双柿舎 (そうししゃ)
熱海は明治期以降数多くの文人墨客が去来し、暫し滞在して作品の題材にも取り上げるほど文学との所縁が深い温泉地ですが、まずその先鞭を切って邸宅を構えたのが坪内逍遥。若かりし頃から度々と来訪して遊び、その温暖な気候と風光を甚く気に入り1911年(明治44年)に小さな別荘を営みましたが、東京の奥座敷として歓楽街の賑わいを見せ始めるとその喧騒さを避けるようにして、1920年(大正9年)に山の手の来宮地区に土地を求めて移転しています。今でもこの逍遥邸のある一画は海を見下ろす高台の閑静な住宅街にあり、柑橘類の庭木が垣根の上から顔を覗かせる明治の文豪の別荘としてイメージ通りの佇まいです。
熱海は海沿いの狭隘な温泉地ですから、山の手は山肌の傾斜地となるので、敷地は表通りから門へ向かって下る形状となり、門の奥に本館・東館・書屋が庭木の多い園内に点在しています。これらの建物は逍遥自身が設計を行っており、庭の構成も本人の意向により造園されています。その庭の中央部に二本の樹齢二百年の柿の木があったそうで、これに因んで「双柿舎」と命名されています。逍遥が還暦の頃なので、老柿二本に逍遥夫妻を重ねて見たのかもしれませんね。因みに門の扁額は弟子の会津八一の手によるもの。
門を潜ってまず正面に見える本館は木造二階建てで、一階は茶の間や客間が並ぶ逍遥夫妻の普段の生活空間として、二階にある書斎は仕事部屋として使われていました。逍遥と言えばシェイクスピアの翻訳が有名ですけれど、ここで全40巻に及ぶ本邦初の全訳「シェイクスピア全集」が編纂されています。一階の茶の間は富士を模した天袋や花頭窓もある、数寄屋風の近代和風住宅建築です。
敷地の一番南にある東館は離れで、1934年(昭和9年)に夫人の隠居所として造られたもの。こちらも木造二階建ての住宅建築で、一階の十一畳の座敷床の間に、逍遥のデスマスクが置かれてあります。
この東館の海側にあたる一段降りた場所に書屋があります。1928年(昭和3年)に建造された鉄筋コンクリート三階建てによるユニークな外観の建物で、塔の胴部と屋根は和風ですが花頭窓や勾欄は中国風、そして塔屋のバトルメント状の露盤は洋風と和洋中が複合化した意匠です。風見鶏代わりに乗っている翡翠と葉の鋳金は、シェイクスピアのリア王の一節から。入口両脇にある狛犬の様な羊の石彫は、未年生れに因んで。
本館前と書屋の手前に命名の由来となった柿の木がありましたが、それぞれ台風や枯死で植え変えられてあります。老柿ではなく若柿となっているのは御愛嬌でしょうか。逍遥は六十代以降の晩年をここで夫人と静かに暮らし、1935年(昭和10年)2月28日に当地で逝去しています。享年77歳。夫人没後は教鞭をとっていた早稲田大学に寄贈され、現在も同大学が管理して毎日曜日に公開されています。
「双柿舎」
〒413-0016 静岡県熱海市水口町11-17
電話番号 03-3203-4333 早稲田大学総務部総務課
開館時間 日曜日 2月28日 AM10:00〜PM4:00