言っているんだ」
一人でな。
そう付け足すと、えー、と不満げな声を上げた。
「あとでいいじゃん。終わったらどうせ入ることになるんだから」
しれっと言いながら、コートの中に入り込んでくる生身の指先を感じて。
新しい年の始めにこの笑顔が見られたことを自分でも驚くほど嬉しく思ったのは、秘密にしておくことにした。
'08.1.12
寒かったから、甘々モードなのが書きたかったんです。