四君子苑 (しくんしえん) 登録有形文化財
「おけいはん」の京阪電車に乗り、終点の出町柳駅で降りて鴨川を加茂大橋で渡り、河原町通り沿いのパチンコ屋の横道を入ると、表通りの喧騒とは一変した閑静な住宅街に、北村美術館という小さな美術館があります。戦前の吉野の山林王だった北村謹次郎氏のコレクションを公開しているギャラリーで、主に茶道具が中心の施設です。小規模ながらも質の良いコレクションとして知られており、与謝蕪村「鳶烏図」、野々村仁清「色絵鱗波文茶碗」が代表的な収蔵品。春秋の季節公開なので、常時拝観出来るわけではないのですが、成金趣味のなんでもかんでもの乱暴なコレクションと違い、あざとさやイヤミの無い上品で華やかな、優美という言葉がピッタリするコレクション。京都らしい美術館と言えるかもしれません。この北村謹次郎氏はまた数寄者としても知られた御仁で、その茶道具のみならず建築や庭園にも自らの美意識に基づいた優れた造形を図っており、その邸宅である「四君子苑」という数寄屋建築が北村美術館の隣に残されています。通常は非公開ですが、春秋に毎年時期をずらしてそれぞれ一週間程公開されています。
北村謹次郎氏がこの鴨川沿いに邸宅を構えたのは、太平洋戦争真っ最中の1944年(昭和19年)のこと。対岸には大文字山の送り火も真正面に見られる景勝地で、近所には京都御所や紫式部の邸宅跡の蘆山寺に頼山陽の書斎だった「山紫水明處」も残る文人墨客縁の地。このあたり裏道に入ると意外と緑も多く結構穴場です。敷地は京都にありがちな細長い形状で、表門からは想像出来ないほど奥深い造り。当初は名工として知られる北村捨次郎が施工した伝統工法による数寄屋造りの建物が数珠繋ぎに連なる構成でしたが、戦後の1963年(昭和38年)に近代数寄屋の名人と呼ばれる吉田五十八が設計した新棟が増築され、かなり込み入った複雑な平面を持っており、戦前と戦後の二つの時代の代表的な建築家による数寄屋建築の作品が共存して一つの建物群となる、とてもとても稀有な建造物です。長屋門形式の表門を潜ると、木立に囲まれた主屋の玄関棟になります。切妻造りの瓦葺屋根による平屋建ての軽快な建物で、この奥にそれぞれ戦前戦後の数寄屋建築群が連なります。
この玄関棟は、ちょとユニークな構成を持っており、正面の玄関を入ると中は飛石を配した内露地風の造りで、待合もある寄付となっています。正面上り口の小間には躙口を開けて丸炉も切ってあるので、ここで簡単なお茶会も開けるシステム。この箇所は北村捨次郎による戦時中のもので、すぐ隣に内玄関があり、そちらは戦後の吉田五十八による飛騨高山あたりの民家風の趣。二人の建築家の作品が並列されているので、対比して見ると中々面白いです。
この寄付から鞘の間を通して隣に洋間の立礼席が続きます。立礼席とは椅子式の茶室で、明治以降の近代になって導入された新しい茶席のスタイル。洋間なのですが、床の間や下地窓など和の設えでまとめられた和洋折衷の意匠で、気軽に茶道が親しめるように工夫されています。この四君子苑は石造物の宝庫とも呼ばれていて、苑内いたるところに様々な石造物が散りばめられて点在しており、情景にアクセントを与えています。ここでは大きな六角石灯籠(国重文)と重厚な対向孔雀文水鉢が庭に鎮座ましましています。
この立礼席の土間から奥へ向かって四半敷の土間による渡り廊下が続きます。屋根が片流れの軽快な造りで、途中少し折れたり、梁間を広げて変化を付けながら奥へと誘い込む巧みな構成。まるっきり透けきった建築で、高台寺の傘亭・時雨亭の土間廊下にも似た風情。
渡り廊下の先は茶室とその奥に離れの棟が続きます。茶室は間取りが二畳台目中板入れの小間で、相伴席を備え貴人口を設けた品の良い端正な造り。謹次郎氏の茶道楽仲間だった松永耳庵(電力王の異名をとった松永安左衛門)が「珍散蓮」と命名したそうです。この貴人口へは渡り廊下からだけではなく、庭からも上がれるようになっており、その檜皮葺の軽快な屋根の中へ導かれると、石棺による大きな沓脱石が置かれ、その飛び石との間を流水が屋内へと走り、茶室前の手水に繋がります。
その手水のある一角は、中池の畔に手摺を備えた広縁を設け、外を吹き放しにして上半分を障子で隠すという、大徳寺孤篷庵忘筌と同じ趣向の意匠。というかパクリですな。違うのは燈籠が無いのと手水に筧があり、その溢れた水が中池に注ぎ込む点。忘筌が近江八景を織り込んだ庭園の眺めを楽しむ為とすれば、この四君子苑は水に因んだ意匠が強いようで、流水や池の風情を楽しむ為に視点を下げさせるこの明障子が採用されたのでしょう。
奥の離れは、八畳の主室と六畳の次の間による明るい座敷が並び、いずれも凝った意匠など無い比較的シンプルな造り。この広間の東側は鴨川に面しており、庭の刈り込みの向こうには大文字山も姿を見せる中々の絶景スポット。夏の夜などは乙でしょうな。玄関からここまでは比較的外部の眺望が遮られた薄暗い空間が続くのですが、始めてここで開けた空間に遭遇し、眺望を効果的に見せる仕掛けという訳です。庇の軒先には大きな燈籠が釣られているのですが、なんでも秀吉の聚楽第にあった淀君遺愛のブツだとか。ここまでが北村捨次郎の手によるもの。
この離れ周りはやたらと石造物が多い場所で、京都伏見の妙真寺にあった鳥を彫り込んだ宝篋印塔(国重文)や、中宮寺の礎石に北吉野の道標など、主主雑多な石が点在されています。
内玄関からそのまま真っ直ぐ奥へと続くのが、吉田五十八設計の新棟。北村捨次郎の伝統的な数寄屋建築による侘びた佇まいと異なり、シンプルかつモダンな造りで、とにかく窓が大きく明るい空間が印象的です。和室と洋間で構成されているのですが、特に8畳の座敷と5畳+台目2畳の仏間が並ぶ和室は、壁や柱を極力排除し欄間も設けず、床から天井まで届く大きな障子と襖でパーテーションを区切る、至極開放的な空間が造られています。この襖は脇の柱が回転移動することで全て収納可能となり、大広間としても使用可のフレキシブルなもの。天井の連続した照明器具や桟の少ない窓に大きな障子など、近代数寄屋の巨匠と呼ばれた吉田五十八ならではの、幾何学的で機能的なスタイリッシュなモダニストとしての特徴が良く出た空間でしょう。
和室の奥の洋間は居間兼食堂だった部屋で、16畳分のワンルーム。この部屋も窓が大きく柱や桟を極力排除した造りで、ガラス戸を開けるとフルオープン状態。洋間にありがちな閉塞感の無い、日本建築特有の「透ける」空間で、このあたりも吉田五十八ならではの和洋融合のスタイルと言えるのでしょう。一角には坪庭もあります。
「北村美術館」
〒602-0841 京都府京都市上京区河原町今出川下る一筋目東入梶井町448
電話番号 075-256-0637
開館時間 春季秋季 AM10:00〜PM4:00
休館日 月曜日(祝日は開館)と祝日の翌日
四君子苑の公開は毎年時期をずらして春・秋ともに1週間程度 AM11:00〜PM3:00