洞春寺 (とうしゅんじ) 重要文化財



 山口市は禅寺の多い地域で、中世の大内氏の元で京の街並みが再現されて数多くの寺社が建ち、また応仁の乱により京を逃れて当地に逗留する芸術家達(雪舟が代表選手)も増えて、室町期には「西の京」と呼ばれるほどの美しい街並みが形成されてゆきました。特に当時大流行の禅をベースとする東山文化がドッと流入されたことにより、瑠璃光寺五重塔や常栄寺雪舟庭などの禅林文化が花開いていったという理由です。
 その国宝に指定されている秀麗な瑠璃光寺五重塔の南側に、美しい檜皮葺の門を構えるお寺があります。ここも禅宗の臨済宗「洞春寺」という寺院で、大内氏滅亡後の藩主だった毛利元就の菩提寺。この寺の北側の香山公園内に毛利家の歴代藩主の墓所があります。

 

 洞春は元就の法名。ここは元々大内氏の時に国清寺という寺があったのですが、大内氏滅亡後は安芸吉田にあった毛利勝元(元就の長男)の菩提寺だった常栄寺が引っ越してきて、さらに藩庁移転により今度は安芸郡山にあった洞春寺が移ってきたというややこしい歴史があります。
 で、この山門も大内氏の国清寺時代の遺構で、室町中期の建造。京都でも室町期にまで遡る禅宗の門は殆ど無く、その意味でも貴重なもの。国の重要文化財に指定されています。

 この山門を潜り参道を進むと再び門に遭遇。その先に本堂が現れます。このあたりはこの寺院の変遷ぶりが反映されているのでしょうか?本堂は江戸期に再建されたもの。

 

 本堂前は禅宗寺院らしく白砂で清めた前庭が広がりますが、その白砂の一画に松林に囲まれるようにして観音堂が建てられてあります。典型的な禅宗様建築の小振りの仏堂で、大きさは桁行3間(7.97m)奥行3間(7.51m)となり、外観は屋根が入母屋造りの銅板葺に一重裳階付き。この観音堂も国の重要文化財に指定されています。
 背後は近年に県庁の庁舎が増築された為に景観が損なわれているので、松を植林するなどしてボロ隠しした方が良いと思いますけど。

 

 実はこの観音堂も洞春寺が建てたものではなく、すぐご近所の上宇野令の滝地区にあった大内氏の菩提寺だった観音寺のもので、観音寺が荒廃した為に1915年(大正4年)に移築されています。
 まだ大内氏が権力を握っていた室町初期の1430年(永享2年)に建立されており、やはり近所の瑠璃光寺五重塔も同時期の1442年の建造なので、大内氏が最も勢いのあった頃の遺構の一つでもあります。
 桟唐戸や花頭窓、反りの強い軒や内部の床が瓦の四半敷きなど典型的な禅宗様式の仏堂ですが、例えば軒の垂木が通常ならば扇垂木と繁垂木で構成するところ、ここでは上が疎垂木で下が板張りで垂木が無い点が大きな特徴で、また内部も床上には柱が一本もなく虹梁大瓶束を多用することにより天井を支える特異な構造体を持つのも特徴の一つ。禅宗様は装飾性も豊かで精緻に組み上げられた構造体に特徴があり、多少目にうるさいところもあるのですが、この観音堂は外観も内部もスッキリとしたシンプルな意匠で組み上げられており、そのせいか落ち着いた端正な佇まいを見せています。
 以前は柿葺だったようなので、環境も含めて当初の姿に復元されると、松林を背景に白砂に浮かび上がる様な美しい風景が現れるのではないのでしょうか?

 

 



 「洞春寺」
   〒753-0082 山口県山口市水の上町5-27
   電話番号 083-922-1028
   拝観時間 AM8:00〜PM5:00 境内自由