Have Yourself a Merry Little Christmas




ふと意識が浮上したように、覚醒を促された。
カーテンを透かして、どこまでも白い朝の光が室内に拡散されている。
目が覚めて、鼻の頭が冷えているのに気付いた。室内でこれでは、外気はきっと零下を下回っているのは確実だ。やけに眩しく差し込む光は、きっと街路や屋根の上に積もった雪が、朝日に反射しているせいだろう。
視覚に取られた意識を戻した途端、健全な町の喧騒が窓の隙間から流れ込んできた。それに混じって、小さな歌声が聞こえた。幾人かの子どものものらしい、あどけない声で。
おそらく、通りの向こうで歌われているのだろう。国軍大佐が居を構えるだけあって高級住宅が連なるこの界隈では、小銭稼ぎのそういった子どもなど見たことがなかったので、少しエドワードは不思議に思う。
しかし、流れてくる聞き覚えのある旋律に、その答えを知った。
―――あぁ、そういえば、今日は。
毛布の中からそっと左手を出して、両目を覆う。
指の間を透かして差し込む白い光。
昔聞いたクリスマスキャロル。
冷たい外気を遮断する柔らかい布団。
隣で眠る、暖かい身体。
うつ伏せるような姿勢を覆う毛布は規則的に上下して、朝日の中で彼が呼吸する音を穏やかに響かせていた。
右側だけ晒される横顔と、意外に長い睫。
―――なんだろな、この気分。
幸福みたいなものに似た、このくすぐったい感じは。
そして、まるでその付属物のように共にやってくる、正体の判らない痛みに胸を抉られるようなこの感覚は。
起こさないよう注意を払ってそっと動いたのに、彼は気配に敏い軍人らしく、規則正しかったその呼吸のリズムを変えて。
目の前で、黒い睫がそっと揺れた。
「…、鋼、の?」
ほら、そんなふうに。
寝起きの声で、迷いもなく一番に俺を呼んでくれることが、どれほど俺を浮上させるかなんてあんたちっとも知らないだろ。
同時に、どれほど焦燥を掻き立てるか、なんて。
「…オハヨ」
眠っていたのは多分、ほんの3時間くらいなものかもしれない。この家に泊まる日は、大概がこんなものだ。会いたくても思うようには会えない分を補うように彼に触れて、確かめて、時間の観念などなくなって。
「今何時だ?」
寝起きの悪いこの大人は挨拶も返さず、右手で両目を擦って唸るように言った。子どものような仕草に、思わず苦笑する。
そんな姿を知ってるのが、俺だけならいいのに。
甘い吐息を吐く唇が。
抱き返してくれる腕が。
俺だけのものなら。
彼から目を逸らし、床に落ちていたコートを取るために毛布から手を伸ばすと、冷気を感じない鋼の腕でも一瞬付け根が竦んだ気がした。
「まだ7時過ぎ」
ポケットから銀時計を取り出して針の位置を確かめると、彼は少し掠れた声で呆れるように言った。
「子どもは早起きだな…」
「ああん?!」
常套句の揶揄に眉を吊り上げると、彼は眩しそうに顔を顰めながら笑うという器用な真似をした。
「違う。さっき表通りで子どもたちが歌ってただろう?」
「起きてたのかよ?」
「いや、半分寝ていた。夢の中で聞こえた」
夢の中で歌われるクリスマスキャロル。人々の幸せと、神への感謝。クリスマスの祝いに満ちたその歌を。
この男は、それをどんなふうに聞いたのだろう。
幸福な夢か、悪夢か。
どちらなのだろうと考え、伏せられた黒い睫に視線を落とす。
「中央のくせに、随分とクラシカルなことしてんだな」
街頭で歌われるクリスマスキャロルなんて、子どものころ読んだ物語の中にしか出てこないかと思った。
言葉に僅かな嘲笑を織り交ぜると、彼も同じような口調で返した。
「善き伝統は守るべきもの。この地区のご婦人会のお題目だ」
眉間に皺を寄せて瞑目したまま、彼はうんざりした様子で言った。
「おかげで、子どもたちは真冬の朝に外で歌うという過酷な試練を課せられている。こちらは休みだというのに叩き起こされて、どちらもいい迷惑だ」
「あんたがそう言ってたって、町中でバラすぞ」
「やめてくれ。ご婦人方の夢を壊そうなどとは、君も相当な悪人だな」
「言ってろよ」
顔を顰めて見せると、彼は可笑しそうに小さく声を立てて笑った。
―――悪人。
そう、神の恩恵から外れた罪人は、こんな日にだって与えられた幸福を感謝する彼らの中には入れない。
神様なんて信じちゃいないし、例え居たとしてもそれに愛されてるとは到底思えないから。
今ここでこうしていることは、そんなものに気まぐれに与えられた運命などではなく、自分の手で選んで掴み取ったものだと思うしかない。それでいいし、それ以外の生きる道など、到底自分の選択の範囲外だ。
神様に愛されていなくても、善良な人々とは同じ世界に在れなくても。
この人が、こうして傍にいることを許してくれるなら、それで。
彼に触れたくなって、身体を起こして静かにその頬に口付ける。
「鋼の」
不意に違う語調で呼びかけられて、闇色を反射する瞳を間近で見下ろした。
「年明けまでは中央にいると言っていたな」
「ん? うん」
では―――。
そう言って、有無を唱える間もなく、腕が頭の後ろに回されて彼の胸元に引き寄せられる。
「まだ早い。君ももう一度寝ろ」
薄い寝衣越しにぎゅっと回されてくる腕と、額にそっと落とされるキス。
―――あぁ俺、甘やかされんな。
許容されることへの安堵と、失うことへの不安に。
わけもなく泣き出しそうな感覚に襲われ、瞬きをしてその気配を追い落とす。
彼の腕は、酷く温かかった。この無機質な金属の手足は、彼を体温を奪うことはあっても決して温めることはないというのに。
抱き枕扱いで包み込まれて息苦しくさえあっても、文句を言う気にはなれなかった。
頭上で繰り返される深い呼吸の音と、通りの向こう、遠く聞こえるクリスマスキャロルが、まるで子守唄みたいで。
浸み込むような温かさの中、エドワードはもう一度目を閉じた。






'07.12.19





クリスマスネタなので、甘い話を書こうと意気込んでいたんです、…確か。