解けない魔法




今年の初日とばかり無駄に張りきった低気圧のおかげで、東部は新年早々から大雪だった。
世間一般は新年の休暇に入っていて普段よりも人々はのんびりとしていたが、それでも雪による通常生活の些細な不都合から大掛かりな事故の通報まで、その日の指令部の電話はいつも以上にフル活動を強いられた。シフトを組んだ時点では通常より若干少ない人数で勤務をこなす予定だったその日、緊急で呼び出された哀れな軍人はその大雪の被害者以上に登る。
若くして東方指令部実質トップの国軍大佐おまけに国家錬金術師。
聞こえはいいが、こうなるとその肩書きも新年早々酷使させられる格好の理由でしかない。呼び出されれば何時いかなる時でも駆けつけねばならなず、新年初日の朝日が昇る前から電話で叩き起こされたロイが帰宅したのは、もう深夜に近い時間だった。
大雪は夕方からようやく降り止んで、傍若無人に空から降ってくる忌々しい白い結晶は小康状態を保っているらしい。自然現象は、人間が勝手に決めたカレンダーなどおかまいなし。これもまた世の真理だ。
車窓から見える家々の屋根も庭先も道路も、一面クリームを塗りたくったみたいな様相になっている。今晩はひとまず降ることはないと予報したラジオを聴いて、夕方の司令室では一斉に安堵の溜息が漏れたものだったが。
見上げれば、しんと冷えた上空に濃いグレーの雲が存在を強く主張していて、いつまた降り出すとも限らない按配だ。ホリディ中は天気予報が大幅に外れても上がる苦情は少ないらしく、この期間の予報局など結構いい加減だと知っているロイは、今日町の中心部にある市場の除雪作業を任せたブレダ少尉の隊の仕事がまた明日振り出しに戻る場合に備え、申し送ってきた配置メンバーを再度考えながら送迎の車を降りた。
軍内で顔見知り程度の運転手に向けられた敬礼を簡略に返して、自宅の門へと進む。路肩に積み上げられた雪にタイヤが空回りする音が去っていった後には、しんと静まり返った深夜。高く鳴るはずの軍靴の足音は雪に吸い込まれて、いつものように周囲を憚る必要はなさそうだった。
門から玄関まで、短い距離ではあったがそこもきちんと雪が除けられた跡があった。大佐の官舎であろうと軍はいちいち個人宅まで面倒見てくれる余裕はなかったはずだから、功労者はきっとあの通いのハウスキーパーなのだろう。
新年は家族と過ごすと微笑んだあの初老のご婦人に気を回させ、しかもこんな重労働まで強いたのかと思うとこの大雪を再び罵りたくなる。これではフェミニストの名折れだ。次に来てくれる日までには花と菓子でも用意しておかなくては。

どこかで屋根に積もった雪が地面にどさりと落ちて、その音にロイは思わず振り返った。
吐く息さえ白く煙る、真っ暗な深夜の闇。
それを一面覆い尽くす、白い世界。
―――雪は魔法の毛布。醜いものを隠してすべてを美しく見せる。
昔読んだ本の言葉か、観劇した舞台女優の台詞か。
誰の言葉かは思い出せはしなかったが、こうして見ると確かにいつもの町並みを美しく変えていた。
古めかしい家のくすんだ壁紙も、住む者のいない廃屋も、低所得者層の住まう路地も。
かの見捨てられた砂漠の地でさえ、美しく見える日が本当に来るだろうか。

自嘲の笑みを苦笑に変えて、鉄の格子で組まれた門に手をかける。律儀にも細いその上にまで積み上がっている雪を払いのけながら、ロイはいつもの習慣で郵便受けに視線を向けた。
そこには見るからに通常とは言いがたい量の内容物が詰まっているのが外からでも判って、ロイは一瞬だけ訝しげな表情を作った。しかし今日が新年であったことを思い出し、あぁ、と納得と共に中身を取り出した。
概ねこれから一週間の間に、人々の間で遣り取りされる新年の挨拶が書かれたカード。
取り出してぱらぱらとはぐってみると、懐かしい名前や先週会ったばかりの悪友の名前が視界を掠った。しかし概ね出世への足がかりの手段として交流している名前、店舗などが半数以上で、かなりの厚さの紙束をロイは無造作にめくり続けた。
街頭の明かりが降り積もった雪に反射して、こんな時間であるにも関わらず普段より随分と明るかった。その灯りを頼りに差出人を読み流していた手が、ある一枚のところで止まる。
独り言を言う癖はないはずなのに、思わず声に出して言わなければならないほどには驚かされた。
「鋼の…?」
この名前に同姓同名の知り合いなどいないから、おそらくはあの少年。
しかし、それにしては。
あまりに彼らしくないその行動に、驚愕の後には不意に笑いがやってくる。
賢いくせにこういうところに脳細胞を駆使出来ないあの少年が、こうして社交辞令的な意味合いの強いカードを送ってくるなど夢にも思っていなかった。
裏をひっくり返してみると、それは町の雑貨屋でよく売っているような新年らしい雪景色の町並みが描かれたもので、その下に見慣れた彼の筆跡でメッセージがあった。
『新年おめでとう。近いうちそっち行くから』
簡潔明瞭な挨拶と、用件のみ。社交辞令的なのはカードを送るという行動だけであって、その中身に関してはいかにも彼らしくて更に笑えた。
いや、それでもこういうものを送ってくるほどには成長したという事か。もっともきっと発案は、あの気配りに長けた弟なのだろうけれど。


この手に守れるだけのものを守りたい。
そして彼らは、彼らの手で守れるだけのものを守ればいい。
あの兄弟がこの世界に戻ってくるために差し伸べた手。それが彼らを、更なる地獄へ引きずり込む事になりかねなかったとしても。
差し伸べた手に、こうして他愛ないカードが送られる。
この世のすべては等価交換だ。人間同士の繋がりでさえ、その原則から外れない。他人へ与えたものは、いつか自分へも返される。
返されたこの暖かなものは、自分が与えた結果だと思ってもきっと悪くはないはずだ。
そんなささやかな、でも確実に信じられる感情の繋がりが、もっと大きく広がれば。
そこにはきっと、目指す世界があるはずだ。

雪が解けても、魔法が解けない世界が。


お世辞にも綺麗とは言いがたい文字で書かれたメッセージを、そっと指先でなぞる。
彼らは今頃どうしているのだろう。大雪を降らせた低気圧はアメストリス全土に渡っているという情報だから、きっと苛立ちながらもどこかの町で足止めを食っているのだろう。滞在先でまた何か騒動を起こさなければ良いのだが。
跪いてもしぶとく立ち上がり逞しく突き進む彼らを思い起こしながら、ロイは吹き付けた風の冷たさに首を竦めた。
さしあたっては『近いうち』にやってくるという彼らを迎えるために、明日の休暇は書斎で山を作っている文献の整理に当てなければならないか。
手元のカードを束ね直し、白く煙る溜息と共に苦笑して。
書斎の惨状を思い起こして顔を顰めながら、脇に積み上げられ雪崩を起こしかかっている真っ白な雪の山を一歩、踏み超えた。






'08.1.5





なんだか、孫に年賀状貰ったおじいちゃんみたいな大佐(笑)