闇を泳ぐ
久しぶりに訪れた彼の部屋は数ヶ月前との変化を見つけ出すことは出来ず、相変わらず彼がここへは寝に帰るだけの場としての認識しかしていないのだと知れた。
「もうちょっとさ、季節感のあるものとか部屋に飾るとかしたらいいんじゃね?」
「何だね、急に」
一気に冷え込んだ空気を纏ったコートを脱いで、ソファの背にかける彼の背中が、可笑しそうに揺れた。
「相変わらず殺風景だって言ってんの」
「生憎、ここで季節を認識する必要性を感じないのでね」
そう言って僅かに笑みを形作りながら振り返る瞳は、どこまでも深い闇の色。
「それでも、たまに有能なハウスキーパーがテーブルに花を飾ってくれていたりするのだよ。さしずめ今日ならばかぼちゃでも置いてくれていれば、君の言う季節感を感じることができたかもしれないな」
「ジャック・オー・ランタン? どこの子どもの家だよ」
「おや、君が来るのであれば、相応しいと思ったのだが」
紡がれる言葉の意図は明確だ。わざと自分を子ども扱いをして煙に巻く。怒って帰るのを期待してのことかもしれない。生憎、その手に乗ってやるつもりはさらさらなかった。
乱暴にソファに引き倒すと、彼は反射的に驚いたように目を見開いた。この黒い目が熱に潤むところを、もう何度息を詰めて見入っただろうか。
「誘ってんの?」
「…意味が判らんな」
「そう? てっきりそうなのかと思ったのに」
「重い。どきたまえ」
「嫌だね。今日は子どもが悪戯していい日なんだろ?」
「都合の良い時だけ子どもになるな」
諦めたような溜息を聞きたくなくて、それを作り出す唇を吐息ごと塞ぐ。
硬い感触の軍服の襟を引き毟る勢いで開いて首筋に口付けると小さな溜息が頭上から聞こえ、先ほどの目論見が失敗に終わったことを知った。
「…トリック・オア・トリートか」
「何、突然? 今更菓子出されてもやめねぇよ」
「いや、今ではお祭りが主のようになっているが、もともとはこの日、死者の霊がやってくると言われているのだよ」
「ふーん」
「この世とあの世との間の目に見えない「門」が開き、この両方の世界の間で自由に行き来が可能となると信じられていた」
「…ホントあんたって変なこと詳しいのな」
「一般常識だ」
あっそ、とぞんざいに返事をすると彼は少し笑ったようだった。大人の余裕を見せ付けられるようで、こんな時の彼は嫌いだった。
「じゃあ、中佐が来るかもしれないな」
意趣返しのように思いついた言葉を口にすると、彼が一瞬身体を強張らせたのが判った。
そして、酷く後悔する。
彼の中で、傷口はまだこんなにも鮮明だ。こんな時、不意にそれに気付かされる。
その度に抉られる痛みを堪えているくせに、自分に見せる顔は平素と変わらないポーカーフェイス。
素直に悲しいとか痛いとか辛いとかを見せてくれればいいのに。そうすればきっと、この心の奥で燻るように存在を主張する焦燥も薄らぐだろう。
いっそヒューズ中佐が死んだのはおまえと関わったせいだと詰ってくれれば良いのだ。こんなふうに、おまえには関係ないと言わんばかりに彼の感情に触れることさえ拒否されているのを思い知らされるたび、いつも酷く打ちのめされる。
それを見せられるに値するほどの価値がないのだと暗に彼に言われているようで。
優しくしたいのに。彼を傷つけるものから守りたいと思っているのは本当なのに。
気が付くと自分が一番彼を傷つけているような気がする。
早く大人になりたい。彼を傷つけることのないように。
「錬金術師らしからぬ言葉だな。あの世など信じてもいないくせに」
「信じてない」
「私もだ」
死者には二度と会えない。一瞬だけでも、せめて声だけでもとどれほど強く願っても。
今ならそれを知っている。
この人はどれだけ親友に会いたいと思っていても、こうして一人で、自分には手の届かないところで葛藤し、そして静かに気持ちの整理を付けるのだろう。
煽られる焦燥感に眩暈がしそうだ。
「もう黙れ」
「はいはい」
薄く微笑む彼が更に癇に障って、再びその唇を乱暴に塞ぐ。僅かに開いた隙間から舌を差し入れて強く絡め、引き出したシャツの裾から手を差し入れて生身の肌を辿ると、彼が僅かに息を詰めたのが判った。
隠していても、こうしてほんの僅かな隙から正直な反応が零れ落ちる。闇に紛れさせて隠した彼の感情も、こんなふうにすべて暴いてしまえたらいいのに。
そうすればきっと、優しく出来るのに。
闇を泳いで、感情の隠し場所を探り当てる。
そうすることで、この男の傷を再び抉って傷つけることになるのは判っているけれど。
着衣を纏ったまま性急に繋げた身体の奥を揺すると、堪えきれない吐息が小さく切れ切れに零れる。
愛していることと傷つけること。
もしかしてそれは酷く似通ったことなのかもしれないと。
浅い呼吸を繰り返す唇を塞ぎながら、熱に浮かされた思考の片隅で思った。
'07.10.29
今更ながらのハロウィンネタ小話第二弾。エドバージョン。
最初はもう一つのと同じ話のつもりで書いていましたが、あまりのトーンの違いに途中で急遽分割。
そんなわけでハロウィンの話が二つもあるのでした。計画性のなさがここでも露呈。