彼は、『軍人』という言葉から抱く無骨なイメージからかけ離れて見える。
被る印象は、白い手袋に描かれた彼の優美なサラマンダー。
その指先から繰り出される焔が、どれほど強暴であるか知っていてもそれは拭えない。
きっとそんなところが幾多の女に言い寄られる原因の一つなのだと考えるとうんざりする。
そう装っている彼に対しても。まんまと騙されている女たちに対しても。
そして、そんなことを考える自分にも。

見るからに女性を匂わせる彼宛の手紙。綺麗なラベルの貼られたワインや、繊細な細工のカフスボタン。司令部にまで届けられる、その他諸々のプレゼントの山。
滅多に顔を出さない自分に見えるだけでもこれだけあるのだから、実際は推して知るべし、だ。相手が一人でないことも、その時彼から漂う香水の違いで大体判別は付く。
―――ったく、よくやるよ。
呆れるのも本当。
―――そんなに女にかまけてるってことは、あんた実はヒマなんじゃないの。
―――暇だから恋愛をするわけでもあるまい。…まぁ、君にはまだわからないかもしれないが。
馴染んだデスクに頬杖をついて。
悠然と微笑む彼の顔を見て、殴りつけたい衝動と。
胸倉を掴んで引き寄せ、口付けたい激情。


どちらが勝つかは、その時次第だ。




エモーショナル ジャンクション






久しぶりにやって来たセントラルは、町の喧騒と車の排気ガスでいつも埃っぽい。
国の中心だけあって人や物の出入りが激しく、何度か通った店がなくなったり、町並の様子が微妙に違っていてもそれだけはいつも変わらない。
故郷のリゼンブールでは、人よりも羊の数のほうが多いと言われているだけあって、滅多に通らない車の排気ガスなんてあっという間に木々の梢に攪拌される。町の雑貨屋は自分が知っているときから雑貨屋だったし、暮らす人間も若干増えたり減ったりはしているがほとんど顔見知りで、そんなところで生まれ育った自分は、この町の流動的な変化に未だに慣れない。
鎧姿の弟をあからさまな奇異の目で見る者がいないのは、都会の利点であるとは思っているけれど。
「ねぇ兄さん」
「ん?」
昼食のため立ち寄ったカフェ。通されたオープンエアの席に座って一息つくと、それでも昨日降った雨のおかげで、いつもより若干空気が浄化されているような気がした。大きな楡の木の下に据えられた席には木漏れ日が差し込み、やけに穏やかな時間が流れている。
束の間のことであっても、そんな平穏はひどく貴重だ。例え、自分にはまるでそぐわないものと判ってはいても。

