閑谷学校 (しずたにがっこう) 国宝



 JR山陽本線も姫路を過ぎて網干からは本数がグッと少なくなり、智頭急行と分かれる上郡から3つ先の和気までは朝晩のぞいて日中は一時間に一本のみと、主要幹線とは思えないほどのローカル線モードの運行形態に変わります。特に青春18きっぷ発売中は車内は戦後の買い出し列車のようにゴッタ返し、ビンボー旅行者にとって鬼門とも呼べる箇所。
 その和気駅の一つ手前に吉永駅という駅前には商店らしきものが一切無い寂れた無人駅があり、そこから一日2本の運行によるワゴンカーによる路線バスに乗って中国山地の山襞にズンズンと分け入り、ひたすら長いトンネルをようやく抜けると、ポッカリと山中に開けた平坦な場所に出ます。四方を山に囲まれた静かな山里といった所なのですが、一面に梅や桃に桜の木々が植林されていて、春にはまさしく桃源郷という言葉が似つかわしい風景。この風光明媚な環境をいたく気にいったのか岡山藩の殿様が教育の理想郷(アルカディア)としてここに学校を造ることを思い立ち、次々と学校施設を建造して出来上がったのが、国特別史跡の「閑谷学校」です。この交通の便の悪さや僻地性が、江戸中期に完成した学校建築が奇跡的にほぼ完全にセットで残った最大の原因なのでしょう。

 

 山に囲まれた静かな谷から「閑谷(しずたに)」と名付けられたこの閑谷学校は、岡山藩主池田光政が領地内に庶民の為の学校として123ヶ所の手習所を設置したことから始まり、その後逼迫した藩の財政事情から他の施設を廃止にしてこの閑谷に集約したのがその謂れ。1670年(寛文10年)に創設され1674年(延宝2年)に一旦は完成しましたが、今に残る陣容は光政没後に長男の綱正が意志を受け継いで相次いで建造していったもので、完成したのは18世紀に入った1701年(元禄14年)のこと。広大な敷地に諸堂や神社・聖廟が点在しており、その周囲を低い石塀と濠池で囲みます。
 この石塀は切り石を巧妙に組み合わせて上部を蒲鉾型に揃えたもので、重量感溢れる外観ですが学校建築ということか高さが2m程に押さえられてあるので威圧感はありません。全長が765mもあり、石切りの後に徹底的に洗浄してあるとかで草一本無い状態。1701年に完成しており、国の重要文化財の指定を受けています。
 前庭にある濠池は泮池と呼ばれており、中国上代の諸候の学校である頖宮(はんきゅう)の様式に倣ったものとかで、幅7m長さ80mの長方形の平面。中央に架かる石橋も国の重要文化財の指定。

 

 石橋を渡って正面に見えるのが正門である校門。中央部を切り上げた黄檗宗と同様の形式で、花頭窓や屋根端に鯱を乗せた中国趣味濃厚な門です。門の奥には校舎ではなく聖廟が見えており、足利学校同様に儒教の学校では孔子廟が最重要視されることの現れでしょう。1686年(定享3年)に建造されたもので、国の重要文化財指定。

 

 校内の中心は国宝に指定された講堂。1701年に建造された桁行19.4m奥行15.6mの平面を持つ大型建築で、屋根が入母屋造りのせいか一見すると仏堂のように見えます。本瓦が葺かれていますが途中で段が付けられた錣(しころ)葺で、段の先から軒先にかけて緩やかな傾斜を見せて優美な反りを見せています。またその深い軒下を吹き放ちの廻縁に立つ柱が支えており、さらに廻縁に整然と花頭窓に並ぶ外観は独特の姿で、どこか大陸風の伸びやかな印象の建物です。

 

 

 その屋根瓦は地元の備前焼による赤褐色のもの。その彩りは点描画のように美しいコントラストを見せて、建物全体の重厚さとはまた違う繊細な印象もあります。
 外観の構造の軸部は欅や檜を組み上げて、貫や舟肘木を用いたシンプルな意匠。

 

 内部は桁行3間奥行2間の広い一室に、周囲に入側を回した平面構造で、部屋と入側との間に花頭窓と明障子が嵌ります。部屋の中は竿縁の高い天井を10本の太い円柱で支え、段差の無い拭板敷の床上に柱が並ぶ構造で、床の黒漆が鏡面のように磨きこまれ、花頭窓を通して外光が鮮やかに床面に映し出されます。

 

 

 講堂の南にある小規模な建物は「小斎」で、藩主の御成の間。校内では珍しい柿葺の数寄屋風建築で、1677年(延宝5年)の建造。講堂の西に隣接するのは「習芸斎」で、生徒の学習室。ここでは講堂と異なり栂材を用いて組まれており、天井も張らず屋根裏の野太い梁組をそのまま見せる農家建築のような構造で、いかにも庶民層向けの寺小屋的な建物です。1701年の建造。

 

 

 「習芸斎」には西側に同じ棟で「飲室」があり、生徒の休憩室として使われていました。中央に炉が切られており、「斯爐中炭火之外不許薪火」と火気注意の但し書きが彫り込まれてあります。入口の土間には竹の簀の子と石造りの流しもあり。「小斎」・「習芸斎」・「飲室」何れも国の重要文化財指定。

  

 講堂と飲室の前には、石塀にそれぞれ「公門」と「飲室門」があり、「校門」とは異なる四脚の薬医門形式。「公門」は藩主が御成の際に、「飲室門」は生徒たちの通用門として使われた門で、それぞれ1701年の建造。これらの門も国の重要文化財の指定。

 

 「飲室」の西側には漆喰塗の「文庫」があり、その奥には小高く盛った丘が塀のように立ちはだかります。これはこの丘の向こうにあった生徒達の寄宿舎である「学舎」「学房」で起きた火災の延焼を防ぐための防火用として造られたもので、「火除山」と呼ばれています。
 「文庫」は1677年の建造で、国の重要文化財指定。

 

 校門の正面に見えていた聖廟は、校内の北側の傾斜地に白い練塀に囲まれて厳かに鎮座しています。西側に孔子廟、東側には創設者の池田光政を祀った閑谷神社があり、それぞれ1684年と1686年の建造で国の重要文化財指定。

 

 

 校内から清流沿いに東へ700m程遡った場所に、「黄葉亭」という茅葺の茶室があります。このあたりは紅葉の名所なので、色づく楓を愛でる為に教授達が1813年(文化10年)に造った模様です。頼山陽もここで酒を酌み交わした記録が残っているとか。

 

 「学舎」「学房」のあった場所には1905年(明治38年)に建造された私立閑谷中学校の校舎があり、今は資料館として公開されています。明治期の下見板張りの洋風建築で、国の登録有形文化財にも指定されています。

 



 「閑谷学校」
   〒705-0036 岡山県備前市閑谷784
   電話番号 0869-67-1436
   開門時間 AM9:00~PM5:00
   休館日 12月29日~12月31日