土浦中学校本館 (つちうらちゅうがっこうほんかん) 重要文化財



 明治期の学校建築と言うと、まず初期における擬洋風建築が掲げられ、文明開化したての頃に大工棟梁が見よう見まねで造ったユニークな姿の校舎が各地に造られたわけですが、さすがに時代が下がると正統的な西欧文化の洗礼を受けたアカデミックな建築家が登場し、明治後期にはキチンとした洋風建築が造られるようになっていきました。例えば松本の開智学校に見られる擬洋風における和洋折衷のゴッタ煮的な意匠は消え失せ、壮麗で重厚なルネサンス様式やバロック様式による美しい校舎が建造されていきます。茨城県はこの明治後期の本格的な洋風建築による学校建築が充実している所で、その代表的な物件が県立土浦第一高校の旧本館。旧制中学の土浦中学校の本館だった校舎で、国の重要文化財にも指定されています。

 

 何故茨城県に明治後期の学校建築が充実しているかと言うと、県の技師に着任した駒杵謹治の存在。東京駅や日銀本店で知られる明治期を代表する建築家だった辰野金吾のお弟子さんで、東大卒業後にすぐ茨城県に営繕工師に任ぜられ、その後技師に昇格して在任2年3ヶ月の間に県内の公共施設を次々と手掛けました。中央の若きエリートをスカウトして県の近代化を図ったわけですが、特に教育が大事だろうという話になったのか学校建築がとても多く、県立商業高校本館(現水戸商業高校)や太田中学校・竜ヶ崎中学校・水海道中学校の講堂などがその作品群。このうち太田中学校講堂は現存し国重文にも指定されています。
 この土浦中学校本館が竣工したのは1904年(明治37年)12月7日のこと。外観は屋根が切妻造のスレート葺による木造平屋建てで、建築面積は987.9u。南を正面として中央に玄関を配し、左右に翼を広げたように校舎が続く凹型の平面を描きますが、当初はロ型に近い形状だったようで前面の部分だけが残されている状態です。

 

 

 現存する駒杵謹治の作品は県内に3点あり、太田中学校講堂はルネサンス様式、水戸商業高校本館玄関はバロック様式で、この土浦中学校本館はゴシック様式で組まれています。師匠に学んだ西洋建築の各様式を実際に展開させてみた、建築家の若かりし頃の実験場と化していたのでしょうか?特にそのスタイルが濃厚に出ているのが正面玄関部分で、三連の尖頭アーチに切妻破風を載せたポーチを設けてその左右に尖塔を並べる、垂直性を強調したヨーロッパ中世のゴシック建築の影響が見られます。破風と奥の扉上部にあるキャタフォイル(四つ葉)の紋様もゴシック様式によるもの。ゴシック様式はルネサンス以前のキリスト教の権威が強かった頃のスタイルですから教会建築に多く見られ、この本館も教会の礼拝堂の様な趣があります。
 アーチを支える柱にはコリント式のアカンサスの柱頭も付いています。

 

  

 それから壁はドイツ式下見板張りでのハーフティンバーで、縦長の上げ下げ窓が連続して並びます。このあたりも垂直性を重視したゴシック風の意匠。使用された木材は主にエゾマツだそうです。

  

 内部は片廊下が走り、玄関右手に事務室・校長室・職員室が続く他は、両翼全て教室が並びます。天井近くまで開けられた上げ下げ窓が連続して並ぶので採光がとても良く、外観の荘重な風貌とは違って明朗で伸びやかな空間となっています。ちなみに廊下側は左右の引き戸です。
 教室の一部には往時の机を復元してあり、机と椅子が一体型となっています。
 NHK朝の連続テレビ小説「おひさま」のロケにも使われました。

 

  

  



 「茨城県立土浦第一高等学校」
  〒300-0051 茨城県土浦市真鍋4-4-2
  電話番号 029-822-0137
  旧土浦中学校本館は毎月第二土曜日に公開