志賀直哉旧居 (しがなおやきゅうきょ)



 白樺派の代表的な作家だった志賀直哉は、引越しの多い文人の一人で、なんと転居の回数は全部で23回。尋常な数ではありません。その住んだ場所も、尾道・松江・我孫子・京都・奈良・鎌倉など、暮らしやすく文化的な香りの高い古都が多く、そんな環境の変化も作品を生み出す土壌の一つになったのでしょう。京都の山科から奈良に転居したのは1925年(大正14年)42歳の時、その後1929年(昭和4年)に同じ奈良市郊外の高畑町に家を建てて移り住み、1938年(昭和13年)に子供の教育の為に東京へ引っ越すまで約9年間この家で家族と共に過ごしました。現在は奈良文化女子短期大学のセミナーハウスとして使用されて公開もされています。高畑町は春日大社の境内に南隣する閑静な住宅地で、敷地は丈の低い白壁の土塀で囲まれているせいか、周りの環境にマッチした堅苦しい感じを与えない穏やかな佇まいです。

 

 直哉が一から家を建てたのは、20代の時の赤城の家と戦後に東京の渋谷に建てた家とこの奈良の家の3件で、最初に見よう見まねで建てた赤城の家での苦い経験から、この奈良の家では京都から数奇屋造りの大工を呼んで納得のいく家作りを図りました。建物は一部二階建ての木造建築で、平面ではコの字型の間取りとなり、玄関を入ってすぐ左手に二階建ての書斎と茶室のある直哉のプライベートゾーン、玄関奥の右手には食堂や家族の部屋が並ぶファミリーゾーンに分かれています。書斎と家族の部屋棟との間は木々の生い茂った中庭があるので、生活空間の喧騒さからは遮断されており、ここで心趣くままに執筆活動に勤しんでいたのでしょう。書斎は最初は一階に、その後は二階に移されており、その大きな窓からは春日大社の森越に若草山の優美な姿も見えることから、執筆中の疲れを癒していたのかもしれません。

  

 書斎の隣は茶室となり、六畳の広さで貴人口に障子を三枚入れた出入り口の大きな部屋で、肩の凝らない気軽に茶を嗜む空間になっています。天井が竿縁や掛込に簾張と数寄屋バラエティに富んでいる所は、京の数奇屋大工の心意気なのでしょうか?

 

 ファミリーゾーンの家族の部屋や食堂などがある棟は、南面の日当たり良好の空間で、庭も子供達の為に瀟洒な庭園など造らず広い芝地にして自由に遊ばせ、一角にはプールもこさえるほどに家族中心の家造りです。

 

 食堂と隣のサンルームは一転して洋風の空間で、両方共に天窓付きの明るい空間。特にサンルームは高い天井に北山杉の梁を渡し、床に煉瓦を敷いて食堂側から台形の出窓を出した、今でも通用しそうなモダンでスタイリッシュな意匠で、直哉の親しかった近所に住む作家や画家のサロンになっていました。隅に黒玉石を敷き詰めた手洗いがあり、下から泉のように水が湧き出ています。たしかにこの部屋の空間は寛ぎやすく、見学者が三々五々談笑していたりします。

  



 「志賀直哉旧居」
   〒630-8301 奈良県奈良市高畑大道町1237-2
   電話番号 0742-26-6490
   開館時間 AM8:40〜PM4:30
   休館日 木曜日 8月13日〜8月15日 12月28日〜1月 5日