清風亭 (せいふうてい) 埼玉県指定有形文化財



 深谷市内の大寄公民館内に誠之堂と共に移築された清風亭は、元は世田谷区瀬田にあった旧第一銀行保養施設「清和園」内に建てられた小規模な洋風建築で、大正期に数多く建造されたモダンでハイカラな洋館の一つです。先に建てられた煉瓦造りによる英国風カントリーハウス調の誠之堂に対して、こちらは白漆喰による南欧風クラブハウス調の外観を持っており、同じ規模のタイプの異なる大正期の洋館が寄り添って建ち並ぶ光景は中々他の場所では見られません。この二つの洋館は移築前と同じ配置関係で再現されており、特に誠之堂のバルコニーと清風亭の外廊との導線が同じです。これはバルコニーと外廊が保養施設のグラウンドを正面としていた為で、移築先でも目前に運動場のグラウンドが広がっています。

 

 

 誠之堂が第一銀行初代頭取だった渋沢栄一の喜寿のお祝い向けとして造られたように、この清風亭も二代目頭取だった佐々木勇之助の古希のお祝い向けに造られており、これも誠之堂同様に行員達の出資で建てられています。誠之堂建造からちょうど10年後の1926年(大正十五年)に竣工されており、鉄筋コンクリート造りの平屋建てで建築面積は168uに高さ5.8m。設計を担当したのは第一銀行建築課長だった西村好時で、誠之堂を設計した田辺淳吉の清水建設時代の後輩にあたり、銀行建築の第一人者だった人物です。満州中央銀行総行がその代表作で、渋沢一族関連では他に栄一の孫の敬三が建てた三田の洋館があります。(現在は青森県三沢市内に移築)

 

 外観の大きな特徴は当時流行していたスペイン風の意匠で統一されている点で、人造石掻落し仕上げの白壁が南欧風の陽射しの強い陽光を彷彿させ、また正面吹き放し外廊の5連アーチや3連アーチの出窓などは、ラテン特有の開放的で明快な印象を与えています。建築家自身が「南欧田園趣味に採り之を近代的手法を以て取扱ひたるものにして清楚の気分を表現するに力めたり」と記述するように、先に建造された誠之堂の英国風田園趣味と対比する様に設計されています。

  

 

 特に屋根瓦には青や緑の釉薬によるスパニッシュ瓦が葺かれており、点画のような美しいグラデーションを見せています。妻部の鬼瓦にあたる箇所には小さな渦巻きの紋様が施されており、細部にも色々とこだわった意匠が見られます。

 

 屋根にのった小さな煙突にも菱形の紋様が入っています。ちなみにこの煙突は煉瓦積みですが、壁面に埋め込まれている煉瓦風の装飾物はタイルで、ギザギザの引掻き傷が入ったスクラッチタイルが使われています。またベランダや足回りの煉瓦には色の黒い鼻黒煉瓦が混入されていて、平板ではない独特の陰影を見せています。

  

 内部は広間一室が大半を占めて、あとは小さな外套室と湯沸室に化粧室があるのみです。その広間は外廊側に出入り自由のフランス窓が5連で並び、妻側の両サイドに3連アーチ窓が開けられて、白漆喰の天井も含めてとても明るく開放的な空間。やや閉鎖的な内部空間を持つ誠之堂とここでも対照的です。特に暖炉の位置が象徴的で、誠之堂は奥に置かれてその前が上席となり封建的な階級性が強くなりますが、ここでは中央壁面にあるのでフラットな家族団欒的な傾向が見られて、自由で伸びやかな気風が漂う空間となります。出窓の下にある作り付けの低い腰掛けも同様の温かみを感じさせますね。

 

 

 ここでも細部は中々と凝った装飾が見られており、アーチ窓の縁には幾何学模様によるステンドグラスが嵌め込まれ、暖炉横の電燈の取っ手には草花の彫刻が付けられ、出窓下の腰掛けにも木彫りによる彫刻が施されています。

  

 特に装飾物で面白いのが動植物をあしらったデザイン。外壁アーチ窓部と内部天井蛇腹部に葡萄の彫刻や紋様が見られ、外部の樋には銅板に蝉の彫刻が施され、内部天井の通気口には蜘蛛の紋様が入ります。よく探して見ないと判りにくい箇所にあるので、オリエンテーリング気分で。一見すると簡素で装飾性の薄そうな外観に見えますが、細部は凝りに凝った意匠が散りばめられている建築物ですので、誠之堂と同様に移築の際には本邦初の”大ばらし”の工法が採用されて、竣工当時の姿が今でも見ることが出来ます。埼玉県指定有形文化財。

 

 



 「清風亭」
  〒366-0837 埼玉県深谷市起会110-1
  電話番号 048-571-0341(大寄公民館)
  開館時間 AM9:00〜PM5:00
  休館日 12月29日〜1月3日