旧若山家住宅 (きゅうわかやまけじゅうたく) 重要文化財



 高山市郊外に作られた民家のテーマパーク「飛騨の里」は、荘川村にあった合掌造りの民家を移築したのがそのスタートでした。昭和30年代の高度経済成長期に電源開発用の大型ダムが全国の山間に乱立され、この白川郷や荘川村でもそのダム開発の波が訪れ、この地方固有の貴重な合掌造りの民家を保存する為に次々に各所に移築されていきました。が殆どが県外への移築となり、1959年に御母衣ダムが建設されることにより岩瀬地区にあった矢箆原家も横浜の三渓園に移築されることが決定したことによって、地元にもこの先祖伝来の貴重な文化財を残そうという気運が高まり、同じく御母衣ダムにより水没の憂き目に合う運命だった若山家を、高山市が民俗資料館として移築したのがその謂れです。
 若山家は荘川村の下滝地区にあった大型の合掌造りの民家で、国の重要文化財に指定されています。移築前は若山家の他に5軒で1つの集落をなし、その主屋の周りには味噌小屋・板倉・便所・ハサ小屋・田畑等が広がる、長閑な山の農村がありました。この飛騨の里へは再移築されているのですが、往時の環境を再現すべく主屋の周りに、石垣・川・段々畑・裏の池などを造って美しく復元されています。

 

 荘川村の合掌造りは三渓園の矢箆原家に見られる入母屋の屋根が多いのですが、この若山家は白川郷や五箇山で見られる切妻の屋根です。これは荘川村でも北部の白川村に近いことから来るもので、両方の特徴が入り混じった数少ない遺構です。建造は1797年(寛政9年)で、大きさとして桁行9間奥行6間半、高さは15mの4階建て。正面にせがい造りと呼ばれる、軒先に板張りの棚を伴った腕木を伸ばして出桁を支える上層階級特有の構造を持ち、その深い庇の軒下にはエンバと呼ばれる広縁が施されています。このエンバには中二階が隠されていて、ハシゴの昇降により独身の若い女性の寝床が作られました。

 

 一階は下手側に広い厩の土間部と板敷きのオエ・ダイドコ・チョウダなどの生活空間が取られ、上手側に畳敷きのマエノデイ・ナカノデイ・オクノデイの座敷部が取られた構成で、同じ荘川村の矢箆原家や白川郷南部の遠山家・大戸家と良く似た配置です。オエは接客や男の居間寝室として使われた部屋で、曲がりくねった巨木の梁を交差して天井を支えています。

 

 座敷部のマエノデイは寄り合いに使われた部屋で、若山家は村長も務めるほどの地元の名士でした。隣のナカノデイは家長夫妻の寝室で、その奥のオクノデイは仏間になっています。

 

 オエの土間側にはシャシと呼ばれる階段室があり、これは白川郷の民家に多く見られるもの。階段を上がって2階部より上は養蚕の場所となっていて、暖房の為に階下の囲炉裏で火を起し、その熱を通す為に床はスノコ状に開けられ、さらには採光と換気の為に大きな窓が幾つも開けられました。この窓が外観に大きなアクセントを与えています。

 

 この2階部では合掌造りの屋根裏の構造が明瞭になり、豪雪地帯で生活する人々の知恵が良くわかります。冬の積雪による垂直力を緩和する為に急勾配の茅葺にし、横風に対応する為に筋違を入れて補強し、釘が貴重品のためにネソ(まんさくの若木)と呼ばれる弾力性の強い蔓を多用して、緩みが少なくかつ強度と耐久性を持たせて組み上げた優れた構造の建物です。この若山家は荘川村の入母屋構造から切妻へ移行する過程の、極めて貴重な合掌造りの民家です。

 

 



 「飛騨の里」
  
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   開館時間 AM8:30〜PM5:00
   休館日 12月30日〜1月2日