合同訓練






一瞬、何を言われたのか判らなかった。

頭の中に出来た一拍の真空。
その状態からようやく抜け出した先、咄嗟に出た言葉は幾分力なく響いた。
「……は。…失礼ですがアームストロング少将、それは一体どういう…」
「聞こえなかったか?」
頬にかかる癖のない金髪が払いのけられ、氷の女王と称される素因とも言える鋭い眼光を送られ。
世間ではこれを、セクハラもしくはパワハラと言うのではないだろうか。
そんな疑問は、心の中にのみ留まった。
目の前に対峙する自分より階級が上の少将に、ロイは唖然としたまま無言を返答の代わりに差し出すしかなかった。
「まぁいい。マスタング大佐。貴殿の話は弟からも聞いている」
アームストロング家の長女、あのアレックス・ルイ・アームスロトング少佐の一番上の姉にして、初の女性将軍。ある意味で才色兼備を絵に描いたような彼女は、軍人らしい実にきびきびとした口調で言葉を続けた。
「あの忌々しい弟の話は半分差し引いても、だ。あの当時、最年少国家錬金術師として鳴り物入りで軍に入った経歴、錬金術師としての才能、頭脳、これまでの軍績、東方司令部実質司令官としての統率力、指導力、処理能力、どれを取っても他者とは比較になるまい」
「は……」
恐れ入ります。
と、答えてしまってよいのだろうか。
会話のこの先の展開が容易に想像が付き、ロイは背中を冷や汗が伝うのを感じた。
ブリッグズ兵一団が合同訓練のため東方司令部にやってきたのが一週間前。
定例の演習を無事に終え、明日には彼らはこの将軍と共に再びあの北の山壁ブリッグズに帰還する。
本日はその総括のため、急遽アームストロング少将執務室へと変更させた第三会議室に、東方司令部司令官代理として呼ばれたものと、先ほどまで疑ってもいなかった。
「あの狸爺共と渡り合える狡猾さもな」
軍上層部をそう称して、唇の端だけを上げて笑った少将は、
「難を言うなら、唯一つ」
そう言って、綺麗なカーブを描く眉を若干顰めてみせた。
「貴殿のその体格だな。軍人にしてはやや細すぎる。そもそもの人種の違いで致し方ないが」
そりゃ弟君と比較すれば小柄と言うしかないが、これでも軍人としてそう見劣りはしないはず、いや、むしろ一般的見地から鑑みて、そちらの家系の方が異常と言えるのでは。
そんな反論は無論、口に出せるはずもなく。
「しかし、それも環境と教育次第で問題はないと判断した。私の血も引くのだしな」
まるで作戦会議にでも出席しているような錯覚を覚えるほど、彼女の口調は簡潔で決然としていた。
「そして、見た目も重要項目の一部だ。身体能力の不足を補うほどにはな」
視線だけでちらりと自分の後ろを伺えば、常に冷静沈着で鳴らしたホークアイ中尉でさえも、何事にも崩れないその態度を僅かばかり見失っている気配が伝わってきた。
「以上、それらが理由だ。マスタング大佐」
アイスブルーの瞳を鋭く煌かせて、彼女はもう一度、それを自分に告げた。

