東光寺 (とうこうじ) 重要文化財
甲府市内に、甲府五山と呼ばれる臨済宗の寺院が点在しています。京都五山や鎌倉五山と同様に中世に制定された禅宗の寺格制度ですが、京都や鎌倉が室町幕府が制定したのに対してここでは信玄自ら行っており、しかも居城であるつつじガ崎館を取り巻くように配してあることからどうやら城砦として考えられていたようで、父親や息子も排除した信玄らしい抜け目の無い用意周到なシステムだったようです。
特につつじガ崎館の南東2km程の所にある愛宕山の東西南北には、甲府五山のうち法泉院以外の4つの寺院があり、明らかにこの愛宕山を有事の際には城塞として使う、軍事上の要所だった場所のようです。この愛宕山の東側の葡萄畑の中に、その五山の一つである東光寺があります。
今は臨済宗の禅寺ですが当初は密教寺院だったとかで、平安期の1121年(保安2年)に開基されています。当初は興國寺と名乗っていたとか。鎌倉期にスパイ疑惑で甲州に配流された禅僧の蘭渓道隆が入山したことから臨済宗にシフトチェンジし、戦国期の天文年間(1532年〜1554年)に信玄の気依により諸堂が整備されて甲府五山の一つになり、信長による兵火や廃仏毀釈や空襲とか色々ありましたが、今でも広大な敷地に伽藍を構える寺院として健在です。
で空襲にも焼け残った山門を潜って、一直線に伸びた長い参道の正面に、やはり信長の兵火にも罹災しなかった仏殿が鎮座ましましています。檜皮葺の屋根や裳越が美しい禅宗様の建物で、国の重要文化財に指定。戦前は国宝でした。
山門・仏殿・方丈が直列に並ぶ典型的な禅宗伽藍で、この仏殿は薬師如来を祀ることから薬師堂とも呼ばれています。建築年代は明らかではありませんが、建築様式から室町後期のものと見られています。
外観は屋根が入母屋造りの檜皮葺で一重裳越付き。方三間(5.4m)による正方形の平面。この方三間による小規模の中世禅宗様仏堂というと、国宝に指定されている鎌倉の円覚寺舎利殿や東村山の正福寺地蔵堂があり、この東光寺の近郊にも山梨市内にやはり国宝の清白寺仏殿があるので、関東一円に同型式の建築様式が伝播していった証なのでしょう。
ただしこの東光寺の仏殿は様式がかなり簡略化されており、禅宗様の大きな特徴である花頭窓や詰組・扇垂木・虹梁大瓶束が見られず、桟唐戸が正面中央だけであとは格子戸が並ぶ姿は、装飾性の豊かな禅宗建築というよりはシンプルな和様建築に近い感じがします。アウトラインは禅宗様ですが、細部の意匠に和様が導入されたものなのか、又は江戸初期に大修理があったようなのでその際に改造されて今の姿に変わったものなのかは判りません。
床がゴツゴツした土間なのは地震の多い関東一帯ならではで、正福寺地蔵堂と同じ趣旨。
この仏殿の北側は本堂の方丈となり、その裏手に庭園が広がります。庫裏との渡り廊下に玄関があり、そこで小さな鐘を三回叩いて、庭園の拝観を願います。が、遠い所にいるのかリアクションが無いので、諦めて帰る人も多いようですね。
庭園は山の傾斜地に累々と石を並べ、下に池を配した池泉観賞式で、作庭は蘭渓道隆禅師自身だとか。鎌倉期の1262年(弘長2年)にこの寺に入り、その後3年間滞在した間に造ったのだとすると、禅宗庭園としては日本最古ということなるようです。確証はありませんけど。県の名勝指定。
やたらと石がゴロゴロと敷き詰められた庭ですが、よく見ると大小様々なスタイルの石を適材適所に配して造形的に構成されており、蓬莱山石組に鯉魚石による龍門瀑や酒舟石も置いた、北宋山水画のような峻厳でダイナミックな風景が広がります。
他にも庭園の多いお寺で、方丈と庫裏との間の中庭には武田家の家紋の割り菱の刈込があり、仏殿の東には心字形の春昌池と呼ばれる池があり、西側の禅堂前には枯山水の石庭があります。方丈庭園以外は山内自由なので、特に躑躅が多いことから5月がお薦めですかね。
「東光寺」
400-0807 山梨県甲府市東光寺3-7-37
電話番号 055-233-9070
庭園拝観時間 AM9:00〜PM5:00