瑞聖寺大雄宝殿 (ずいしょうじだいゆうほうでん) 重要文化財
白金八芳園の立派な門の対面あたりに、知らなければ見過ごしてしまいそうな狭い路地の奥に、古ぼけた小振りの門がコソッと建っています。周りは年季の入ったアパートが立ち並ぶ、シロガネーゼがチワワを散歩する界隈とはとても思えないほど庶民的な街並で、ここだけエアポケットのように取り残された感じ。その小さな門を潜り、急な階段を登りつめると、意外と広い境内に一味違う異国趣味の仏堂が目の前に現れてきます。実はここは瑞聖寺という東京でも珍しい黄檗宗の寺院で、この仏堂は大雄宝殿と呼ばれる建物であり、国の重要文化財に指定された都内屈指の仏堂です。
黄檗宗は禅宗の一つで、江戸初期に明代の隠元禅師が渡来して伝えた宗派。他の曹洞宗や臨済宗が日本の風土に合わせて様式を変化していったのに比べ、この黄檗宗は中国趣味がそのまま色濃く残された様式がその特徴。この瑞聖寺も大雄宝殿前は月台と呼ばれる白砂の基壇を前面に造り、松の木を植えた中国風の独特のスタイルです。月台の中央には菱型の敷石があり、これは龍の尻尾を表すものとか。
瑞聖寺は1670年(寛文10年)に建立された江戸最初の黄檗宗の寺院で、往時は禅堂や天王殿・回廊などが立ち並ぶ壮大な黄檗宗伽藍でしたが、二度の火災などで今は大雄宝殿と鐘楼を残すのみ。大雄宝殿は1757年(宝暦7年)に再建されたもので、大きさは桁行3間奥行4間、外観は桟瓦葺きの入母屋造り。屋根は裳階の付いた二重構造で、中央に宝珠を置き両サイドに鯱を乗せた、黄檗宗独特の特徴が良く出ています。軒下は二重の扇垂木を並べた美しいもの。
前面1間通りは高く吹き放しとなり、天井は屋根裏をそのまま見せた化粧軒裏天井。ここの空間は中国趣味が濃厚な場所で、大きな丸窓、柱の角基盤、桃の彫刻が入った半扉、魚椰と呼ばれる木製の魚型など、黄檗宗らしいエキゾックな意匠で統一されています。
内部は四半敷きの土間が広がり、両脇には畳敷きの床が設けてあります。
京都黄檗の総本山萬福寺大雄宝殿と同形式のもので、サイズをスケールダウンさせたものですが、京都・萩・長崎等の西日本ではわりと見かける黄檗宗独特の建築物を、東日本で見ることが出来るのは中々貴重なものです。