「貴殿の子種を、私に寄越せ」






「さすがは大佐。軍きっての色男の名は伊達じゃないですね」
「いわゆる逆指名ですか。まぁアームストロング少将らしい、と言えば、いかにもらしいですな」
「いんじゃないッスか? 美人だし、年上ですがまぁまだ若いし、なによりボインですよ」
噂話は千里を駆ける。さすがは我が部下、情報収集能力に長けていると褒めるべきなのか。ロイが執務室の机に戻る早々、言葉よりも雄弁に語る興味津々な視線が突き刺さった。
「人事だと思ってるだろう、お前ら!」
「…えぇ、まぁ」
見るからに無責任に言ってのける部下たちに発火布を取り出したくなるのを抑えて、代わりにロイは勝手に項垂れてくる額を支えた。
いや、待て。不本意だが今ここで執務室ボヤ騒動を繰り広げている余裕はない。
氷の女王に無残に打ち砕かれた冷静さを無理やりかき集めて、ロイは必死で打算を働かせた。
数々の女性とお付き合いをした過去。今までに類似した提案を差し出されたことがないわけでもなかったが、こうも単刀直入に切り出されたのは初めてだった。甘い睦言の一環としてではなく、まるで東方司令部保有の戦車でも一つ渡せ、とでもいうように。
言い換えると、色気もへったくれもなく。
「それで? 大佐、どうするんです?」
フュリーの問いに顔を上げると、執務室にいた全員の視線が突き刺さる。しかし真剣に心配そうな顔をしているのは発言者ただ一人だけだ。
お前たち、上司の危機にその態度。いい度胸だ。
「…それを今、考えているのだ」
「お受けするんですか?」
「受けるわけなかろう!」
思わず声が裏返りそうになるのを抑えて言い捨てると、突如ギャラリーが一斉に沸いた。何事かと、状況把握に努めるまでもなく。
「よっしゃ、俺の勝ち!」
「そうですか…。やっぱり大穴過ぎましたか…」
「男に二言はない、だろ。3500センズ、きっちり払えよファルマン」
「いや、まだ判らんぞ、ハボ。断りきれないってセンもある」
瞬時に事態を悟る。ロイはついに発火布を取り出さずにはいられなかった。
上司を賭けの対象にするとは、お前たち本当にいい度胸だ。差し当たって、明日は私の分の仕事も回してお前ら全員残業確定だ。私は定時に帰ってやる。
「まぁそういう事もありそうですよね。少将、押しが強そうですもんね」
「不吉なことを言うな!」
「じゃあ大佐、どう断るおつもりなんですか?」
「そ…れを今から考えると言ってるのだ」
「百戦錬磨の大佐も、あの少将にかかっちゃお手上げッスね」
いつも女に振り回されているハボックと、それをからかう自分。普段と逆の立場の、有り得ないこの状況を楽しんでいると見るからに判る部下を睨み付けると、あまつさえハボックは更に面白そうに笑って見せた。
「あ、じゃあ、もう結婚を決めている相手がいるって言うのはどうですか?」
「あぁ、まぁ大佐なら信憑性もあるような…、逆にないような…」
名案とばかりに勢い込んだフュリーの言葉に、ブレダが思案気なコメントを添える。
しかし肝心の上司は無言で、机に付いていた頬杖の姿勢のまま更に項垂れた。
一拍の間を置いて返答したのは彼らのボスではなく、
「もう言ったわ」
執務室に帰ってきてから、何事もなかったかのように黙々と本来の仕事に勤しんでいたホークアイだった。
「結論から言うと、まぁ言い逃れにしかならないだろうと予想した通りの結果になってしまったけれど」
一部始終を後ろから客観的に目撃していたのだから、事実だけを告げるなら途中から眩暈に襲われたロイより彼女の方が正確に事態を把握しているに違いはないが。
―――実は、心に決めた人がおりまして。
「それで?」
全員の視線を受け、ホークアイは肩を竦めて、
「裏目に出た、というところかしら」
軽く溜息を吐いた。

―――結婚を約束をした相手がいると言うことか?
―――は。まだ約束というわけではありませんが。
嘘も方便。自分の座右の銘の一つと言っても差し支えないが、このときばかりは確かにこれで彼女の提案を阻止できるとは、自分でも最初から思っていなかったような気がする。あくまでも結果論だが。
少将は、一呼吸置いて、
―――構わん。
いかにも問題ないと言わんばかりに、ストレートの金髪を軽く払って、
―――は?
―――案ずるな、私と結婚しようとは言っていない。ただ、貴様の子種が欲しいだけだ。
きっぱりと正面切って、言葉を続けた。
『命令』ではないところがさらに眩暈を誘う。彼女なりの誠意と、彼女が嫌っている弟に似た誠実な優しさに。
―――華燭の典にはアームストロング家より最高の祝品を贈ろうではないか。
―――は、身に余る…
光栄です、とは言葉にならなかったような気がする。気が遠くなりかけて、よくは覚えていない。
―――どうだ、マスタング大佐?
―――こ、光栄なお申し出ではありますが、なにぶん突然過ぎまして…。
そう答えるのが精一杯だ。自分を含め、前線に立つ軍人は得てして明瞭な受け答えを好む。イエスかノーか、即答を。
目の前の上官も例外ではないだろうが、この際そんなことを気にかけている余裕はなかった。しかし彼女も、その時ばかりは返答を保留にした自分を叱責する様子はなく。
―――判った。時間をやろう。確かに貴様の意見も考慮に入れるべきだな。
子は、二人で成すものだからな。
と、恐ろしいことをその艶やかで唇は呟いて。
―――では、下がれ。
退出許可と共に右手が軽く払われる。型通りの敬礼をしながらロイは、地獄からの生還でも成し得たかのようにそっと安堵の溜息を洩らすしかなかった。

