内坪井の家 (うちつぼいのいえ)



 小泉八雲が熊本を去った1年半後に、今度は夏目漱石が旧制五校の英語教師として赴任してきます。八雲同様に前任地(松山)での暮らしぶりがよく知られていますが、実際には松山に滞在したのはわずか1年間で、熊本では英国へ留学するまでの4年3カ月を過ごしています。このあたりも八雲と似ています。
 最初は市内中心部の「光琳寺の家」を借り、ここで結婚式もあげてささやかな新婚生活をスタートさせましたが、この借家の裏手が墓場だったことから夫人が難色を示したことが皮切りとなり、その後計5回も市内あちこちと転居する引っ越し魔となったようです。扶養家族も増えれば色々と手狭になるでしょうしね。
 そのうち内坪井にある五番目の家のみが当時のままで現存しており、記念館として公開中。ちなみに門奥に見える洋館は漱石転居以後に増築されたもので、漱石とは無関係。戦前の文化住宅の風体ですけれどね。

 

 漱石がこの家に住んでいたのは1898年(明治31年)7月から1900年(明治33年)3月までの1年8ヶ月ほどで、熊本では最も長く暮らしています。木造平屋建ての純和風住宅建築で、玄関には車寄せが付き脇には馬丁小屋もある、内部も書院造の客間や書斎などが並ぶ中々立派な造り。鏡子夫人も「熊本で住んだ中で一番いい家」と述べていたとか。このあたりは熊本城の北側に広がる昔ながらの閑静な住宅街で、今でもこのような庭付き一戸建ての瀟洒な住宅が数多く残る地域でもあり、学校の多い文教地区でもあることからあまり開発の波に遭わずにすんだことが、そのまま邸宅も残された要因なのでしょう。他の家はうまく残りませんでしたしね。
 馬丁小屋は五校生で漱石の教え子だった物理学者の寺田寅彦が寝泊りに使っていたようです。

 

 

 敷地は435坪あり、そのうち建物は70坪で、残りは広い庭。庭木立の下には石灯籠や石塔など様々な石造物がゴロゴロと点在していて、その一画には長女筆子が産湯を使った井戸も現存。
 この頃の漱石は度々と九州各地を旅していたようで、耶馬渓や日田・宇佐、それに阿蘇登山も果たしています。この体験が後々その作品に影響を与えているようですね。

 

  

 この内坪井の家の他に三番目に住んでいた「大江の家」が、水前寺公園裏のジェーンズ邸内に移築されています。こちらは木造平屋建ての簡素な住宅建築で、1897年(明治30年)9月から翌年の4月までの7ヶ月間ほど暮らしています。この家に暮らしている間に熊本市近郊の小天温泉へ逗留しており、この小旅行が名作「草枕」のモデルとなりました。

 

 



 「夏目漱石内坪井旧居」
   〒860-0077 熊本県熊本市中央区内坪井町4-22
   電話番号 096-325-9127
   開館時間 AM9:30〜PM4:30
   休館日 月曜日 12月29日〜1月3日