ペル バンビーナ




昼過ぎには司令部に顔を出すという電話が二日前にあったため、突然に執務室の扉が開けられたのは彼が到着したのだろうと、大して気にも留めなかった。
入ってきたのは案の定、エドワードだったが。
「鋼の、ノックをしなさいと、……どうした?」
彼は左目を真っ赤にして、それを白い手袋をした掌で押さえていた。
その姿は、泣かされて帰ってきた子どもを連想させた。どかどかと歩み寄ってくる歩調といい憮然とした表情といい、まったくそれらしい。近所の悪ガキ共にいじめられて不貞腐れた子どもが親に慰めてもらいにやって来た図のようで笑みをこっそりと漏らしたが、そういう気配には敏感な彼に隠せていたとは全く思えなかった。
なので、そのまま悪ノリを続行。
「よしよし。誰に泣かされてきたんだい?」
「…あぁ?!」
途端、声に凶悪な響きが含まれる。
こんなふうに子ども扱いされることを何より嫌う彼を分かっていながらせずにはいられない自分は、中尉に進言されるまでもなく悪趣味だなとは思う。けれど妖怪狸爺共の跋扈する軍部で長年揉まれていると、裏のない素直で顕著な反応はいつ見ても新鮮で楽しくて仕方がないのだ。
「君が泣きながら入ってくるから、誰かにいじめられたのなら仕返ししてあげようと思ってね」
「泣いてねぇ! っつか、さっき司令部の入り口で眼にゴミが入ったんだよ!」
あぁ、今日は朝から風が強くて空気も乾燥しているからね。その大きな眼には小さな砂粒なんぞ、さぞや入りやすいに違いない。その不必要なほど長い睫も、このときばかりはブロック機能を果たせなかったらしい。
「取れねぇんだよ」
忌々しげに呟いて、また真っ赤な左目が涙で滲む。無造作に擦ろうとした手を思わず掴まえた。
「やめなさい。眼球に傷が付く」
どれ、と立ち上がってその腕を引き寄せ、無闇に動かないよう金色の頭を押さえて瞼を開く。充血している以外は特に異常も異物も見つけられず、あるのはただいつもの蜂蜜色の瞳。
甘そうだな、と。
明確に思って行動に出たわけではなかったが。
「何か入ってんの見える?」
「ふむ…。見えはしない」
…が。
そう言ってエドワードの左眼をぺろりと舐め上げると、ひっという息を呑んだような声が聞こえて、掴んだ頭が硬直するのが伝わってきた。
「な、何すんだよ!」
「…甘くない」
「あったりまえだろーが!!」
「至近距離でそう喚くな。眼に入ったゴミを取る基本的な方法を試したのだよ」
取れただろう?
笑いながらそう言うと、エドワードは固まったまま三回ほど忙しなく瞬きをした。
「取…れた……」
「それは良かった。君の役に立てて嬉しいよ」
対ご婦人仕様を持ち出してにっこり笑って見せるが、それを普段から胡散臭いと称しているエドワードにはあまり通用しなかったらしい。憮然と呆然の中間みたいな顔をして突っ立ったままの彼を放って、来客用ソファに腰掛けた。
「なんだね、君も母君にこうやって取ってもらったことがあるだろう? そんなに怯えなくてもいいじゃないか」
「ッ、怯えてなんかねぇ!」
「怒鳴らなくても聞こえていると言うのに」
「…ただ、あんたにされるとは思ってなかったからびっくりしたんだよ」
語尾の勢いがだんだんと弱くなる。母君のことを、かつての幸せな日々を思い出し――付随して自分の犯した罪、その形である鋼の手足や弟のことに想いが飛んだのだろうか。
強気だったかと思えば急に弱気になったり、忙しいことこの上ない。
そんなところがとてもいたいけで、ひどく可愛らしくて。
愛おしいとは、言わずにおくけれど。
「そうかね? 他に、何か言うことは?」
「…ッ」
我ながら意地の悪い笑顔を作って足を組みながらエドワードを見上げると、彼から舌打ちとも呻きともつかない音が聞こえた。
次の瞬間、頭が背もたれに押し付けられて視界が金色に覆われる。
反射的に瞑った眼の右瞼を、何か暖かく湿ったものに撫でられた。驚いて眼を開けると、間近からエドワードが睨むように見つめていた。
あぁ、眼の充血も治ってきたみたいじゃないか。先ほどの竦んだ小動物みたいな様子も全く成りを潜めていて、子どもの回復力と切り替えの早さにはまったく驚愕させられる。
「しかえし、…じゃねぇ、おかえし」
再び近づいてきたエドワードに、咄嗟に閉じた眼の上から睫をもう一度舐められた。
「聞きたかったのは、単純に感謝の言葉だけなのだがね」
「態度も一緒のが、より感謝の気持ちが伝えられるかと思ってさ」
どーもアリガトウゴザイマシタ、大佐殿。
棒読みの言葉と共に。
そのまま瞼から頬へ唇が降りてくる。
軽く溜息をつきながら、今度は反射ではなく意図的に。
眼を閉じた。










やっとちゃんとラブラブしたエドロイ書いたぞ!

ちなみに。
大佐的には
人助け3% からかう意図97%
くらいの比率でしょうか。
からかうつもりが反撃に遭うの巻。
……ラブ?