「で、逃げ帰ってきた、と」
「逃げたわけではない。戦略的一時撤退だ!」
「へぇへぇ、すんません」
女性の扱いでここまで困惑したことは今までになかった。この新境地を克服できれば自分はもう、女性の扱いにかけては一分の隙なく完璧と言い切って構わないような気がする。
『克服』できるかは、今からの議論にかかっていた。
この部下たちと、というのが些か心許ないが。

そもそも今回の件は、少将を女性として扱った方が良いのか上官からの申し出として対応した方が良いのか、まずその比率から検討せねばなるまい。
溜息を吐き出すと、彼らはそれぞれに元の発言に戻った。
「だから、いいんじゃないですか?」
「そうッスよ。美人でボイン、それでもって結婚を迫られない。これ以上良い条件なんてないスよ」
「少将が大佐を認めているってことですよね。軍人としても、男としても」
「あのアームストロング少将も、子どもが欲しいと思ってらっしゃるとは少々意外でしたが」
「いや、そりゃだってあのアームストロング家に世継ぎがいなきゃいないでまた問題にもなるだろう」
「でも少佐だっていますよね。長男だって話なんだし、少佐が結婚されて子どもができれば問題ないんじゃないですか?」
「いやいやフュリー、そこが問題なんだって。少将は弟を腰抜けと呼んで憚ってないだろ」
「はぁ、まぁ、少将から見れば、たいていの男は腰抜けだとは思いますが…」
「おおかた、少佐に後を継がせるくらいなら自分が、とでも考えてるんじゃないか」
「なるほど。そのためにより良い子どもを、と」
「でも大佐と少将の子どもなんて、ただでさえこの上なく凶暴そうなのに…」
「まして、育てるのがアームストロング家っつーか、あの少将だろ? 考えただけでも恐ろしい…」
「大佐の顔で、少佐みたいな身体だったらどうするよ?!」
そうだよなーあっはっはー。
「…お前ら、そこから動くなよ」
ついに発火布をはめ始めたロイに、部下たちは一斉に後ずさる。
「い、いや、だから、大佐は、じゃあなんでそんなに嫌なんスか?」
「そ、そうですよ、大佐の大好きな『美人』じゃないですか」
「じゃあハボック! ブレダ! お前たちがそう言われたらOKするか?」
「…い、いえ…それはその…」
シンクロしたようにハモった二人の返答に、ロイは大きく頷いて。
「そうだろう。子種を遣せと言われてすんなり頷けるか?」
「言い方にも若干の問題がありますな」
フォローにもなっていないファルマンのコメントに、若干か?! と周囲はすかさず突っ込みを入れたが、それよりもロイの反応の方が早かった。
「そもそも!」
そう言って右手で机を叩く。
「子どもとは、愛し合った男女で作るものであるはずだろう」
「……珍しくマトモなこと言いますね、大佐」
「日頃あんだけ遊んどいて、よく言う」
「ま、案外この人、女に夢持ってるからな」
「聞こえてるぞ、お前ら!」
白い手袋に包まれた指が鳴らされる予感に、ハボックが慌てて口を開いた。
「ま、まぁ大佐の気持ちも分かるっすよ。なんつうかこう、男のプライドっつうか…」
「要するに、種馬扱いですからな」
「ば、馬鹿、ファルマン、はっきり言うな」
「だからお前はなかなか出世しないんだよ!」
小声で叫ぶというということを器用にやってのけたダブル少尉たちは、普段の自分たちを頑丈な棚に上げ、慌ててファルマンの口を塞ぐ。双方から押さえつけたまま、何事もなかったかのように言葉を続けた。
「そ、そもそも子ども作るったって、相手が上官、しかもああも威圧的だといくら美人と言えども勃つもんも勃たないっつうか…」
「そしたらそれで役立たずとか言われんの目に見えてて挑むってのは、最初っからかなりのプレッシャーっすね」
「お気の毒です、大佐…」
最後のはフュリーだ。心から同情しているのであろうその目を見ていると、進退窮まった感がひしひしと身にしみてくるのはどうしてだろう。まだ冗談交じりに揶揄されているほうがましな気がする。
「いや、待て。だから今、対策を…」
どんな? と一同から視線を浴びてううむ、とロイは黙り込むしかなかった。
「とにかく、少なくとも少将を敵に回すのは得策ではない」
「そのためにも何か良い言い訳…、じゃない、理由が欲しいわけですね」
「双方に角が立たないお断り方法っすか」
今度は一同でううむ、と頭を抱える羽目に陥る。
「でもやっぱりああいう方には、誤魔化さずにはっきりお断りした方がいいんじゃないですか?」
「誤魔化しててバレたら、斬られそうっすからね」
「お、同じ女性としてどうですか、中尉?」
デスクで書類を閉じていたホークアイに、フュリーに苦し紛れに矛先を変えた。
「やっぱり結婚はしなくても子どもは欲しいと思うものですか?」
フュリーの問いに、彼女は少し考え込んで、
「そうね。女として生まれたからには子どもを産んでもいいとは思うし、強い男性の遺伝子を持つ子どもが欲しいというのは女性の本能と言えるけれど」
「けれど?」
「大佐の子どもはどうかしらね。いいところだけ受け継いでくれればいいけれど、サボり癖とか書類処理能力を見れば、少将の提案には一概には賛同しかねるかしら」
冷酷に言い放つホークアイは多分、
「……」
ロイが先日、締め切り間際の未処理書類を放ったらかして、資料室で昼寝をしていたことをまだ根に持っているに違いない。
「大佐」
「な、何だね? 中尉」
「私が考える、効果的且つ有効で前述の条件をクリアしている『断る理由』をお聞かせ致しましょうか」
意味もなく逃げ腰になっている彼らに、ホークアイはおもむろに立ち上がってこう言った。
「子種がない、と言えばいいのです」
「………」
「遣せと言われてもないものはない。無精子症だというのであれば、少将も諦めざるを得ません」
「………」
「もしくは」
固まったままの彼らが何の反応も返さないのを気にも留めず、ホークアイは流れるように言葉を続けた。
「大佐は同性愛者である、と言うことになされば」
そう言って彼女は、
「今までの女性とのデートはすべてカモフラージュ。男性相手でないと勃たない…失礼、機能しないと、そうおっしゃるのが効果的ではないかと」
悠然と微笑んで、椅子から立ち上がった。
「では、本日の職務が終了致しましたので私はお先に失礼致します」
その場に残された彼らは、ただ俯いて立ち尽くすしかなかった。




