聖護院 (しょうごいん) 重要文化財
京漬物の代表格である千枚漬は、優しい淡白な味わいが特徴の美味しい漬物ですが、その原料は京野菜の一つである聖護院蕪(かぶら)を幾層にも薄く切ったもの。また京土産の定番である八ツ橋も、聖護院の門前で数百年の暖簾を守る老舗が、軒を並べて営業していたりします。この聖護院という名は、京都では比較的目にすることが多いのですが、その聖護院の寺本体はあまりメジャーな存在とは言い難く、観光ガイドにも殆ど記載されていません。山伏も修行する修験場ですのでいわゆる観光向けの寺院ではありませんが、その建物・文化財の規模・内容は素晴らしく、予約制で公開もされています。
聖護院は、平安後期の1090年(寛治4年)に白河法皇の熊野三山詣に際して、先達を務めた増益僧正に対する功績から法皇より賜わったのがその開基で、その後も後白河法皇の皇子が入寺されて以降代々皇室の方々が門主を務める門跡寺院です。江戸後期の光格天皇や幕末期の孝明天皇が在位時に、御所が炎上した際には仮皇居としても使われたことから分かるとおりその陣容は寺院というよりは御殿を思わせ、敷地約5000坪の広さに宸殿・本堂・庫裏・書院・小書院・北殿が立ち並んでおり、同じ門跡寺院である大覚寺や青蓮院に似た内容となっています。いずれも江戸初期の延宝年間(1673年〜1681年)に再建されたもので、国の史跡にも指定されています。
中心となるのは仮皇居の際の御座所ともなった宸殿で、大きさは21.5mX18mの平面に屋根が入母屋造りの檜皮葺。御所代わりともなった建物ですから宮殿風の大きな寝殿造りの建物で、天皇が日常生活を暮らす清涼殿として使われていたそうです。内部は東西に大きく分かれ、東側に上段の間と15畳と18畳の座敷が南北に並ぶ対面所の構成をとり、西側は大きな仏壇を置く30畳の板の間による道場一室になっています。この寺は修験宗の本山なのでこのような道場が必要なのかもしれませんが、改造があったようなので以前の構成は不明。
対面所の三室は狩野益信・永納等の狩野派の絵師によるいずれも煌びやかな障壁画・襖絵で彩られており、高い天井に両違い棚・釘隠し・繊細な筬欄間等で構成された格式の高い空間です。欄間隅には小さな穴が開いており、どうやらネズミが出入りするようで、そのネズミが逃げ場が無く建物を齧って損傷しないように開けられたネズミ用の穴だとか。今でもネズミがよく出没するそうです。
この宸殿の北東に書院があります。この書院は他の建物と異なり御所の女院御殿から移築されたもので、大きさは10mX15mの平面に屋根が入母屋造りの桟瓦葺に柿葺の庇を回した外観。やはり延宝年間に移築されたものです。深い柿葺の庇が軽快な佇まいを見せていますが、他の建物が反りの強い堅い形式のものが多いことから調和を保つためにか、屋根は妻部に狐格子を入れた堅い形式となっている点が特徴。国の重要文化財指定。
内部は主室である8畳の一ノ間と12畳の二ノ間を庭側に配し、その背面に8畳・6畳・4畳の部屋が並ぶ構成で、特に一ノ間・二ノ間は柱や長押に面皮材を採用した数寄屋風の意匠が入った書院造りの座敷です。特に一ノ間の床隣にある違い棚はこの建物における最大の見処で、唐草模様が彫り込まれた持ち送りで天袋と違い棚を支え、左側に小窓を開けたユニークなもの。違い棚に持ち送りが付くのは島原の角屋にも見られるようです。女院御殿ということもあるのでしょうが、全般的に雅で繊細な女性的な印象を与える建物で、同じ門跡寺院の曼殊院の小書院と似た風情があります。
宸殿と書院はそれぞれ対照的な庭園に面しており、宸殿は白砂を配した御所風のもので、書院は苔むした地に季節の花木が並ぶ御内庭風のもの。それぞれ趣があって美しい眺めです。
「聖護院」
〒606-8324 京都府京都市左京区聖護院中町
電話番号 075-771-1880
FAX番号 075-752-4088
拝観時間 要予約 AM10:00 PM2:00