梅御殿 (うめごてん) 登録有形文化財
戦前は皇室の御用邸や別邸は湘南から静岡の海沿いに多く造営されたようで、葉山には現御用邸に秩父宮や有栖川宮・東伏見宮・北白川宮と乱立し、鎌倉や熱海にも造られました。東京に近く温暖で風光明美な環境が殊の外喜ばれたのでしょうね。関東大震災で大打撃を受けて宮様の皇女二名がお亡くなりになったことから、おのずと海浜の別荘地が避けられるようになり、候補地が那須・箱根・軽井沢といった内陸の高原に移られました。日本は津波の心配がありますからね。
その戦前に数多く造営された別邸のうち、駿河湾に臨む松原に造営されたのが沼津御用邸で、御近所の三島に造られたのが小松宮彰仁親王の別邸だった楽寿園。2万坪あまりの広大な敷地に富士の湧水からなる小浜池と、その池の畔に佇む楽寿館と呼ばれる御殿を中心とした雄大な池泉回遊式の庭園が広がっています。駿河湾より少し内陸に位置するこの三島で、海浜の風情を漂わせる小浜池の風景を小松宮は甚くお気に召し、度々御成りになって舟遊びに興じていたようですが現在は渇水して溶岩が露出してしまい、嘗ての優雅な面影は損なわれてしまいました。
でこの楽寿園ですが、その昔は楽寿館以外に複数の御殿が建ち並んでいたようで、桜御殿・紅葉御殿・梅御殿の三棟がそれぞれ楽寿館と渡り廊下により結ばれて、より規模の大きな別邸建築が見られたようです。現在は梅御殿以外は全て取り壊され渡り廊下も外されて、単体の市民向けの貸出施設として利用されています。
楽寿園の造営が行われたのが1890年(明治23年)のこと。この梅御殿もその頃の建造と見られ、屋根が寄棟造りの銅板葺で木造二階建てとなり、建築面積は150uあります。東西に細長い平面構成で、また敷地に高低差がある為に西側が一階部、東側が二階部となるスキップフロアー状となっており、その為に屋根の構成も複雑になっています。
内部は一階部に玄関と八畳間一室、階段で奥へ続く二階部に六畳間と九畳間と十畳間二間の四部屋が直列に並び、最奥に矩折り状で南側に主室の「梅の間」と呼ばれる十畳間が付く構成で、二階部は座敷の周囲に縁側が取り付きます。「梅の間」以外の部屋は装飾も殆ど無い簡素な座敷で、戦後三島市に払い下げになった際に改造があったようですから、往時の姿を留めていないのかも知れませんね。
この梅御殿は傾斜地に建てられており、すぐ南側は川が流れていて特に「梅の間」の箇所は崖っ縁。小浜池の眺望を楽しむ狙いがあったようで、谷に向かってせり出す様にテラス状に造られていますが、今は樹木が生い茂って池の姿は良く判りません。但し園内の木々には楓が多く、窓の外に見える太鼓橋の姿は中々秀麗で、紅葉を楽しむのに御誂えです。
主室である「梅の間」は梅御殿の名の由来になったように、床柱に太い梅の木が使われていることから。この座敷だけは数寄屋風の意匠が施されていて、床柱以外にも書院窓の違い棚や菊の紋様による釘隠し等に見られます。なんでもこの梅御殿は夫人向けの御殿だったらしく、皇室の住宅建築は男性向けが書院造、女性向けが数寄屋造という図式が多かったようなので、その傾向が反映されているのでしょう。
襖や杉戸に当時の有名絵師による極彩色の絵が描かれているのですが、現在は全て取り払われて園内の郷土資料館内に収蔵されています。
「楽寿園」
〒411-0036 静岡県三島市一番町19-3
電話番号 055-975-2570
開園時間 4月〜10月 AM9:00〜PM5:00
11月〜3月 AM9:00〜PM4:30
休園日 月曜日 12月27日〜1月2日
梅御殿は貸出施設で、稀に一般公開有