私は、君にそんな綺麗な感情を向けられるような人間じゃない。
そのまっすぐな金色の眼差しを向けられると、胸の奥底で苦しみがちりちりと降り積もるのを感じる。殺戮の罪を否応なく突きつけられるようで。
けれど同時に、その視線に私の中の淀んだ澱が昇華されるような錯覚を抱く。
幼い子どもをいとおしむのと同様に、憎くもあるのかもしれない。
惹きこまれるほどにきらきらとひかりを反射する君の瞳を見ていると、かつて描いていた「美しい未来」を、机上の理想を抱いていた自分を思い出す。
もう私が失ったものを。
現実を知らない子どもが描いた青臭い理想。
唾棄すべき綺麗事と放り投げる反面、捨てきれない憧憬に苦しんで足掻く無様な自分。
君がいつまで高潔でいられるのかをつぶさに見ていたいと思うのは、私が失ったものを未だ抱えている君に対する嫉妬に似た羨望か、もしくは。
向けられるまっすぐな愛情に、少しでも答えたいと思っているのか。





アンビバレンス





「大佐」
この子は、いつのまにこんな言い方を覚えたのだろう。
少し掠れた声で囁くように呼ばれ、視線を上げると金色の睫がゆっくりと伏せられるのが見えた。長い睫だと、見るたびいつも感心する。
しかし、その感慨はいつも長くは続かない。次の瞬間には、間近にありすぎて視界に捉えられなくなって。
執務椅子に押し付けられる力の強さに眉を寄せる間もなく、やや乱暴に唇が重なってくる。
襟元を掴む鋼の指が首筋に触れ、有機物にはない硬質さを感じる。
反射的に目を閉じると、睫の先がまだ柔らかい彼の頬を掠った。
それに煽られたかのように、強く押し付けられる唇に息苦しさを覚えて僅かに口を開けば、隙間から性急に入り込んでくる舌にこちらもつられて熱が上がる。
彼の赤いコートの肩口を掴んだ自分の指が、薄く開いた視界の端に映った。押し返そうとしているのか、引き寄せようとしているのか、自分でも判別がつかない。
被さるように距離を縮めてくる小さな身体から、彼の匂いがする。いつも着ているコートからは僅かな埃と、幾多の見知らぬ町の匂い。様々な人、各地の食べ物や特徴的な建物、そこを吹き抜ける風の気配。
しかし彼の身体は、いつも太陽のような匂いがした。
盲いた者をも導くような、健全な明るいひかり。
その連想が、眩しくきらめく彼の髪と瞳の色のせいなのか、いつも答えは出ないまま思考は中断させられる。
少し離れて、角度を変えてはまた重なってくる唇で。
嵐のような熱情で。
ひかりの残像に目が眩む。
髪が頬を掠ってくすぐったさを訴える間もなく、肩にかけられていた生身の手が頬に触れた。
膝に乗り上げるようにして覆い被ってくる彼と二人分の体重で、革張りの椅子がギシッと音を立てて軋んだ。
上がっていく一方の子どもの熱に、牽制の意味を込めて肩を軽く押し返す。しかしそれにすら煽られたように、差し入れられた舌がなお熱く絡まった。首の後ろに指が回り、更に深く口内に侵入される。
「鋼の…、ッ」
僅かに出来た隙間から咎めるように発した声すら彼に吸い取られ、代わりにくちゅと濡れた音が漏れる。
息苦しさに眉を顰め、眇めた視界にひかりが差し込む。金色の髪が弾く陽光。
夕刻の長い影が執務室に入り込んでいるのが見えて、そこだけ奇妙に日常を思わせた。
「ん……」
僅かなに注意を逸らしたことさえ許さないように、噛み付かれる勢いで零れた吐息をすら飲み込まれる。
機械鎧のせいで見た目より格段に重いその身体の圧力は、身じろぎすら困難で。
荒い呼吸。軍服の襟元を鷲掴むように力の篭った鋼の指。絡みつく舌。
ひたむきな、余裕のない、情熱的なキス。
女性とすらこんな口付けは交わさない。こんな、切実さを滲ませる必死さで。
若さのもたらす勢いと切り捨ててしまうには、どこか憐憫を誘うような。
その誠実さに戦慄するような。
顔を逸らして離れようとしても、追いかけてくる唇と首に回された手に阻まれて成し得ない。飲み込みきれない唾液が、角度を変えるために離した隙間に糸を引いて鈍く光を弾く。
「…がね、の…」
切れ切れに名を紡ぎもう一度肩を押しやると、ようやく彼はそれに従った。
間近で瞬く金の瞳は情欲に滲んでいた。それ以上言葉は続かず、互いの弾む呼吸の音が執務室に零れるのを聞いていた。
伏せた金色の瞳が不意に、どこか痛みを堪えるように眇められた。咄嗟に魅入ってしまった隙をついたかのように、また彼はそっと顔を近づけてきた。
「いい加減に…、」
重なる肩を押し留めると、触れるだけだった唇は今度は素直に離れていった。
残りわずなひかりを追い立てる夕闇。扉一枚隔てた世界から流れ込む、退勤の挨拶を交わす誰かの笑い声。室内の静寂に紛れるようにしてたてられる衣擦れの音。
濡れた口元を拭うため、左手の甲を唇に押し当てる。
肘掛に逸らされた鋼の指が軽く握り込まれるのを視界の端で捉えながら、
「まったく君は、どこでこんなことを覚えてくるんだ」
わざと子どもにするような言葉を選んだのは。
乱された呼吸の中でも少しでも優位に立ちたいという、浅はかな動機。分かっていながら捨てきれない、プライドというには甚だしく滑稽な。
いつもなら噛み付いてくるはずの彼は、しかし何も答えない。
伏せた視線から感情は測りえない。
膝に乗り上げている彼を退かそうと、押し当てていた手を口元から上げる。
しかし、それは鋼の指に掴まれて遮られた。
その手の冷たさに怯む間もなく。
見ているこちらまで同調に引き込むような、切なげな表情で。
真摯とも言えるひかりをその瞳に湛えて。
まるで大事なものにでも触れるかのように、彼はそっと私の手の甲に唇を押し当てた。


不意に胸を打つこの感情の正体は、一体どれが一番正しいのだろうか。

君は、わたしがとうに失った何か美しいものを思い出させる。
かつては確かに私が抱いていた、そしていつの間にか失われたもの。
罪を背負い、闇に深く覆われた私には眩むほどに眩しいそのひかり。

君がいつまでそれを持ち続けていられるか、間近でずっと見続けていたいと思うのは。
嫉妬に似た羨望か。
あるいは。

向けられる愛情に、答えたいと願っているからか。







end










まっすぐな子どもと
言い訳のいるめんどくさい大人