聴秋閣 (ちょうしゅうかく) 重要文化財
横浜本牧の三渓園は、生糸貿易で財を成した実業家原富太郎(三渓)が、義祖父の入手した本牧三之谷の土地に京都や鎌倉の歴史的建造物を購入移築した純和風の庭園で、市民の憩いの場として明治39年(1906年)に一般に公開されました。移築した建造物は三渓自らひとつひとつ場所を択び、周囲の環境との調和を考えたうえで再建されました。全部で17棟の古建築を移築しましたが、大正11年(1923年)に一番最後に購入された建物がこの聴秋閣です。聴秋閣は内苑でも一番奥の渓流沿いに建てられ、山間の中にひっそりと現れる洒脱な楼閣といった趣きで、新緑や紅葉の頃には色づく木々とあいまって特に秀麗な姿を見せています。国の重要文化財に指定されています。
この聴秋閣は元和9年(1623年)に3代将軍家光が上洛の際に佐久間将監に命じて二条城に作らせたものという説と、江戸城吹上苑にあったものとの説がありますが、正確には分かっていません。その後家光の乳母の春日局が拝領し江戸青山の稲葉家下屋敷(春日局の嫁ぎ先)に移され、明治14年(1881年)に二条公が買い取り牛込若松町に移しました。佐久間将監は小堀遠州と同時代に活躍した建築家で、大胆な発想から来るユニークな建造物を次々と作り出し、数寄屋の奇才とも呼ばれています。
外観は小さな楼閣を乗せた二層構造で、正面から見た時には中央上部に楼が突き上がり下層が横に広がっていますが、横から見た時には上下とも同じ幅になっています。さらに楼の下の主室を中心に左右非対称の異なる内部構成になっており、それに合わせて屋根の構成も変化をつけるなど、その見る位置によって様々な顔を見せる複雑妙味な建造物です。
内部構造は、1階部分が主室に木製の板を四半敷に敷き詰めた舟入風の土間を組み込み、右奥に大きく斜めに切られた付書院を配し、その手前の上段の間二畳に外に細い欄干を廻らせ、それを挿肘木が支える意匠を施しています。天井は座敷の部分が棹縁天井で土間の部分は折上天井で構成。舟入の構造は西本願寺の飛雲閣や桂離宮にも見られるので、この建物も水辺に面して建てられていたものと推察されます。
二階には、点前畳の裏にある勾配の急な階段を昇り、一畳ほどの板の間をはさみ一段高くなった所に二畳の台目を敷いたスペースで、火灯窓に外に幅狭い濡縁が付き手摺が付いています。化粧屋根裏が中央の板天井を支える打ち揚げ鏡天井になっており、その鏡天井に扇が三つ描かれています。今では一つの扇の骨が見えているだけですが、狩野元信か尚信の手によるものと伝えられており、岩に流れのある扇が三つあるうちの中にあることから、この建物は嘗て「扇流閣」と呼ばれていました。
「三渓園」
〒231-0824 神奈川県横浜市中区本牧三之谷58-1
電話番号 045-621-0364・045-621-0365
FAX番号 045-621-6343
開園時間 AM9:00〜PM5:00 (入園はPM4:30まで)
休園日 12月29・30・31日