高山寺石水院 (こうざんじせきすいいん) 国宝
洛西を縫うように走る周山街道も、御室の仁和寺を過ぎて梅ヶ畑の谷合に入ると、京都市中の喧騒を遠く離れたひっそりとした山里の集落を抜けて進みます。やがて御経坂峠の切通しを越えると、山深い清滝川沿いの美しい景観の中に、谷筋に点在する鄙びた山村が見えてきます。高雄・槇尾・栂尾のいわゆる三尾と呼ばれる集落で、それぞれの地域には名刹が深い森の中に開かれていて、その一番奥にあたるのが栂尾の高山寺です。ここは鎌倉期の高僧であった明恵上人ゆかりの寺として知られており、山内には上人の住居と言い伝えられている石水院が建てられています。
高山寺は奈良時代の774年(宝亀5年)に創建された古刹で、一時期荒廃していたのを鎌倉初期に後鳥羽上皇の院宣により、明恵上人が華厳宗の道場として再興して今に至ります。石水院は後鳥羽上皇の学問所を下賜されてこの高山寺に移築したもので、明恵上人が庵室として過ごしていたと言い伝えられています。しかし実は元々は経蔵で、春日・住吉両明神を祀る社殿であったようです。ただ住居としての意匠・機能が織り込まれていることはたしかで、鎌倉期の住宅風建築としては極めて貴重なもの。国宝に指定されています。
当初は金堂東に建てられていましたが、1889年(明治22年)に現在地に移されました。外観は柿葺きの入母屋造りで、内部は西側に1間の向拝を付け、その内側に春日・住吉両神を祀った神座を設けてあり、東側は座敷に縁を付けた構造。特に向拝部が素晴らしく、蔀と菱格子を組み合わせた外壁部は完全に透け切っており、自然との融和が図られて森との一体感があります。鳥のさえずりや木々を渡る風の心地よさが、明恵上人のように瞑想的な境地に誘ってくれます。美しいシルエットの蟇股や天井の疎垂木などに住居としての意匠が取り込まれています。
この広縁と板戸で仕切られた内部が神座になっており、天井は折上小組格子で貴賓性を高めています。隣の座敷の天井も古材を船底形に張ったもので、各部屋に変化があって面白いのですが、この座敷部は改変された部屋なので、明恵上人の頃とは異なります。
座敷部は後年改変された部屋なので、鎌倉期の様式を伝える意匠は少ないのですが、柱の大きな面取りや組部の舟肘木、それに明障子と上げ蔀の二重構造の戸が付けられている箇所等に、往時を偲ばせる様式が残されており、広縁部との統一感が保たれているように見受けられます。
この座敷は高い崖の縁に建てられているため、眼前には谷越しに遠く山並を望む山水画のような眺望が広がります。秋の紅葉の時期もひとしおですが、春の山々が淡い色彩のグラデーションに染まる頃もお薦めでしょう。
「高山寺」
〒616-8295 京都府京都市右京区梅ヶ畑栂尾町8
電話番号 075-861-4204
拝観時間 AM8:30〜PM5:00
拝観休止日 無休