男子三日会わざれば活目して見よ
いつものように定期報告に執務室にやってきた鋼の錬金術師は、報告書を提出すると窓から外を見下ろす仕草などをして見せ、珍しく見慣れた赤いコートにゆったりとした時間を纏わせていた。
通い慣れた東方指令部ならまだしも、この中央ではあまり長居をしないで早々に立ち去るのが通例だった彼の意外な様子に、目の前の書類の文面を追いながらも若干の違和感を覚える。それを口に出して問いかけるより前に、少年は振り返った。
「…なぁ大佐」
「何だね?」
「庭に奇妙な格好したガキが10人くらいいたんだけど、あれ何?」
あからさまに不審気な顔をしてみせるその様子がいかにも幼く映って、いつもこうなら可愛げ気があって良いのにと思う。もっともそんなことを彼に言ったら、途端にその十倍は憎まれ口が返ってくるのが判りきっているので書類の山に机の面積が圧迫されている今、それを口にすると少々面倒なことになるだろう。
彼の言う『奇妙な格好』というのがどういう種類のものかは判断が付きかねたが、今日行われているらしいささやかなイベント事は先日から私の耳に入っていたので、憶測ではあるが答えをくれてやることにした。
「あぁ、今日はハロウィンだからね。それでだろう」
「……ふーん」
微妙な間を置いて返される返答に、思わず視線を留める。
「もしかして、知らないのか?」
「ハロウィンが何かくらい知ってるっつの! ただ普段一般人がちょろちょろしてたら即刻追い出されるこの敷地内に、あんなに子どもがいることに驚いたわけ。その上、お祭り騒ぎに来てたと知ってあまりの平和ボケ具合に呆れただけ!」
相変わらずぽんぽん飛び出す悪言に私は思わず苦笑した。こんな時、やはりこの子どもは頭の回転が速いのだなと妙に納得する。
中央指令部のセキュリティは東方とは格段に差があり、門前のチェックの厳しさと比例して取られる時間もかかる。ここに初めて報告にやってきた時の、少年の辟易した様子を思い起こす。国家錬金術師であり軍属の彼でさえそうなのだ。通例子どもとは言えど、一般人が簡単に入ってくることなど有り得ない。確かに彼が不審に思うのも理解出来た。
「わざわざ外から来たわけではないさ。きっと軍内にあるナーサリーの子どもたちだろう」
「ナーサリー? そんなんあるんだ? 軍人の親が仕事中に子ども預けてるってわけ?」
「あぁ。敷地の端だからな。私もお目にかかったことはないが」
「んなもんがある事自体、さすがはセントラルって感じだな。あ、もしかして東部にもあったの?」
「いや。ここだけだ」
質問に簡潔に答えると、少年は急に意地の悪い笑顔を見せた。彼がこんな顔をするのは何か悪戯を思いついた時、もしくはこちらをやり込めるための嫌味を思いついた時だというのはもう知っている。
「なんで? 司令官殿の力不足?」
案の定あてこするようにそう言う少年に余裕を見せるように、ふっと薄い笑顔を浮かべた。癇に障ると面と向かって何度か言われたこの表情を作ると通例、彼は一気にヒートアップする。
「グラマン中将への侮辱との取れる今の発言は、私の中にしまっておいてあげようか」
「…っ、違うっつの! 中将じゃなくて、実質あそこの司令官はあんただっただろ!」
「一つ貸しだ」
「…くそ」
相変わらず元気が良いことで何よりだと微笑ましくさえ感じるが、それを言葉で表現すると更に噛み付かれることになるので、定時業務終了時間までにこの書類の山を崩さねばならない現状から考慮してこれ以上は控えた方が得策だ。そう考えて再び書類に視線を戻すが、彼は会話を続けることを選択したようだった。怒りより興味が勝ったということだろうか。
「でも他の司令部は作んねぇの? ここほどじゃないけど、東部も人いっぱいいるじゃん」
「作りたくても、テロの頻発している東部では作れないのだよ」
「なんで?」
「なぜだと思うかね?」
「…敷地内への攻撃があった時、格好の餌食になるから?」
「素晴らしいな、一発正解だ」
「……馬鹿にしてんのかよ」
怒りを含めて吐き捨てられた言葉に、おや、と意外そうな顔を作って見せると、途端に金色を湛えた眦が釣り上がる。
彼で遊んでいる余裕はないのは判っているのだが、こうも予想通りの反応を返されると楽しくてついついエスカレートしてしまう。中尉に見つかったらその綺麗な眉を顰められそうだが、生憎彼女は今ここにはいない。誰も止める者がいないとなれば自分で止めるしかないので、最後にもう少しだけ遊んで仕事に戻るという算段をした。
「それはそうと鋼の、早く決まり文句を言いたまえ」
「…何の?」
「もちろんハロウィンのだ。今日は子どもが思う存分お菓子をもらえる日だよ。今なら頂き物だがチョコレートがある。ついてたな、鋼の」
「誰が子どもだ?!」
ここで彼は怒り心頭を露に執務室を飛び出す。そして静けさを取り戻したところで私は仕事に戻る。
今までの前例から鑑みた結果、高確率でそうなるはずだった。
だが、彼は出て行かなかった。
行かなかったどころか、大股で近づいてきた少年に乱暴に彼の鋼の手で後ろ頭を掴まれた。殴られるほど怒らせるようなことを言った覚えもなかったが。そう思ったときには金色の瞳が急速に近づいてきて、次の瞬間には唇が重ねられた。
「俺は、菓子よりあんたに悪戯する権利をもらえる方がいい」
耳元で聞こえる声が、存外甘い響きを伴っているのに内心で僅かばかり動揺する。『子ども』という生き物は、こんな風に熱情を秘めた声で囁いたりはしないはずだった。
「……君はどこでそういう言い回しを覚えてくるのかね」
些か驚かされたことなど、表面には出していない自信はあった。しかし、呆れているふうを装って返した言葉は自分でも思いのほか不自然なほどそっけなく響いて更なる動揺を誘う。けれど少年はそれを気にするでもなく、間近で目を合わせてにやりと笑って見せた。
「今日あんたが何時に帰れるのか、後で中尉に聞いておくから」
「…どうしてだ? というか、なぜ私に直接聞かない?」
「あんたのタイムスケジュール管理してんのが中尉だからに決まってんだろ。そんで、夜にあんたの家行くから」
「……私の都合を伺うとかはないのか?」
「今日はハロウィンで子どもが家に来る日なんだろ? 出かけてる場合じゃねぇじゃん。あ、ちなみに、菓子の用意はいらねぇから」
彼の反応は、おおよそ私の予測の範疇であることが多い。
しかし最近、こうして不意にこちらの意表を付く言動をしてみせたりする。
少年が大人になっていくということは、例えればこういうことなのだろうか。本人にとっては望ましいことなのかもしれないが、傍で見ている分にはつまらないと思う。どこか物寂しささえ感じている。
いつまでも思うように操られてはくれない子どもに溜息で了承の返事をすると、彼は嬉しそうに笑った。
そればかりは、無邪気とも言える子どもらしい表情だった。
今更ながらのハロウィンネタ小話。大佐バージョン。
子どもはいつまでも子どもではいてくれないのです。