だというのに、
「あれ、大佐じゃない?」
「…あ?」
唐突なタイミングでアルフォンスから出た名前に、それは突然消し去られた。一気に心拍数が跳ね上がる。
「ほら、あの通りの角。あの水色のワンピースの、あそこでしゃべってる人」
「……」
店の窓から示された方角に視線を向けると、すぐに弟が指し示す人物が目に入った。自分も何度か乗ったことのある黒い軍用車の脇に立ち、楽しそうに会話をしている男女。
「やっぱり、大佐だよ」
見慣れた青い軍服姿。一緒に立つ人物は背中しか見えないが、長い栗色の髪を下ろした、すらりとした立ち姿。多分『綺麗な』女性。
「恋人かな?」
「…さぁな」
「どんな人だろ、あの大佐の恋人なんて」
カムフラージュのコーヒーをかき混ぜる手を止めた弟は、知り合いに偶然会った驚きというより、その相手が女性を伴っているということに興味があるらしい。弟の中では、すでにあの女性は彼の『恋人』に決定だ。そういえばアル、こないだ彼女欲しいとか言ってたっけ。そういうオトシゴロなのは判るが、だからってあいつの恋人発覚疑惑でそんなに喜んでるのがどうにも気に食わない。
「あ、ちょっと顔が見えた。美人だよ」
この距離で、しかも横顔がちょっと見えただけで美人かどうかなんて分かるのかよ、と常ならすかさず入れるような突っ込みは、浮かび上がっただけで口にする前にかき消えた。彼らのほうへ顔を向けるのに気をとられて。
水色のワンピースが本当に『美人』かどうかは見えなかったが、その女性と談笑する彼の表情はしっかり視界に飛び込んでしまった。
一度も見たことのないような優しげな微笑。普段自分が見ている彼より二割り増しは爽やかだ。
胡散臭ぇ、と口の中で毒付く。さりげなく自分が車道側に移動する辺り、女に対して惜しみなく振舞われる気遣いに「さすがは女たらし」と言う他ない。感心と揶揄と呆れは、それぞれが同じ比率を持って自分の中でミックスされている。
「さすがは大佐だなぁ」
弟は、素直に感心だけを口にするけれど。
「…何がだよ。どうせまた仕事サボって女にちょっかいかけてんだろ、あの無能」
思い出したようにクスクスを笑い声を響かせる弟はきっと、過去の彼らのやりとり、厳密に言えば彼の側近の女性を思い出しているのだろう。案の定、楽しそうな口調から続くのは彼女のこと。アルは案外あの人と仲が良い。ついでに、通りの向こうにいる男にも懐いているらしいのには、意外を通り越してまた気に入らない事態なのだが。
「中尉、また怒ってるかな」
「一回くらい中尉に撃たれて死んでみれば、あの病気も治んじゃねぇか」
もう、兄さんたら、と笑いながらも諌める弟の声を耳にしながら、見たくもないのに視線は窓の外から離せない。
視界の中で彼が何かを指差し、水色のワンピースが不意に振り返った。さらりと流れる長い髪。
あぁ、くそ。ほんとに美人だった。的中して欲しくもない予感が更に苛立たしさを募って、目の前のオレンジジュースの入ったグラスを鷲掴む。
こんな時間にこんなとこで何してんだよ。雨が止んだのをいいことにフラフラしやがって、さっさと帰って仕事しろよ。
こちらの視線など全く気付いてもいない。自分がここにいることも。司令部を訪れるのは明日と連絡しておいたのだから当然なのだが、それが判っていたって腹立たしいのには変わりない。
何もかもをクリアに際立たせるような青天の日差しの下、彼らは微笑み合いながらさらに二言三言と言葉を交わす。
水色のワンピースが、抱えていた鞄の中から何かを取り出した。鮮やかな赤いリボンでラッピングされた小さな包み。差し入れの菓子かなにかのささやかな、それでいて女性らしい気遣いをよく表したもの。それを差し出されて彼は、貰い慣れている様子で、そつのない、いかにも『女にモテる男』の対応をする。
胡散臭ぇ、とまた呟く。
あんなん本当の大佐じゃない。人の顔を見るとすかさず馬鹿にしたようにからかってくるあの男がいかに根性が悪いか、あそこで嬉しそうに笑ってる女に洗いざらいぶちまけてやりたい。
まるっきり大人気ない大人で、意地悪で、人の腹を立てされる天才で。
仕事をさぼって、部下に手間ばかりかけさせていて。
あんなふうにかっこつけてても、雨の日にはまるで無能で。
数え上げればキリがない。
見習いたくない大人代表なのに。
どうしてこうも気になるのか。
まるで、指に刺さった小さな抜けない棘みたいに。目には見えないけれど何かの折にちくりと痛む、些細なものなのに酷く神経を苛立たせる。

その時、じっと一点を見つめる視界の先で決定打が打ち下ろされた。
別れ際らしく、軽く手を上げて。
彼は少し屈んで、水色のワンピースの頬に軽く口付けた。
まるで舞台の上の物語でも見せられているかのように、優雅に。
親密な男女の、一時の別れのシーンに相応しく、いかにも馴れた自然な仕草。
ったく、ほんとによくやるよ。
ストローを咥えて一気に飲み干すと、ズズッ、と大きな音が響き渡った。
っていうか。
マジ、ムカつく。