翌朝、後ろから誰も付いてきていないことを確かめつつ第三会議室へ赴いたロイが、氷の女王にどう答えたかは。
今回は誰にも情報は漏れなかったらしい。

ただ。
数年後ブリッグズに人事異動したファルマンが、鋼の兄弟に巻き込まれた一連の騒動の際、
「マスタング大佐?」
アームストロング少将の口から、彼の人に関して、
「いっそ、とっとと失脚してくれればライバルが減っていいな」
と冷酷に称したことに、その答えを何となく得た気がした。




end



合同訓練 extra






「あんた、少佐の姉ちゃんに迫られたことあるんだって?」
「…ッ、ゲホッ! ゴホ…ッ」
「あー何やってんだよ、あんた。いい年してコーヒーこぼしてんなよ」
「だっ、誰から聞いた?」
「それでか。中尉や少尉のことは心配してたのに、」
「ハボックか? ファルマンか?」
「少将、あんたのことはどうでもいいって言ってたぜ」
「まさか…、少将か? 答えろ、鋼の!」
「……本人の保護と名誉のため黙秘シマス」
「絶対あいつらだろう?!」
「なぁ、あの怖えー少将になんて言って断ったの?」
「…どこまで聞いた?」
「案が3つあったことまで。@はっきり断る。A精子がない体質だって言う。B男相手じゃないと勃たないって言う」
「あいつら…ッ、また子どもにろくでもないことを吹き込んで!」
「誰が子どもだッ!」
「君」
「あぁそーですか!」
「そう言われて怒るのが子どもの証拠だ」
「あのなぁ…」
「…ッ、」
「子どもはこんなことしねぇだろ」
「鋼…ッ」
「答えBで合ってたんじゃねぇの?」
「誰が!」
「あんた」
「失敬な。男相手なんてまっぴらごめんに決まっている!」
「あのな、こういうことしてる時にそうもきっぱり言わないでくれる?」
「何だ? 傷ついたか?」
「えーえー大いに傷つきましたとも」
「ならこの手を止めたまえ」
「…あっそ。慰めてあげようとか、そういう気はないわけね」
「君、妄想入りすぎだぞ」
「悪かったな!」
「…ッ、止めろと…」
「こうなったら、意地でも慰めてもらうから!」





end






以上。17巻を読んでの感想、…いえ、妄想。
アームストロング少将、超かっこ良くて大好きです。