「それで? 報告書は出来ているのかね?」
いつでも、自分に向けるのはそんな事務的な話ばかりだ。
――やぁ鋼の。久しぶりだね。
執務室の扉をくぐったとき、そう言って向けられた顔は確かに笑ってはいたけれど。
――変わりは、…ないようだね。
――誰がいつ見ても豆だ!
いつもの変わりないやり取り。すっかり慣れてしまった弟も、もういちいち自分の言動を宥めたり咎めたりもしない。
彼は、自分にだって笑いかける。
でも、その種類が決定的に違う。
――アルフォンスも、元気だったかい?
――はい。大佐も、お変わりなさそうで何よりです。
――ありがとう。君は本当にいい子だね。
兄と違って。
言外にそんな言葉が続くような気がするのは被害妄想か。そんなことを考えてまたうんざりする。
――僕、中尉たちに挨拶してきます。
――あぁ、行ってやってくれ。今度君たちがいつ来るかと、彼らも楽しみにしていたようだから。
アルの肩を軽く叩いて、彼は穏やかに笑った。
中尉たちのことは、そんな顔で話すくせに。
アルには、そんな顔してみせるくせに。


「鋼の?」
「ほらよ、ほーこくしょ」
「…本当に相変わらずだな」
優しくされたいわけじゃない。大佐に優しくなんてされたって気味が悪いだけだし、子ども扱いされてるみたいできっと却って腹が立つ。
「おかげさまで」
「取りあえず受け取っておく。ご苦労だったな」
今日の彼からは香水の匂いはしない。その事実だけが、この場で唯一自分の味方のような気がする。
自分の定位置であるゆったりしたソファにどすん、と腰を降ろした。反動で、少しだけ身体が持ち上がる。
「なぁ、大佐」
言いかけて、躊躇う一瞬の間。
確かめたいのに、知りたくもない。
ひどい矛盾だ。彼といると、いつもそんなジレンマみたいなものに煩わせられる。その原因に嫌味の一つでも言ってやらねば気が済まない。
目の端で彼を伺うと、手元の報告書に落としていた視線が向けられた気配が伝わってきた。
「昨日のあれ、恋人?」
「…昨日?」
訝しげに少し考えてから、思い出したように彼は、あぁ、呟いた。
「見ていたのか?」
声をかけてくれればいいのに。
しれっと答えて向けられるのは、面白がってるみたいないつもの笑顔。
「見たよ、また仕事サボってっとこ。この給料ドロボー」
「あれは視察だよ。仕事の一環だ」
「女と楽しそーにしゃべってんのが?」
「そうだ」
そんなに堂々と答えられると、呆れて二の句が告げない。
ふーん、とあてつけるように答えてみても、この大人は微塵も揺るがない。
いつでも、何にでも、全く動じない。自分に対するときは。
常に変わらない彼のスタンス。
こんなところが、多分一番腹が立つ。
「珍しいな、君がそんなこと聞いてくるなんて。ああいう女性が好みかい?」
一瞬きらめいたその黒い瞳は。
からかってやろうっつう意図がみえみえなんだよ。
「安心したまえ。彼女は仲の良い友達だよ。幸運だったな。君にもチャンスはある」
ほんと、マジでムカつく。
「そんなに女にかまけてるってことは、あんた実はヒマなんじゃないの」
「暇だから恋愛をするわけでもあるまい」
広いデスクに頬杖をついて、
「まぁ、君にはまだわからないかもしれないが」
悠然と微笑む彼の顔を見て、殴りつけたい衝動と。
胸倉を掴んで引き寄せ、口付けたい激情。


どっちが勝つかは、その時の気分次第だ。時と、場合と、状況と。




「……鋼、の?」
鷲掴んだ胸倉から力を抜き、間近でその黒い瞳を覗き込む。
いつも隙なく凪いだそれに、僅かにでも動揺が浮かんでいるのが見えて胸がすっとする。
「じゃあな。明日また来るから報告書見といて」


背後で扉の閉まる音を聞きながら。
触れた唇の温度を思い返した。








end







ありがちではあるけれど、一度は書いてみたかったわたしの中でのエドロイ スタンダード エディション。

愛情と憎悪の表裏一体。
向き合ったとき、一瞬あとにエドが殴るかキスするか。
どっちに転ぶか判んないような緊張感がエドロイの醍醐味の一つだと思ってます。